「あれはプランツドールですね」
 仕事の書類を持って来た紫鴛はついでのように焔にそう告げた。
「・・・何の事だ?」
 新しい企画の草稿へ目を通していた焔はその書類と全く関係のない視線のセリフに
 本気で眉をしかめた。
「覚えていませんか?先月の”天竺”のパーティで・・・」
「ああ。・・・あの子供のことか?」
「そうです。あまり知られていませんが金蝉社長が目に入れても痛くないほどに
 可愛がっているとか・・・」
「あの金蝉がな・・・」
 
 プランツドールといえば、金持ちの道楽だ。
 信じられない多額の料金の人形は、持ち主に幸運を運ぶという。
 ・・嘘か本当か知らないが。

「あんな迷信を信じるような男には見えなかったが・・・」
「さぁ、そこまで詳しくはわかりませんが」
「・・そうなのか?なら何でそんなことを調べたんだ?」
「おや、無自覚でしたか」
「・・・・・・・?」
 意味深な紫鴛の言葉。
「それならばいいんです。余計なことをしました」
「いや・・・」
 何か腑に落ちなかったが次の書類を手渡されて、焔はそのことを頭の片隅に追い
 やった。




 後にわかる。




 紫鴛の言葉がいかに的を射ていたか、が。



















√5 焔 2















 それから焔は仕事に追われ、すっかり悟空のことなど忘れていた。
 だが、二人は再び出会ってしまったのだ。






 雑誌社のインタビューを食事会と共にホテルで受けていた焔は、年端もいかない子供が
 カウンターごしに必死で背伸びをしているのを見つけた。
 後姿では確かなところはわからないが、ぴんぴんと跳ねた茶色の髪に覚えがあった。
 
 ・・・・・・・・・観葉人形。・・・・・悟空だ。

 いったい何をしているのか、とインタビューもそこそこに様子を眺めていると。
 その人形・・・いや、悟空はふとした拍子に床に足を滑らせ見事に転倒してしまった。
 焔は無意識に、「少々失礼」と席をはずすと悟空の元へと駆け寄る。
 悟空は起き上がって、こけた拍子に打ったのだろう頭をさすっている。


「・・・大丈夫か?」
 唐突にかけられた声に悟空は驚くべき速さで振り向くと、その大きな瞳をさらに大きく
 見開いてみせた。
 美しい金色の瞳の中には焔が映っている。

 じっと見つめる焔に悟空は怯えたような表情を浮かべるとじわりと涙を滲ませた。

「泣くな。何もしないから。俺のことを・・・覚えていないか?先日パーティでお前がぶつ
 かってきた・・・」
 焦りつつ、焔は悟空に語りかけた。
 悟空は可愛らしくことり、と首を傾げるとしばらく視線を宙にさまよわせた後、はっと
 動きをとめて焔を見た。
 ・・・どうやら思い出したらしい。
 悟空は途端に笑顔を浮かべた。
 
「・・・・・・」
 その安心しきった穢れの無い笑顔に焔は言葉を失う。
 一度、ただパーティで会っただけという自分にこんな無防備な笑顔を向けられるもの
 だろうか。
 日ごろ、腹の探りあいばかりして決して本心など見せない人間ばかりを相手にしている
 焔には信じられなかった。

「・・・こんなところで何をしていたんだ?」
 問うと悟空はぱくぱくと口を動かして焔に訴えるのだが、なにぶんにも音になっていない
 ので何を言いたいのかわからない。
「・・・声は、出ないのか?」
 困惑する焔に悟空は今度は仕草で訴える。
 右手に何かを握り・・・・書く仕草?
「・・・何か書くものが必要か?」
 悟空はこくん、と頷く。
 焔はカウンターから紙とペンを借りると悟空に差し出した。
 受け取った悟空はおぼつかない仕草で紙に何かを書き、焔に見せた。
 そこには決してうまいとは言いがたいが、平仮名で・・・



 『 こんぜんまいご 』



 と力いっぱい書かれていた。


「・・・・『こんぜんまいご』?・・・金蝉が迷子?」
 悟空はその通りとばかりに勢いよく首を縦にふる。
 だが、焔としてはどう考えても金蝉よりは悟空が迷子になったとしか思えないのだが・・・
 どちらにしてもこれで事情ははっきりした。

 後はホテルの人間に悟空を預けて金蝉を呼び出してもらえばいいだけなのだ。
 ・・・・が。

「一緒に探してやろう」
 自分でも何を言い出すのかと呆れながら、焔は悟空の手を取っていた。
 悟空がくいくいと焔を引っ張り、再び何か書いたらしい紙を焔に見せた。



 『 ありがとう 』



 その一言に奇妙に胸がうずいた。


















 金蝉はそれから間もなく見つかった。
 向こうも悟空を探していたのだろう・・・焔に抱かれていた悟空を目にするとまさに
 鬼気迫る表情で走ってくる。

「悟空・・っ」
 呼びかけと共に焔の前に立つとキツイ視線で睨みつける。
 まるで誘拐犯を見るかのようなその視線に焔は苦笑した。
 いつだったか、紫鴛が言っていたことはどうやら真実だったらしい。

 悟空は金蝉に手を伸ばすと、焔の元からあっさりと離れていった。
 失くした重みとぬくもりに名残惜しくなる。

「てめぇ・・・どこにいやがった?」
 金蝉の問いに悟空は何か言っている。
「あぁ?下?」
「失礼だが、これを」
 焔は金蝉に悟空が書いた紙を渡した。
 『こんぜんまいご』と書かれた一枚だ。

「・・・・・・誰が迷子だ!迷子になってんのはお前だろーがっ!!」
 叩かれると思った悟空が慌てて、頭をかばう。
 だが生憎金蝉の両手は悟空を抱き上げるのに使われていて悟空を殴ることは出来ない。
 金蝉は大きくため息をつくと、悟空を床に下ろし焔へと目を向けた。

「こいつが迷惑をかけた」
「いや」
「悟空、お前を礼を言え」
 金蝉に言われて悟空もぺこりと焔に頭を下げる。
 そんな悟空に焔は視線を合わせるためにしゃがむと頭をなでてやった。
「・・・見つかって良かったな」
 悟空は嬉しそうに笑う。
 そして・・・音にはならなかったがはっきりと焔に・・・・

 『ありがとう』

 と口を動かしたのだった。













 金蝉と悟空は焔に背を向けて去っていく。
 焔はそれをじっと見つめながら・・・手元に残った一枚の紙を握り締めた。
 『ありがとう』と書かれた一枚の紙を。
















 


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† あとがき †

時が経つと当初考えていたものとは全く違う話に
なってしまうものです・・・初めは焔空らぶらぶな話になる予定
だったんですが・・・どうも・・うーむ・・・・む・・・


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