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 1561年。
 この年、歴史に名高い川中島での四度目の戦いの火蓋が切って落とされた。
 
 信玄は春日弾正の進言による海津城を、謙信が関東進軍に手間取っている間に完成させ、合戦に備えて
 万全の策をめぐらせていた。

「忌々しい、謙信めが。今度こそ息の根を止めてくれるわっ!」
 信玄の言葉に武将たちからも次々と声があがる。
 謙信との川中島を挟んでのにらみ合いから五日目、武田軍は補給のために海津城に入り、謙信の動きに
 最大の注意を払いつつ、小休止をしていた。
 武田2万、対する上杉は1万8千。ぶつかりあえばただではすまない戦だ。
 上の人間が勝つと思いこみ、士気をあげねば下の兵が逃げていく。
「さて、どう攻めるか」
「正面から攻めては敵が逃走してしまう可能性があります。ここはお味方を二手に分け挟撃してはいかが
 でしょうか?」
「ふむ、だが敵はこちらの思惑通りにうって出るだろうか?」
「敵もわざわざ顔見せだけにこの場には出てきておりますまい。我らと同じように時期をうかがっているので
 ございましょう」
 この意見には誰もが納得し、またその”時期”がいつかが問題となった。
 うまく敵の動きを読まなければ、最悪、ざわざ本陣を手薄にして上杉に攻め落とさせることになる。
 この読みが勝敗を喫することになるのは間違いない。
「この霧で視界が悪い。これが晴れるまでは相打ちの可能性も出ますからあちらも仕掛けては来ないでしょう」
「この霧に乗じて動き、上杉が山を下り本陣に打ちかかったときに背後からつく・・・その策は良い。本陣に
 1万を残し、あとの1万を背後からの攻撃にまわそう」
 信玄が傍に控えている藤吉郎に視線をちらりと走らせた。
 この場で藤吉郎はまだ一言も発言していない。新参者の藤吉郎には今ひとつ川中島の地理も気候風土も
 わからない。何か言おうにも言えないのだ、ただ・・・。
 上杉謙信、彼の天才ぶりは音に聞く。
 果たしてこちらの思惑どおりに動いてくれるかどうかは、甚だ疑わしいといえよう。

「兄上。しかし、敵が裏の裏をかいたらどういたします?」
 言うべきか否かと迷っていた藤吉郎より先に信玄の弟である信繁が口を開いた。
「裏の裏とは?」
「敵が霧の晴れないうちに、この本陣へ向かい攻撃を仕掛けてきたらということです」
「なるほど、そうすると挟撃にそなえ潜んでいた1万の軍が待ちぼうけをすることになりますな」
 信繁の言葉に、何人かの家臣が確かにと頷いた。
 その間、敵は本陣を猛烈な勢いで攻めるだろう。
「そのようなこと考える必要はござらん!」
 それに否やを唱えたのは信玄の息子である義信だった。
 叔父である信繁や、同意した武将たちを馬鹿にしたように眺めると信玄に言い放つ。
「たとえ、そのようなことがあったとしても我ら本陣1万の軍で越軍など蹴散らしてやりますっ!」
 藤吉郎は血気盛んなことだ、と思った。
 確かに戦は勢いだが、義信のは意気をあげるための言葉ではなくただの無謀と称されるものに近い。
 
 (思慮が足りない・・)

 信玄にしろ、信繁にしろ・・・どちらも状況において最善の策と最悪の事態を考え詰めた上で敵を討つ。
 戦というものは義信のように己の力を過信して、ただ戦えばいいというものではない。
 そういう戦いは采配する将ではなく、一兵にまかせておけばいい。将とはいかに被害を最小限におさえつつ
 確実な勝利を得ることができるか、それこそを最優先に考えなければならない。
 無謀な将に兵はついてこない。国もまたしかり。
 何故、そんなことが義信にはわからないのか、同じ武田の血を引く身であるのにと思うと不思議で仕方ない。
 このままでは信玄と信繁の両者の心配は杞憂で終わらないかもしれない。
 
 果たして、信玄はどのような決断を下すのか。
 瞑目し、しばらく考えていた信玄はかっと目を見開き決断した。

「今回の戦の目的は越軍を徹底的に叩くことにある。多少の犠牲、危険は覚悟の上だ。軍を二つに分け、
 挟撃して叩くことにしよう」
「「「「「「はっ!!」」」」」」」
 信玄の決定は絶対だ。
 反対した信繁も頭を下げた。










