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 戦が戦を呼ぶ。
 あちらで起これば、こちらで起こる。
 己の力を信じて、各領主たちは滅ぼしあう。
 まさに戦国時代。
 この時代にあり、平和とは恐ろしく儚いものであった。




















「昌幸殿」
「勝頼様、どうなさいました?」
 先の戦より体調を僅かに崩したらしい信玄に連れられて、藤吉郎は湯治へ来ていた。
 初めて出会った頃は色白で頼りなげだった勝頼も二十になり、藤吉郎の身長を追い越し立派な体躯を
 持つようになっていた。しかし勝頼もまた信玄とおなじように労咳の持病を持っており、時折体調を崩しては
 安静にと湯治へやって来るのだった。
「父上のお具合は如何でしょうか?」
「・・・・・・お元気ですよ」
 藤吉郎はため息をつきそうになるのを何とか飲み込んだ。
 一つ屋根の下にあるとはいえ、勝頼と信玄が顔を合わすことは一日に一度も無い。農民出の藤吉郎にして
 みれば非人情この上ない気がするが、武家とはどこもそのようなものらしい。
 しかし、勝頼は間違いなく信玄を慕っており、それほどに父親の加減が気になるのなら直に聞けばよかろう
 にと、いつも間に挟まれる藤吉郎は居心地悪く思っていた。
 その上。
 ・・・・・おそらく、勝頼には藤吉郎と信玄の関係がばれている。
 信玄が隠そうとしないのだから、知れて当然とはいえ藤吉郎としてはいたたまれない。
 勝頼にとって、藤吉郎は父親の愛人・・・・・厭うて当然の存在の藤吉郎を勝頼は出会った頃と変わらず
 丁寧に接してくれている。
 きっとそれは父親への絶対の信頼ゆえに。
 かつて・・・いや、今も抱く藤吉郎のただ一人への思いのように。
 
 
 望んで傍に居るわけではない。
 慕っているわけでも、好いているわけでも。
 いや、むしろ。感情は・・・


「申し訳ありませぬ。足を止めてしまいました」
「あ、いえ」
 信玄に言われて書を取りに行って戻った藤吉郎に勝頼は優しげに笑う。
 信玄のような威圧感も猛々しさもないが、穏やかな人を包みこむ雰囲気は十分に上に立つに相応しい才に
 思われる・・・今の世が乱世でさえなければ。

「・・・し、お館様にお会いに?」
「いいえ、お仕事の邪魔をしてもいけません。私はこれにて失礼を」
 会釈して去っていく勝頼を見送る藤吉郎の背に、人の気配がした。
「勝頼が来ておったか」
「・・・・・はい」
「あれも体が丈夫であれば、俺がこれほど苦労せずとも良かったのだが・・・哀れな子よ」
「・・・・・・・。・・・・・・・」
 藤吉郎は信玄を見上げる。
「不思議か?俺が他人を心配するのが?・・・ふ、所詮俺も人の親ということよ」
 藤吉郎は信玄に促され、部屋に入る。
「全く、ゆっくりと休んでおれんな」
 どかりと腰を下ろした信玄に離れて、藤吉郎も腰を下ろす。
「・・・・何か?」
「どうも義信がきな臭いことを考えているらしい。己の分というものを知らぬ奴よ」
 にやりと笑う。きな臭いと言いつつもそれ自体を大した問題とは思っていないらしい。
「問題はそれに乗じる諸国よ・・・なぁ?昌幸」
「義信様は・・・見捨てるんですか?」
「・・・・・ふふ、仕方なかろうよ。三つ子の魂百まで、あの気性はもう変わらぬ。因果は巡るというが、俺も
 また子供に追い出されることになるか?・・・あれでは無理だな」
「・・・楽しそうですね」
「歯向かわれるのは嫌いではない。叶うと思った意志を粉みじんに砕いて絶望に染まる顔を見るのは
 至極楽しいものだからな・・・身に覚えがあるだろう、ん?」
 いつの間に近づいたのか、信玄は藤吉郎の顎をとらえ、上向かせる。
 
 そくり、と藤吉郎の背に悪寒が走った。

 笑っているのに・・・信玄の目は、暗くよどんでいる。

「俺が怖いか?」
「・・・・・・・・・・」
 無言で固まる藤吉郎に、くっくっと信玄が笑う。
「まぁいい。俺は躑躅ヶ崎に帰って藪を突付いてくる・・・少々忙しくなりそうだ」
「・・・・・・・。・・・・・・・・・」
 いったいこれのどこが体調を崩しているというのか・・・数日前の信玄の蒼白な顔色を知らなければ、また
 謀かと思うところだ。
 父が子を、子が父を。戦乱の世といえ、あまりに悲劇。
 だが、信玄はすでに決めてしまっている。藤吉郎さえ、それを留める理由をもたない。
 いくら考えようと、義信の在、不在を量りにかければ後者の利のほうが大きいのだ。
 
