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ほぼ傷の完治した藤吉郎は軍師の職務に戻り、本日も朝からの軍議に出席していた。 定位置である信玄の隣、一段下がった場所だ。 やってきた当初はおさまりが悪く、諸将も納得しかねる顔で不服そうに見ていたものだが、慣れというのは 恐ろしいもので、今では誰もがそれを当然のものとして受け入れていた。もっともそれは、藤吉郎が飾りものの 軍師ではないと認められていたからでもある。 元々、藤吉郎は出しゃばる人間ではないが、要所は押さえ意見するときには迷いが無い。信玄が見出した 才能は、甘える者が居ない場所で鋭敏に研ぎ澄まされ磨かれていた。また、その信玄に対しても間違った 判断には恐れず忠言し、諫言を口にする。それが誰しも納得するような根拠があってのものだったので、一目 おかれるようになるのにもさほど時間はかからなかった。 「さて、此度の戦には勝頼を参戦させようと思う」 待ちに待った初陣である。 信玄のその言葉に、諸将の顔に安堵と喜びが広がった。 「俺の名代に、信廉と昌幸を遣わす」 異議を唱える者は無い。 信玄の弟である信廉は戦よりも絵や詩歌に興じていることを好む文人であるが、武田家直系に生まれてそれ のみに生きることが許されるわけもない。信繁亡き後には、一翼をまかせられる立場となった。 さすがに信玄と同じ血を体に受け継ぐだけあって、剣の腕も采配も唸らせるものがある。今や名実ともに信玄の 片腕として武田家を支えている一人である。 「信廉、勝頼には俺の両腕を貸し与えるゆえ良き働きを期待していると伝えておけ」 軍議の後、名代として選ばれた二人を呼び出した信玄が告げた。 「光栄にございます、兄上。ですが、勝頼殿は兄上のご子息。我らの力なくとも立派にお働きになるでしょう」 「その判断は実践の一つも経験してからだ、なぁ昌幸」 「恐れながら私も信廉様に同意見です」 きっぱり言い切った藤吉郎に信玄がくつくつと笑い出した。 「昌幸は勝頼贔屓だな」 「贔屓ではございません。勝頼様におかれては毎日鍛錬を欠かされず、初陣にそなえておられました。また、 初陣とはいえ、小隊を率いる大将。そのご覚悟もあるはずです」 「昌幸。そのように他人ばかり褒めておると・・・・妬くぞ?」 「「は?」」 察しのいい藤吉郎でも咄嗟にその言葉が頭の中でうまく変換されず抜けた声を発してしまった。 信廉も同様に。 信玄がそんなことを言い出すとは思ってもいなかったのだろう。今日の信玄は勝頼の初陣が嬉しいのか、それ とも何か別の要因があるのか非常に機嫌が良いらしい。 「まぁ、良い。明朝にはこちらを発つのだ。準備もあるのだろう。下がってよい」 「「はっ」」 二人が頭を下げて退出する。 廊下に出たところで、信玄の声が藤吉郎を呼び止めた。 信廉には先に行ってくれるように告げると藤吉郎は再び部屋に足を踏み入れた。 「お館様?・・・っ」 待ち構えていたらしい信玄に腕を引かれ、胸元にもたれ掛かるように倒れこんだ。 我にかえる間もなく、顎を掴まれ深く口づけられる。 息つぎすることも許されず、口腔を貪られた藤吉郎は眩暈に襲われながらぐったりと横たわった。 「藤吉郎・・・お前を殺すのはこの俺だ。誰にもその命、渡すなよ」 「・・・・・はい」 信長に藤吉郎が傷を負わせられてから、信玄は藤吉郎が単独行動することを以前より禁ずることが少なく なった。それは藤吉郎が”信長”という帰るべき場所を真実失ったがゆえと考えているからか・・・。 何にしろ、信玄の執着は未だ衰えることが無い。 「お帰りなさいませ、父上!」 屋敷に帰った藤吉郎を真っ先に出迎えるように飛び出してきたのは弁丸だった。 すっかり藤吉郎を”父”と呼ぶことに慣れてしまったらしい。 「ただいま、弁丸。源太は?」 「お帰りなさいませ、父上」 名を呼べば弁丸の後ろから現れた。 こちらは弁丸よりは、わずかに藤吉郎を”父”と呼ぶことに抵抗感を感じていたようだが、弟が無邪気にも呼ぶ ところを見続けて、こだわっているのが馬鹿らしくなったのか。 「ただいま」 「今日は早かったのですね」 「うん、明日から・・・遠出をしなくてはならなくなってね」 「・・・戦ですか?」 「うん、勝頼様の初陣についていくんだよ」 軒先で話しているのも、と草履を脱いで部屋にあがる。 いつも質素な身なりの藤吉郎だったが、軍議があるということでいつもより着込んでいた。それを脱いで、手伝 おうとしている弁丸に手渡した。 「勝頼様・・・お館様の」 弁丸より二歳年上で、十になる源太は最近通っている学問所でも優秀だと評判だ。 「うん。信玄様の名代を任じられたんだ。・・・しばらく留守にするけれど大丈夫かな?」 「まかせて下さい、父上!」 弁丸が屈託無く手をあげる。 「でも早く帰ってきて下さいねっ!」 「弁丸、父上に無理を言うな。戦場に出るっていうのは、何があるかわからないんだからな」 「わかりますっ!父上は大丈夫ですっ」 きっと兄を睨みつけた弁丸は、そうでしょう?と言い切ったわりに心配そうな眼差しを藤吉郎へ送ってくる。 思わず笑いそうになったのを我慢して、藤吉郎は笑って頷いた。 「確かに、戦場では何があるかわからないけど・・・オレは、ちゃんと帰ってくるつもりだから。いや、絶対に帰って くるよ。だから、二人とも留守番を頼んだね」 「はいっ」 「はい」 二人並んだ座った兄弟の頭をよしよし、と撫でてやった。 翌朝。 いまだ人出の全くない、静けさの中で藤吉郎は信廉と共に旅立った。 |
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+あとがき+
お、お待たせしましたーーーっ!(汗)