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 焔と悟空が結婚し、二つの季節が過ぎた頃――とは言っても天上界は下界ほどに目まぐるしく天候が
 変わるわけでは無いが――悟空が焔の居ない間の暇つぶしにというよりは、餌付けされた動物のように
 足しげく紫金の宮へ遊びに行く姿も見慣れたものとなっていた。

 悟空を供するのは、宮の主の江流では無く、その傍付きの悟能である。
 傍付きとは言っても王族のそれになるためには血筋ばかりでなく能力も秀でている必要がある。
 何事にも万事そつなくこなす悟能の才能の一つが、料理。
 悟空が通うまでは、その特技を披露する相手もなく、一人で作り、一人で処分していたのだが・・・偶に江流
 が試されることもあった・・・さすがにそれでは腕の振るいがいがない。
 初めこそ、丁度いいと、気まぐれに悟空の相手をしていた悟能だったが、その回を重ねるごとに段々と
 悟空のために料理を作り、待っている自身を自覚しはじめていた。
 悟能の仕える江流は始終無表情で、反応も「ああ」「そうか」「黙れ」「死ね」という、およそ単語だけという
 愛想の欠片も無いだけに、悟空の体全身で喜びを表す様には、一種感動を覚えた。
 悟能も江流のことを言えるほど感情表現のうまい方では無い。どうしてそこまで素直に喜んだり、悲しんだり
 怒ったり・・・感情のままに振舞うことが出来るのか、真剣に考えた。
 そして、考えるだけ無駄だということもすぐにわかった。

 悟空はしたいことをしているだけ。
 誰にも何も隠さない。
 在るがままの自分を、全ての者にさらけ出している。

 ただの馬鹿と呼ぶべきものなのかもしれない。
 けれど。
 悟能にはそんなことは出来ない。そんな恐ろしいことは出来ない、と思った。
 何故なら、むき出しの自身はそこで否定されれば終わりなのだ。後は無い。相手に否定されたのは本当の
 自分では無いのだという都合のいい、言い訳は通用しない。
 全か無か。
 悟空がそこまで考えているわけは無いが・・・・・その強さは眩しい。


「どうしたんだ、悟能?」
 悟能手製の新作おやつを口にくわえたまま悟空が、顔をのぞきこんだ。
「・・・いえ、何でもありません。そのおやつ、ためしに作ってみたんですが、いかがですか?」
「甘くて、すっげーうまいっ!!・・・悟能も食べる?」
「いえ、私は味見しましたし・・・今日はそれが最後なんです、気に入っていただけたなら・・・」
 また今度作りましょうか?という悟能の言葉は断ち切られた。
 ・・・・・文字通り、悟空の唇に。

「おいし?」
「・・・・・・・・・・・」
 驚愕のあまり、笑顔を浮かべたまま硬直している悟能はすぐに応えられない。
 思考も、固まっていた。
「・・・おいしくない?」
 悟能は無意識に唇に手をやり、触れた・・・・・悟空の唇が触れた、自身の唇に。
「悟能?」
 心配そうに見上げてくる。悟空の身長は悟能より高いが、座っている今は、悟能のほうが高くなる。
 そんな体勢で他意の無い無邪気な視線で見上げられる・・・今の行動に全く他意はないのだろう。
「おいしい・・・です、ね」
「っ!だろうっ!!」
 ぱぁと笑顔をはじけさせた悟空はわがことのように喜ぶ。実際に作ったのは悟能なのだが。
「すげーよ、悟能は!」
 褒めてくれるのは嬉しい。・・・だが、子供扱いして頭をがしがし撫でるのはやめて欲しいと、少しばかりの
 羞恥と・・・喜びを隠して、悟能は思うのだった。









「こーりゅーぅっ!こうりゅっ!江流っ!」
 腹拵えを済ませた悟空は宮の主である交流の名を、声高に叫んで歩き回る。
 宮の中は未だに広すぎて、江流の部屋までたどり着けない悟空は、叫んで江流が出てくるのをいつも
 待っている。
「うるせぇっ!この馬鹿猿っ!!」
 と、こんな風に。
「あ、江流♪」
「馬鹿の一つ覚えみたいに、何度もひとの名前叫んでんじゃねぇよ。・・・ったく」
 毎度おなじみの文句を口にした交流は、にこにことただ喜んでいるらしい悟空に、肩を落とす。
 言っても無駄なのだ。
「・・・・何の用だ?」
「会いに来た!」
 それは用とは言わない・・・・・悟空以外の場合は。
「俺は忙しい。用が無いならさっさと焔のところへ帰れ」
「焔出掛けてて居ないもん」
 そういえば、焔は虎族との会議で光明の名代として出かけているのだったと思い出す。
「・・・焔の妻なら、その留守を守るのが役目だろう」
 何で自分がこんな常識的な、思ってもいないことを言っているのか、と江流の顔が更に不機嫌になる。
「??家なら是音が留守番してるけど??」
「・・・・・・・・・・・」
 わかっていない。全くわかっていない。
「・・・どうして、お前・・・焔と結婚なんかしたんだ?」
「焔がして欲しいって言ったから」
「・・・頼まれればするのか?誰にでも?」
「ううん。だって俺、焔のこと好きだもん。結婚ってずっと一緒に居るって約束だろ?だからした」
「・・・・・・・・・」
 照れもなく、のろけられる。性質が悪い。
 江流の胸の奥で、むかむかと不快感が膨れ上がる。
「でも江流も好きだよ。悟能も好きっ!」
「・・・・・・・・・」
 どうやら悟空の”好き”とは、万人に向けて言われる意味らしい。
 報われない焔に同情してやる気はさらさらないが、江流は少し気分が良くなった。
「あ、そうそう。悟能が、おやつの時間だから江流も一緒にって言ってたから呼びに来たんだった」
「・・・・なんで俺が」
「嫌?」
 媚も諂いも無い、純粋な好意だけを向けてくる悟空が江流は苦手だった。
 普通の奴ならば、無視すればいい。そのうちどこかへ去る。だが、悟空は違う。いつまでも江流の返事を
 待ち続けるだろう。はっきり、嫌だと言ってやればいい。いつもそう思う。
 だが、悟空の金色の目が涙に濁るのを見るのは・・・見たくない。
「・・・・行けばいいんだろう」
「江流!」
 そろそろ気づきはじめている。
 いつも仕事の邪魔ばかりする悟空を本当に邪魔だとは思って居ないことを。
 むしろ、その姿があることに・・・・喜びを感じていることを。

 その感情を何というか。




 






  


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