焔の生い立ちは少々複雑だった。 一見したところ生まれたときから上流階級に居る人間のように思われるが本当のところは 全くの逆。 焔は、孤児だった。 現在は、王室にも繋がるという帝家の養子となり、現当主でもある。 孤児院育ちの養子が何故、それほどの血筋の当主となりうるか。 半ば公然と囁かれる社交界の噂を焔は黙認していた。 『前当主の不義の子』 家名ゆえに認知すること許されず、養子として帝家に迎えられた。 本妻に子供が・・・男の子が生まれていれば焔は今も孤児として底辺の生活に身を 染めていたことだろう。 こうして連日のパーティと、女たちの媚も無く・・・・。 だが、どちらが焔にとって幸せだったのか。 それは神さえもわからないだろう。 |
√5 焔 3 |
焔は会社にある自室で、書類を手にしつつも宙に視線を泳がせていた。 ・・・どうにも仕事に集中できない。 頭に・・・悟空の笑顔が浮かんで消えないのだ。 これほど一つのものが気に掛かるなど、かつて無かったことだけに焔自身のとまどいも 大きく、その理由も判然としない。 だが。 気になる。 「・・・悟空・・・」 その名前を口にするだけで、焔は不思議な気分に包まれる。 ・・・くすぐったいような、恥ずかしいような。 およそ自分には縁のないような気分に。 「悟空・・」 もし、もう一度会ったならば・・・この霧のようなうやむやな気持ちは晴れるだろうか。 焔は書類を手放すと、引き出しの奥にしまいこんでいた小さな紙切れを取り出す。 そこに書かれているのは、たどたどしい・・・「ありがとう」という字。 悟空が焔へと贈った言葉だ。 その字を一時一時、たどる。 その仕草には、果てしない愛しさがこめられていた。 ・・・・それに焔が気づいていたかどうかは不明だが。 「・・・・なぁ、焔の奴。変じゃねぇか?」 「そうですか?」 秘書室で待機している紫鴛に是音が話しかける。 「お前が気づいてねぇはず無いだろうが。あの焔が仕事中に何か他に気をとられるなんて 信じられねぇ。この間の会議だって、途中から気もそぞろだったみてえだし・・・」 「意外に、焔のことをきちんと見ているんですね」 「・・・・お前なぁ・・・」 馬鹿にしているのか褒めているのか、紙一重のいつもながらの紫鴛のセリフに、慣れて いる是音だったが、がっくりと肩を落とす。 「確かにあなたの言う通り、焔の様子はいつもと違いますが・・仕事に支障は出ていません。 問題ないでしょう」 「・・・本当にそう思うのか?」 「・・・・さぁ・・・」 本心を探らせない紫鴛の無表情は、付き合いの長い是音でさえも十分には掴めない。 まして本人がそうしようと勤めているならば・・・・。 「どうも・・・あの焔の様子てなぁ・・・信じられないが・・・いや、やっぱりいい。まさかあの焔 に限ってなぁ・・・・」 馬鹿なことを考えたとばかりに是音は苦笑した。 ・・・・・・・・・・が。 「恋煩い・・・・・・・・・ですか?」 自分が言おうとしたことを口に出されて是音は目を見開いた。 「・・・・・・・マジか?」 たら〜と冷や汗が流れる。 「さぁ、どうでしょうね」 「嘘だろ・・・おい・・・・でも、そうだとしたら、いったいどこの誰が相手だよ・・・そんなの 居たか・・・・・??」 容姿端麗で財力もある焔は女によくもてる。 だが、どの女に対しても焔は表面上はにこやかに相手をするがそれ以上にのめり込んだ ことは無い。 仕事のために女と寝ても、愛は語らない。 しつこく縋りつく相手には、こちらがそこまでやるかと思うほどに冷たく無視した。 「嘘だろ・・・ぅ・・・・」 是音は相手の女を想像して・・・・・・・・・・気の毒になった。 「ま、だいたい予想はつきますけが」 「・・・っ!?誰だよっ!」 是音は凄まじい勢いで紫鴛に詰め寄る。 「はっきりそうだと言えるわけでは無いので、言いません。