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早朝に古府中をたった藤吉郎と信廉は、夕方には勝頼の居る諏訪についた。 急にやって来た一行に、慌しく諏訪方が対応する中、二人は勝頼と対面していた。 藤吉郎の顔を見て笑顔を浮かべた勝頼は叔父にあたる信廉と共に丁重に応対する。 「お久しぶりです、叔父上。昌幸殿、お怪我をされたと伺いましたがもう大丈夫なのですか?」 「はい、もう十分に。ご心配いただきありがとうございました」 心配そうな勝頼に藤吉郎は笑って頷いた。 「それはよろしかった。しかし無理をなさらないように。・・・それで本日はどのようなご用事で?お二人が揃われてということは、ただの湯治という訳でもないようですが」 「お館様より勝頼さまご出陣のご命令が下されました」 いかにも、と信廉が頷き答える。 「初陣でございます」 「・・・初陣?」 「はい、おめでとうございます」 勝頼が待ち望んでいた初陣である。驚いた後には、じわりじわりと喜びが滲み出てきた。 「本当ですか?」 「はい」 「・・・っすぐに準備を致します!」 興奮した様子で立ち上がった勝頼に、藤吉郎と信廉は顔を見合わせて笑いあった。 成人の儀を済ませて、一国一城の主となっている勝頼だったが、これでようやく本当の意味で武将たちにも 信玄の『跡継ぎ』として認められることができる。 勝頼の喜びはもとより、周囲の喜びもひとしおだった。 浮き足だった家臣たちは、かねてより用意されていた甲冑などを運び出し、勝頼の戦支度を整えていく。 半刻とかからず、準備を整え門前に馬を並べた。 大将である勝頼を守るように、藤吉郎と信廉の馬が両脇に侍る。 「勝頼様、ご武運を・・・っ!!」 留守を守る者たちに見送られ、勝頼は意気揚々と出陣した。 まずは信玄の居る躑躅ヶ崎の館に行き、そこで信玄と合流して武蔵野松山城へ向かうことになっている。 「不思議です…」 「勝頼様?」 道中、隣で馬を進めている藤吉郎に聞こえるか聞こえないかという呟きが落ちる。 「ずっと待ち望んでいた初陣です。…もっと気が昂ぶるものだと思っていましたが…不思議と静かだ…」 勝頼は言葉通り、落ち着いた様子で前を向いている。 「それとも、これは私が戦というものを実際に体験したことが無いからでしょうか?」 「頼もしいですな。とかく初陣を迎える若者は敵の大将の首級を取ろうと息巻き空回りするもの。さすがに勝頼様はお館様の血を受け継いでおられる」 満足そうに頷きながら信廉が勝頼を称える。 それに藤吉郎も相槌を打ちながら、考えていた。 (・・・勝頼様は、大将というよりは参謀・・・軍師に近い気質を有しておられるのかもしれない・・・) 病弱であった己の体に幼いころから付き合い、耐え忍ぶことを学んだ精神は生半なことでは波立たない。もちろん喜びや怒りを表に出すこともあろう。だが今回のようにすぐに沈静化してしまう。 勝頼は恙無く初陣を果たすだろう。家臣たちもそんな勝頼を信廉のように頼もしく思うに違いない。 だが、それはあくまで信玄が居てこそのものだ。 体育会系の武田家の中で、勝頼は物足りなく感じられるだろう。どうしても信玄と比べてしまう。 いつか。そのことで勝頼が苦悩する日が来るかもしれない。 (・・・オレの悪い癖だな。すぐ相手に同情するのは・・・) きっとそのときには。 藤吉郎は、勝頼の傍に居ないだろうというのに・・・ 勝頼の到着を、信玄は軍備を整え待っていた。 気が早い(短い)信玄らしく、自分はすでに鎧を着込んでいる。小柄な藤吉郎など同じほどに着込めば満足に 身動きも取れなくなる重さというのに、平気な顔で動きまわっている。 