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| 1556年。 藤吉郎か美濃から帰参して1ヶ月経った頃のこと。 信玄は思わぬ客に笑いを漏らしそうになっていた。 客は尾張からの隠密裡にやって来た使者・・・つまりあの信長の配下の武将だった。 舅を亡くしたばかりの信長がいったいこの信玄にどんな用事であろうかと思案する。 まさか、美濃に仕掛けたことへの苦情では無かろうが・・・。 「・・・今川のことであろうな」 まずそれしか無いだろうが、あの信長のことだ。 どんなうつけた事を言ってくるのか信玄としては楽しくもありまた不気味でもある。 信玄は使者の前に姿を現すと話を促した。 「信長公においては、武勇轟きたる信玄公と是非よしみを通じたいとのことでございます」 「何とな。これまたはっきりと言ったものだが、俺は信長公とは敵対している今川と三国 同盟を結んでいる。その今川公を裏切るような真似はしたくは無い」 「はい、ですから隠密にと・・・」 あの信玄を堂々とオヤジ呼ばわりしていた信長の姿を思い出す。 そう考えても他人に頭を下げて何かを頼むような性格には見えなかった。 だが、あの運命さえ従えようとする覇気だけは目を奪われた。 とうとう動くか・・・。 今川は上洛を決意している。 その旨の使者が信玄のもとには来ていた。 今川が動くということは尾張に攻め入るということだ。 世間の風評でいけば、今川と織田ではまるで比較にならない国力の差があり、攻め 入られればまずもって滅ぼされるのは織田方であろうとされている。 だが、あの信長が黙って見ているとは思えない。 さて、どうしたものか・・。 信玄としては信長にはあまり生きていて欲しくない。 だが、ここで今川に尾張を渡せば天下の鍵が一気に今川に流れ込むことになり、 それは甚だ都合が悪い。 誰を助けるべきか・・・・。 信玄は思案しながら確たる返答なく使者を帰した。 その使者と入れ替わるように上杉へ放っていた間者、山本勘助が帰還した。 謙信の動向を聞いた後、信玄は勘助へ新たな任務を命じた。 「尾張へ行って、その人となりを知って来い」 「尾張と申されますと・・織田信長公でございますか?」 「そう、尾張のうつけ殿だ」 信玄は皮肉ってそう言ったが、本気でそう思っているのでは無いことは感じ取れた。 「畏まりました」 「一筋縄ではいかぬ相手ゆえ心して探れ」 「はっ」 それで話は終わりだと立ち上がり去ろうとした信玄は勘助を振り返った。 「・・そういえば、お前にはもう会わせてあっただろうか?」 「・・は?」 何のことかわからず勘助は首を傾げた。 「俺の新しい軍師、真田昌幸だ」 「いいえ、初めて耳にします」 「では、尾張に行く前に会っていくがいい」 「はい」 信玄の真意は掴めなかったが、新しい軍師とやらに興味をひかれた勘助は言われる ままに頷いた。 さて、その軍師に会おうと信玄の近習に居所を聞いた所、勘助は驚いた。 有力な武将はこの躑躅ヶ崎館の近辺に屋敷を与えられているのだが、その軍師は その躑躅ヶ崎館へ住んでいるという。 しかも信玄の寝所のすぐ近く、信玄自らが用意させたという部屋に。 ・・・まさか、軍師とは名ばかりの色小姓か? だが、武将たちの軍師に対する言動には格下の者に対するのではない敬意が見て 取れた。 勘助が離れていた僅かの間にこうまでに影響力を与えるとはただ者ではない。 ましてや色小姓程度に信玄がわざわざ会って行けなどと言うはずも無い。 武将の中にはそういう寵童を見せびらかしたいという輩もいないでは無いが信玄は 無駄なことが嫌いな男だ。 そんな様々な思惑を抱きながら勘助は真田昌幸という人物の部屋の前に座っていた。 「・・失礼。真田殿はご在室であろうか?」 勘助は部屋の外から声をかけた。 襖は締め切られているので中の様子はわからない。 少々待ってみたが返事はかえらなかった。 留守にしているか・・・それとも休み中であろうか。ならば出直して来なければならない と背後を振り返った勘助は心臓が飛び出るほどに驚いた。 人が立っていたのだ。 年の頃にして、17,8。おそらく二十歳は越えて居ないだろう。 その青年はぼんやりと勘助を見ていた。 「・・・あの、何か御用でしょうか?」 青年はおずおずと勘助に尋ねた。 さては、真田殿付きの従者であろうと勘助が用向きを伝えると青年は僅かに表情を 緩ませて勘助を部屋と入れた。 青年は勘助を上座へ座らせると少しの間姿を消し、今度は茶を運んできた。 「どうぞ」 「有難く」 とは言ったもののこんなところでのんびりと寛いでいる暇の無い勘助は湯のみ口に 礼儀程度に口をつけただけで真田殿は何処に?と青年に問うた。 青年は今度は困ったように頭をかき、勘助へ一礼した。 「真田昌幸は私です」 「・・・・・・・」 勘助はしばらく言葉が出なかった。 