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勝頼が織田家の姫を迎えて翌年、武田は念願の世継ぎを得ることが出来た。 信玄自らがその子に『信勝』と名づけ祝いした。 藤吉郎も勝頼に祝いを述べるために館を訪れたのだが、世継ぎの誕生という喜びがあったわりには館はどこか慎み深い静けさに包まれていた。勝頼の性からしてそう派手ごとは好まないとはいえ、これはあまりに静か過ぎる。何やら嫌な予感を覚えつつ、藤吉郎は勝頼自らの出迎えを受けた。 「この度は、お子様の誕生おめでとうございます」 「わざわざありがとうございます、昌幸殿」 勝頼は、子供の顔見せをしてくれた。 「元気そうなご様子ですね」 今はすやすやと眠っているが、健やかそうな姿だ。 「ええ、幸いなことに」 勝頼の目が愛しそうに子供を見つめる。 藤吉郎は最初、それが病弱な自分に似ず・・・という意味なのだと思っていた。 すぐにそれは違うということを知る。 「本当ならば祝いの膳を並べさせていただくところなのですが・・・」 せっかく来てくれたのだからと夕餉を供されたその席で、勝頼は言いづらそうに妻の産後のひだちが良くないことを告げた。 「それは・・・」 何と言葉を掛けていいかわからない藤吉郎に勝頼は続けた。 「・・・私は、夫としては最低でしょう」 「勝頼様」 「いえ。妻よりも子供をとったんです、私は。・・・医師に問われ、一瞬の躊躇もありませんでした」 「・・・・・」 妻の死を覚悟した夫とは思えぬ穏やかな様子に、藤吉郎は不安になる。 「勝頼様。・・・大丈・・っ」 「昌幸殿」 突然腕を取られて藤吉郎は目を見張った。 「何も感じないどころか・・・・喜んだのです、私は。世継ぎを残す義務を果たし・・・これでもう無理に好きにもなれない女性を傍に置くことを強いられることも無い」 「勝頼様・・っ」 何を言い出すのか戸惑う藤吉郎の小柄な体を、いつの間にか信玄と並ぶほどの体格になっていた勝頼が抱き込んだ。 「・・・っ!?」 「 藤吉郎は息を呑んだ。 「・・・貴方に触れた感触、私の名を呼ぶ掠れた声・・・貴方を貫いた喜び・・・忘れようとも忘れられず、妻を抱きながら貴方を思い出していた・・・」 「・・・・・」 「貴方が、貴方だけが・・・好きです」 藤吉郎の顔を覗きこんできた勝頼の、見たことも無い暗い目に背筋を震わせる。 ・・・・どこかで似たような目を、見た。 「どうすれば、 ひゅっ、と藤吉郎の喉が小さく鳴った。 ・・・わかったのだ、その目が・・・・・・・あまりに彼の父である、信玄に似ていることに。 暗い狂気を、秘めた眼差し。 「・・・昌幸殿。貴方は父の軍師であはあっても、武田の軍師では無い・・・いえ、否定なさらないで下さい。父を見ていればわかります。父は・・・もし私に家督を譲るときが来ても、武田の全てを遺しても、貴方だけは連れて行くでしょう。・・・そこがたとえ黄泉の国であろうとも」 「・・・・・・・っ」 違う、と藤吉郎に否定することは出来ない。 いつも信玄は我が武田のために、と言いながらも・・・藤吉郎へ見せる執着は尋常では無い。 誰か一人にのみ心を傾けることは、上に立つ者として許されないことであるのに。 そして。それを知りながら、 諫言することも無く、ただ流されるままに。 強いられるままに、信玄の思いを受容していた。 「賢明な貴方だ、父の想いを知っていることでしょう・・・そして、受け入れている。私の入り込む余地など無い。 ・・・・・・・とは、思いません。貴方はいつも哀しそうで、揺れている。誰よりも優しい人だからこそ、武田の行く末を憂えていらっしゃるのでしょう?」 「・・・・・・・」 勝頼が、微笑んだ。 「私には嘗て父がそうしたように、父を追放する力はありません。・・・・今はまだ」 「勝頼様っ・・・お言葉が過ぎますっ」 謀反を閃かすような勝頼の言葉を藤吉郎は小さく…けれど厳しく嗜める。藤吉郎には常に忍の監視がついている。それは信玄が命じているからで…藤吉郎の関わる全てが忍によって信玄に伝えられる。 信玄の後を継ぐ者は、今までは勝頼一人だけだった。 だが、今は・・・後継者が出来てしまったのだ。信勝という、生まれたばかりの赤子が。 「私を、心配して下さいますか?」 「・・・当たり前ですっ」 少しばかり怒ったように言った藤吉郎に、勝頼はまた笑う。 「そう・・そんな、貴方だからこそ私も・・・父も執着するのでしょう」 言って、くすくすと笑い出した。 「おかしなものです。今まで、父とはまるで似ていないと思っていたのに・・・やはり親子なのでしょう」 「勝頼様っ・・・お放し下さい・・・っ」 抱きこまれたままの藤吉郎は、身を捩って逃げようとした。 誰に見られるとも限らない・・・しかも、奥方が病床にあるところで。 「嫌です」 「!?」 「 息が止まるほどに強い力で抱きしめられる。 肺が圧迫され、口が空気を求めて開閉する。 「・・・・決して、放しはしません」 藤吉郎の視界が酸欠で・・・色を失っていく。 『 囁きと共に、藤吉郎の意識は遠のいた。 |
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+あとがき+
何故に、私はこんなに勝頼を贔屓しているのか・・・(謎)