「昌幸、近く」
 諸将の部隊編成を決め、送り出した海津城、主の間には信玄と藤吉郎の二人だけが残った。
 見張りの兵さえ部屋の近くには置いていない。
「・・・・・信玄様っ」
 強く引き寄せられ、固い畳の上に押さえつけられた藤吉郎に信玄が覆いかぶさる。
「どちらが勝つであろうな、この俺か・・・謙信か」
 抑えた口調に戦いに望む昂揚感が滲む。
 普段、勢いがあり猛々しい雰囲気を前面に押し出しているぶん、己を抑えている信玄は爪と牙をとぎ、
 今にも獲物に襲いかからんとする虎のようだ。
 今までで最大の合戦になるこの戦がどれほど、信玄に重圧を与え、また興奮させているかわかるというもの。
「・・・負けるつもりは、無いのでしょう・・・っ」
 藤吉郎の言葉にふと驚いた顔をみせた信玄はくつくつと笑い出した。
「そう・・・その通りだ。藤吉郎」
 藤吉郎の着物の懐をくつろげ、露になった胸に朱の痕を浮かびあがらせながら満足そうに呟く。
「俺は勝つ・・・必ず、何があろうと・・・」
「・・・・・・」
 何故、戦国武将は誰もかれも揃って天下を欲しがるのか。藤吉郎には理解できない。
 天下をとったその先を見据えている武将は果たして幾人いるものか・・・
「お前は、誠心誠意俺に仕え、策をめぐらすがいい」
「・・・・・・んっ」
 戦時中はともかく、藤吉郎の身体は信玄に日も夜も無く抱かれ、少しの愛撫ですぐに反応してしまう。
 快楽をむさぼるあさましい体とは逆に思考はクリアに冷えていく。
 だから藤吉郎は情事の最中は固く目を閉じ、ただ抱かれるにまかす。察しのいい信玄のこと、最大限の
 注意を払わねば藤吉郎の内心など容易くよまれてしまう。

 いつか、いつの日か。
 その命をこの手で奪うまで。























「信繁様、御武運を」
 それぞれの持ち場に別れていく武将たちは信玄に言葉をかけて貰い、散っていく。
 信玄の傍に目立つことなく控えていた藤吉郎はその誰一人にもさしたる言葉をかけはしなかったが、ただ一人
 立ち去る信繁に歩み寄り、頭を下げた。
 おそらく、信繁はこの戦いにおいて最も激しい場所に身を置くことになるだおろう。
 作戦が成功するならまだしも、信繁自身が心配したように作戦が失敗した場合には・・・命の保障は無い。
「在り難く、真田殿。どうか兄上を頼む」
「・・・大丈夫です」
 厳しい表情を信繁はわずかに緩めた。
「この戦は兄上自身にとっても、我が武田にとっても最大の賭けだ。・・・そのためならば我が命など大した犠牲
 とも言えぬ・・・・いや、むしろ。武田の未来の栄華を夢見て逝けるぶん幸せかもしれぬ」
「そんな・・・あなたは武田にとって無くてはならない方です。どうかご無事に・・また見えることができますよう」
「そうだな・・・・そうであればいい。だが、私は幼い頃誓ったのだ」
「・・・・・・・?」
「いつだったか、真田殿は兄上亡き後の武田を私にどうするのかと問うたことがあったな」
「・・・はい」
「そして、私は不要な問いだと答えた。・・・私は己自身に誓っているのだ、この身の全てを兄上に捧げ、兄上
 より後に決して逝きはしない、と」
 藤吉郎は目を見開いた。
 微笑さえ浮かべる信繁はそんな藤吉郎を穏やかに見つめていた。
 覚悟を決めた男の顔だった。





「・・・行ったか・・・」
 信繁が側近を率いて本陣を出るのを見送った藤吉郎の背後に信玄の声がかかった。
 藤吉郎はゆっくりと振り返り、信玄の顔に浮かんでいた愉悦に言葉をなくした。
「あれは俺によく尽くしてくれた。才知にたけ、武もよくし、俺に従順だった」
 信玄は全てを過去形で語る。もう存在しない人間を語るように。
「亡くすに惜しい、我が武田のためには。だが、俺の望みには邪魔な男だ」
「・・・何を・・・」
 信じられないという思いに身体を振るわせる藤吉郎の顎を掴むと、息が触れるほどに顔が近づく。
「まだ、お前はわかっておらぬ・・昌幸。俺は全てを欲するのだ。望むもの全てを・・・・そのためならばこの武田
 とて・・・・ただの道具だ」
 呆然とする藤吉郎の目の前で信玄は豪快な笑い声をたてた。
 藤吉郎には信玄が理解できない。
 武田のために仕えよと藤吉郎を無理やり引き抜いておきながら、美濃の戦いから軍師として取立て何かを
 させようとするわけでも無い。
 ただ傍に置いて・・・辱めるだけで。
 いったい何を望むというのか、その望みに果たして己は必要なのか。
 
 (・・・信長様は・・・よく理解できた)
 
 どこまでも真っ直ぐに生きる人だけに、わかりすぎてつらくなることさえあった。


「昌幸、俺の傍を離れるな。命の保障はせぬぞ」
 それはこれからの戦を指すのか、武田家でのことを指すのか・・・・。
 藤吉郎は、はっきりとはわからぬまま首を縦に振った。


 
















 川中島の合戦は信繁が危惧したとおり、上杉方が武田の策を読み霧が晴れるまでに本陣を攻撃してきた。
 上杉方の意気は『信玄の首、討ち取るべし』と兵たちにまで鬼気迫るものがあり、本陣奥深く突っ込まれ
 当初はあわやという場目もあったが、挟撃部隊がぎりぎりで間に合い、謙信はやむなく撤退を余儀なくされた。
 双方痛みわけ、やや信玄に軍配のあがった結果に終わる。
 
 そして、藤吉郎は二度と信繁と生きて見えることは無かった。





















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+あとがき+

前回からだいぶ時間が経ってしまい・・・すみません!
川中島の合戦模様を書くとただの歴史ものになってしまうし
・・・と思考錯誤してました。その結果がこれですが
果たして、いかがでしょう?
・・・話はまだ続きますけどね(苦笑)


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