 また一つ、命が失われる・・・。













「昌幸殿、父上は発たれたのか?」
「はい、すぐにお戻りかとは思われますが・・・・勝頼様。どうか私のことは呼び捨てにして下さい」
 勝頼は、そう藤吉郎が何度頼んでも『殿』という敬称を外そうとはしない。
「それは出来ませぬ。己より優れている人に対して、礼を欠くようなことは真似はできません」
「勝頼様・・・」
「そのように困った顔をなさらないで下さい。私は本当にそう思っているのですから。・・父上は兄上のところへ
 参られたのですか?」
 藤吉郎は首を振る。
「確かなことを伺ったわけではありませんが、おそらく」
 勝頼がほぅと息を吐いた。
「私にはわかりません、何ゆえに兄上はあれほど父上を嫌われるのか・・・父上ほどに素晴らしい武将なぞ
 天下を探してもそうはおらぬと思われるのに・・・私は父上の息子として生まれたことを誇りに思いながらも
 病がちなこの身が恨めしいのです。もっと健常な体であれば、戦場にて父上の役に立てるのに」
 
 (ああ、この方には”欲”が無い。全てを手にしようという覇気が・・・)

 分不相応な覇気は義信のように破滅を呼ぶが、全く無いというのも戦国の世にはつらいだろう。
 義信の覇気と勝頼の深慮・・・二つのものが一つの人格に宿っていたならば、武田の将来は憂うことなく
 末永く安泰であったろうに・・・。
 自身の世だけではなく、それを先の世まで続かせるというのは何と難しいことだろう。
 そして藤吉郎は思う。
 歴史の重大な一つとなるであろう、この場所に自分が存在するという不可思議さ。

「・・・・勝頼様。そろそろ城へお戻りになったほうがよろしいかもしれません」
「昌幸殿?」
 いくら話し合おうと、信玄と義信の決裂は確実。
 大げさに兵と兵をぶつけあうようなことにはならないとは思うが、義信が失脚すれば次期当主最有力候補で
 ある勝頼がここに居るのは危険だ。
「昌幸殿は・・・・・・、わかりました。一両日中に高遠の城へ戻ることに致します」
「勝頼様、御身大事に」
「・・・・・・。・・・・・・」
 身辺には気をつけろ、と藤吉郎は言ったつもりだが、勝頼にはこれで十分に通じるはず。
「昌幸殿・・・・・ありがとうございます」
 悲しげに目を伏せた勝頼は、藤吉郎の前から去っていった。










































 さんざんに陵辱され、気を失うように闇へ落ちていった藤吉郎は傍らの緊張する気配にぼんやりと目を
 開けた。寝所より身を起こした信玄は、障子の向こうに現れた密やかな気配に誰何する。
「・・・飯富兵部が弟、三郎兵衛でございます」
「うむ、何ぞ?」
「お館様に急ぎ、お知らせしたき事ありこのような時刻にまかりこしましてございます」
「許す」
 信玄の言葉に三郎兵衛は義信に謀反の心あり、と告げる。守役である自分の兄が不穏な動きをもって
 兵をこちらへ向けている、と。
「仕方が無い。躑躅ヶ崎へ帰るとするか」
 信玄はその動きを予想していたかのように、いや、実際に予想していたのだろう女駕籠を用意させ、闇に
 乗じて、藤吉郎と共に躑躅ヶ崎へ帰還した。
「義信はどうあれ、兵部は武田にとり失うには惜しい将だ」
「それなら・・・」
 まだ事は起こっていないのだ。今ならばまだ間に合う。
 そういう藤吉郎を信玄は二人以外誰の気配もしない奥寝所にて、抱きしめた。
「武田を存続させるならば・・・な」
「・・・・・・・・!?」
 信玄は藤吉郎の首元に顔をうずめながら、くつくつと笑う。
「あんたは・・・・っ武田をこの国を・・・滅ぼしたいのか・・・っ!」
 藤吉郎の声が怒りに震える。
 確かに藤吉郎はそれを望んでいる・・・だが、それなら元から藤吉郎など必要なかったではないか。
 無理やりにこんなところへ連れてくる必要なぞ。
「人の心とは複雑怪奇よな。滅びへの道を辿ろうとすれば、それに反しようとするものが現れる。滅びて
 しまえという願いの裏で、逆の望みを抱く。こんなに矛盾した生き物は他におらんな・・・・さて、藤吉郎。
 お前の望みの辿りつく先はどこになるだろうか?・・・楽しみなことだ」
「・・・・・・・。・・・・・・っ」

 狂気と正気の狭間。

「ああ・・・っ」

 (オレ、は・・・・人が死ぬのは嫌だ・・・傷つくのを見るのは、嫌・・・だ・・・・っそれなのに・・・っ)

 この身は血に染まっていく・・・・。


「許さぬぞ・・・藤吉郎。狂うなよ。お前は正気で我が武田の行く末を目に焼き付けるのだ」
「・・・・・・狂うこと、が出来れば・・・いっそどれだけ・・・楽か・・・」
「お前は狂うことは出来ぬ、絶対に」

 狂った俺の傍に居る限り。


 信玄の囁きがいつまでも、藤吉郎の耳に残った。





















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+あとがき+

次あたり、ちょっと修羅場がある・・・かもしれない。
無い、かもしれない(どっちだよ)


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