けれど、是音」 「・・・・何だ」 ふと部屋の空気が変わる。 「・・いつでも動けるように用意をしておいて下さい」 「・・・・・。・・・どういうことだ・・・・?」 「すぐ手に入るモノならばいいんです。でもそうでないモノのほうが世の中には多いですから」 「・・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・」 是音はソファに身を沈めた。 今、焔は『天竺』の会議室で合同プロジェクトの最終詰めのための話し合いを、天竺側の 総合責任者である金蝉と、企画実行担当の天蓬と行っていた。 「では、ここと・・・・ここ部分の訂正。それから、支出と運用ですが・・・」 「ああ、こちらもそれで構わない。あと、この部分はこちらにまかせてもらいたい。うちの専門 になるからな」 「わかりました。ではよろしくお願いします」 かなり大規模な今回のプロジェクトは青写真がしっかりしていないと、途中で変更をいれて いたら後々まで響いて、余計な経費がかかってしまう。 そのために、企画構想だけでも1年という期間をかけた。 失敗するわけにはいかない。 「では、お互いにがんばりましょう」 「よろしく頼む」 「こちらこそ」 バタンッ!! 無事合意に至ったというところで握手をかわして一同は、関係者以外立ち入り禁止に していたはずの会議室の扉があまりに煩く開いたのに、一瞬呆然と固まった。 そして何か小さな物体が・・・・・・・ 金蝉にタックルをかましたのだった。 その勢いのまま、金蝉は吹き飛ばされ尻餅をつく。 「な・・・・・・・」 「悟空っーーーっ!!」 金蝉の怒声が響いた。 いきなりの闖入者は金蝉の養い子の悟空だった。 「悟空、仕事の邪魔をするなと言っておいただろうがっ!!」 金蝉の拳が悟空の頭を容赦なく殴る。 それでも悟空は金蝉から離れようとしない。 ぶんぶんと頭をふると、ますます強くしがみついた。 「どうしたんですか、悟空?お昼にはまだもう少しありますよ?」 天蓬の優しい語りかけにも悟空は頭を振ってこたえない。 「・・・・・・・・。・・・・・ったく」 金蝉はそんな悟空の頭をかるく撫でると、腕に抱き上げた。 悟空も金蝉の首にすがりつく。 「焔社長、悪いが俺はこれで退出させて貰う」 「・・・ああ、構わない」 「天蓬、後は頼む」 「はい、わかりました。僕が帰る頃までには悟空の機嫌を直しておいて下さいね」 「知るか」 そのまま金蝉はきびすをかえした。 悟空はずっと顔をあげず、抱かれたまま・・・焔はその顔を見ることは出来なかった。 ずきり、と妙な痛みが走る。 「申し訳ありませんでした、騒々しくて」 天蓬がいつもの笑顔を浮かべる。 「・・・構わない。話も終了していたことだしな・・・・それより、悟空は・・・」 「??・・・ああ、そういえば先日のパーティでもご迷惑をおかけしたんでしたね。いつもは ちゃんと待っているんですけど・・・」 天蓬はもう一度、すみませんと焔へ頭を下げる。 それに気にするなと手をあげると、秘書が焔の迎えの到着を知らせた。 「では、俺はこれで」 「はい、ご足労をおかけしました」 そして焔は『天竺』を後にする。 ・・・一度も見ることが出来なかった悟空の後姿を思い出しながら。 ふぅ、と吐息を落とす。 「どうしました、焔?」 「いや・・・」 何でもない、と運転席に座る紫鴛に手を振る。 焔は革張りのクッションに身を沈めながら目を閉じた。 羨ましい、と思った。 悟空に求められる金蝉が。 当然のように、悟空を抱きしめるその腕が。 「・・・・欲しい、な」 金蝉を求めるように、あの金色の瞳で焔を見て欲しい。 強烈にそう思った。 |
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† あとがき †
次か、次の次くらいで終了です。
一応以前にUPしている金蝉編へと続く話になる予定。