真田昌幸という人物は並み居る武将が尊敬の念を抱くほどに常人とは違った・・・ そう、言うなれば遠く中国に伝わるかの孔明の如き眉目秀麗、頭脳明晰な人物で あろうと思い込んでいた。 だが、目の前の青年は・・・言っては悪いがどこにでも居るような朴訥然とした十人並 の器量で才気溢れるといった気配も感じられない。 だいたいどこの世界に部屋の主自身が茶を運んでくるというのだ。 だが・・・ただ不思議と黒よりは薄い、鳶色と言っていいような瞳には引かれた。 「あの・・・」 はっと勘助は我にかえった。 「これは・・申し訳ござらん!まさか貴殿が真田殿とは知り申さずご無礼を・・」 「あ、いえ・・どうぞ気にしないで下さい」 よくあることなので、と青年・・真田は決まり悪げに頭をかいた。 はて、この青年が軍師とは・・自分は信玄にかつがれたのか、ととまどう。 「拙者、山本勘助と申す者でございます」 「ああ、あなたが。お名前はよく伺っています」 ごく当然のようにかえした真田の言葉に勘助はひやりとした。 勘助は他の武将のように戦場で武功をたてたわけでなく、その名を知る人間という のはこの甲斐の国でもそう多くは無い。 また自分の名をよく知っているというのはこの甲斐の裏にもよく通じているということ でもある。 勘助はこの真田という人物は見た目どおりの者では無いと改めて認識した。 「実は、お館様に言われてここに参りました」 「・・・信玄様に・・・?」 「拙者、先ほどお館様に新しい命令を頂き尾張に行くことになり申した」 その途端、今まで穏やかだった真田の顔に悲痛な表情が浮かんだ。 だが、それはすぐに消えうせ元の穏やかさを取り戻す。 さては見間違いであったか。と勘助が思うほどに。 「・・・尾張へはどのようなご用事で・・?」 「織田信長公の人となりを知って来いと」 「信長公の人となり・・・」 「つきましては何か尾張について真田殿には知恵がござろうか?」 真田はふと厳しい顔つきになり、腕を組んだ。 「そうです、ね・・・織田信長公について何かご存知ですか?」 「奇矯な振る舞いが目に余る、うつけ殿だと世間の噂で・・」 「山本様はどう思われますか?」 「わかりませぬ。実際に我が目で確かめたわけでは無いので・・・しかし、ただのうつけ 殿では無いと思います」 風評通りの人物ならば信玄が気にするはずも無い。 「私もそう思います。山本様。信玄様より聞きましたがかつてあなたは謙信公のことを 天才だと評したことがある、と」 勘助は頷く。 「おそらく、信長公も天才です。しかも底が見えないぶん謙信公よりもさらに厄介な」 「天才、でござるか・・・」 「信長公の人となりを知るにはその傍近くに行くということ・・信長公は山本様の素性を 見破ってしまわれると思います」 「何と・・・」 「けれど、信長公は気にしないでしょう。気にしないどころか知っていて山本様を使って やろうと思うかもしれない。常識外れの奇矯な振る舞いも常人にはわからぬ仕儀も 全てはその才ゆえ」 「・・・・何やら、こうお館様に似ているような・・・」 「・・・そう、かもしれません。似ていらっしゃるのかもしれません。信長公も無駄なことは 嫌いだということですから・・・」 寂しげな笑みを浮かべた真田はとても今をときめく武田家の軍師とは思えぬほどに 儚げで頼りなく見えた。 「・・・一つだけご忠告をしたいことがあります」 「何でござろうか?」 「この、私の顔を見ても動揺されたりそれを信長公に感づかれたりはしないように 気をつけて下さい。あなたのお命に関わることです」 「・・・・は?よく意味がわかり申さぬが・・・・?」 「今はわからなくても、おそらく時が来ればわかると思います。私の言葉をよく覚えて おいて下さい・・・お願いします」 勘助は納得しかねながらも真田の真摯な瞳にわかりました、と答えたのだった。 「我が国の細作はどうだ?」 勘助が立ち去った後、部屋の奥の襖が開き、信玄が姿を見せた。 吐息を吐きそうになったのを飲み込み、真田・・・・藤吉郎は答えた。 「実直で有能な方ですね」 「そうであろう。勘助は我が間者の中でも1,2を争う有能な者。いずれはこの武田軍の 一翼を担う将となろう」 信玄は藤吉郎の前にどかりと座る。 「お前もだいぶ武田の軍師らしくなってきたようだ」 「・・・私は・・・武田の軍師です、から・・・」 「お前は武田の・・・この俺の軍師だ。忘れるな」 信玄の全てを見透かすような目が藤吉郎を絡めとった。 |
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+あとがき+
一気に川中島合戦(4回)まで時代を進めようと
思ったんですが・・・もう少し殿の様子なども書いて
見たくなったので桶狭間ぐらいまで頑張ります(笑)