「待っていたぞ、勝頼」 「このたびはありがとうございます、父上」 「良き働きを期待しているぞ」 「はい」 しっかりと信玄の言葉に返事をかえす勝頼の姿からはかつての病弱さはうかがえない。 周囲の者たちも微笑ましくそのやりとりを見守っている。 「いざ出陣!」 「「おう!」」 行軍は並足だった。松山城には上杉からの救援が向かっているようだが、今年の雪は深く早々には駆けつけ られない。松山城では篭城の準備が進んでいることだろう。 いくら勇猛果敢な武田軍とはいえ、こちらも雪中であることには変わりは無い。あまり長引かせたくは無い。 信玄は、勝頼に目付けとしてついている藤吉郎を勝頼と共に陣中に呼び寄せた。 「待っていたぞ、昌幸。何か良い案はあるか?」 床几に座る信玄が、含みある笑いを向ける。 信玄は苛烈なところはあるが猪突猛進では無い。先を見通す深慮遠謀さも、兼ね備えている。彼は待つことを 苦痛に思うことは無いが、『無駄』は嫌いだ。 藤吉郎は溜息をつき、思いついたことを口にした。 「一つ、上手くいくかはわかりませんが…策があります」 この場には信玄と藤吉郎、勝頼しか居ない。 「賭けのようなものですが・・・」 「言ってみろ」 では、と藤吉郎は頭の中で組み立てられた作戦を口にした。 勝頼は、僅かばかいりの兵を率いて本陣を離れ単独で敵の陣中に入り込んでいた。 『此度の戦で、勝頼様が初陣なさっていることは敵方にも知られていると思います。だからそれを利用させていた だこうと思います』 それだけで信玄は何かしら思い当たったらしい。 『・・・囮か』 にやりと笑う。 『勝頼様が、とんでもない荒くれ武者で配下の者たちが止めるのもきかず、単身出て行き敵武将の首をとると 息巻いている、という情報を向こうに流します。恐らく、巧を焦るあまりの愚かな所業だと向こうは思うことでしょう。 ですが、向こうにとっては絶好の好機。捕虜にする身としてこれ以上のものはありません。罠である可能性を疑い ながらも幾らかの兵を出してくるでしょう』 『極上の釣り餌だな』 信玄に餌扱いされた勝頼は、ただ驚いて信玄と・・・藤吉郎を見ていた。 少数とはいえ、勝頼についている兵はただの足軽では無い。足軽に扮した武田の忍だ。 その中には藤吉郎も紛れている。藤吉郎がついてくることを、勝頼は最後まで渋っていた・・・軍師であり、こん な荒くれたことには向かないように小柄で華奢な藤吉郎に何かあっては、と思ったらしい。 だが藤吉郎にはその小柄さこそが武器だ。重装備で動きの鈍い敵の間を身軽に駆け抜けられる。 勝頼は藤吉郎の穏やかな部分しか知らない。 偽の情報に踊らされ、のこのこ出てきた武将の胸を勝頼の槍が貫く。 倒れた敵に足軽のかわりに、武田の忍たちが松山城へ潜り込み・・・毒と偽の情報を撒き散らす。 「首級を。勝頼様」 胸を貫いた槍をじっと見つめる勝頼に、藤吉郎が声を掛けた。 「ああ…そうです、ね」 腰の剣を抜き、息絶えた武将の首に当てる。 初めて命を奪い、初めて首をとる。 藤吉郎はそっと、勝頼の手に手を重ねた。冷たい、氷のような手だった。 「・・・昌幸殿?」 藤吉郎は何も言わず、目を閉じる。 その胸の葛藤など、微塵も感じさせない白い表情が・・・痛々しい。 勝頼は、初めて人を殺したその思いより・・・藤吉郎にそんな顔をさせてしまったことを悔いた。 「・・・何故。何故父上は、あなたを戦場に留めるのか」 憤るような勝頼の言葉に目を開け、藤吉郎はふっと微笑んだ。 「・・・信玄様はご存知ないのです。私が、 そう呟いた藤吉郎の表情を、勝頼はむしろ菩薩のようだと、感じた。 |
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+あとがき+
ふー・・・(・・・・。・・・・)