4.指輪の枷






 一行は気を失ったフロドを休ませるため、街道沿いの宿屋に入った。
 あまり散らばらぬほうが良いというガンダルフの言葉に、部屋は二つ。しかしながら、皆は自然とフロドと
 ボロミアが眠っている部屋へと集まり、行われた奇跡についてガンダルフを問い詰めた。
 彼だけが事情を知っていると思われたからだ。
 もう一人事情を知っていそうなコックのサムは蒼白なフロドの看病にそれどころでは無い。
 その鬼気迫る様は邪魔をすれば、ただではすまないだろうと一同を恐れさせるほど・・・。


「ガンダルフ、フロドはいったい何者ですか?ただの僧侶ではありませんね」
 アラゴルンは単刀直入にガンダルフを問い詰めた。
「古今東西、ナズグルと成り果てたものが元の人間に戻るなど聞いたことが無い。エルフにさえ無理だ」
 ガンダルフは、吸っていたパイプを口から取り出すと白い煙を吐き出した。
「フロドは、フロドじゃ。それ以外の何者でも無い」
「ガンダルフ・・っ」
「じゃが、重い運命を背負っておる」
「・・・・・・」
 一同は、ガンダルフの言葉を一言一句聞き漏らすまいと耳をすませた。

「フロドが持っておる指輪・・・あれは魔王サウロンに与えらたものじゃ」
「「「「!?」」」」
 一同息を呑み、眠るフロドを見た。
「あの指輪には、太古の神々の未だこの世にあった時代の知識が詰め込まれておる。フロドが使った呪文も
 また、その知識の欠片によるものじゃ。・・・しかしじゃ、限りある命の身でその知識を操ることは相当な負担
 を強いる。フロドが倒れ、未だ目覚めぬようにな」
「では、あなたが嵌めればいいのでは?ミスランディア」
「ワシでは駄目なのだ。いや、フロド以外には何者も無理だろうて」
「何故です?」
「魔王にただ一人、指輪を持つことを許されたのがフロドだからじゃ」
 沈黙が降りた。
「ガンダルフ、それではまるでフロドが魔王の僕の一人のように聞こえるが?」
「それは違う。フロドは好き好んで指輪を身に帯びているわけでは無い。あれは指輪という名の枷じゃ」
 そこでガンダルフは口を閉ざし、眠るフロドを痛ましげに見やった。
「・・・フロドはこの暗黒の世において、驚くほどに穢れから遠いところに在る。誰よりも純粋な存在なのじゃ」
 皆は、一点の曇りもないフロドの蒼の瞳が思い出した。
 ガンダルフは目を閉じ、遠い記憶に思いを馳せる。
「―――あれは、フロドが成人を迎える日のことであった。言祝ぐ我々とフロドの間に禍禍しい黒い影が現れた。
 黒い影はフロドを覆い、フロドを助けようとする我々の攻撃は何一つとして効果が無かった。影はおぞましい
 声でフロドに告げた」





 ――― 我が半身よ、と。





「な・・・・っ」
「フロドは怯え、顔を蒼白にし・・けれど影に負けまいと強い意志を瞳に浮かべておった。・・・黒い影は続けた」


 ―――― 我が半身よ、我が傍らに。我が力となり、その全てを捧げよ。


「弱い精神の者は、その声だけで陥落したであろう・・・だが、フロドは首を振り、微弱な声で否、と告げたのじゃ」

 ―――― 我が半身よ、我を拒むか・・・それも良かろう・・・

 広間に風が吹き荒れ、黒い影は大きさを増した。



 ―――― 我をいつまで拒むことが出来るか、楽しむとしよう・・・
 
―――― 我が半身よ、我はいつでもお前を受け入れる。
 
―――― 我が誓いの証に指輪を授ける・・・そなたの力となり、我が元へ引き寄せる。
 
―――― 我が半身よ、そなたは呼ぶであろう。その指輪を左に嵌め・・・我が名を。
 
―――― 我を招くであろう。自ら・・・



「・・・黒い影は哄笑と共に姿を消した。―――気を失ったフロドを助け起こしたとき、右手の指にあの指輪が
 はまっていたのじゃ」

 一同は言葉を無くし、眠りつづけるフロドを見た。
 あの小さき身にそのような過去が隠されていたとは!







―――― だが、ガンダルフ。その黒き影はまことに魔王であったのか?魔王ならば、何故半身と呼ぶ
 フロドでは無く、アルウェン姫を浚ったのかわからない」
 フロドに痛ましい視線を注ぎながら、アラゴルンは浮んだ疑問を口にした。
「アルウェン姫は・・・」






―――僕の身代わりと・・・なられたのです」







 フロドが起き上がり、一同を見ていた。


「フロド様!まだ起き上がっちゃなんねぇですっ!」
 まだ顔色の悪いフロドを気遣い、起き上がろうとするのを慌てて止める。
「いいんだ、サム。・・・僕が、話さなければならないことなのだから」
「フロド様・・・」
「フロド、無理をしてはいかん」
「大丈夫です、ガンダルフ・・・全く元の通りとはいきませんが、話くらいは出来ます」
「全く・・・そなたは時々、恐ろしく頑固じゃな」
 ごめんなさい、と小さく呟いたフロドは、驚いた様子で自分を見る、アラゴルン、レゴラス、ギムリ、ファラミア
 に順々に顔をめぐらし口を開いた。

「僕は、魔王から与えられたこの指輪を指からはずし鎖に通して20年の間持っていました」
「20年!?・・・もしかしてあなたは見かけどおりの年では無いのか?」
 ファラミアが驚き、問い掛ける。
「僕がどんな年に見えるかわかりませんが・・これでも50歳になります」
「50!?・・・何と私より年上なのか・・・」
 ファラミアは目を見開き、驚くが後の一同は僅かに声を漏らしたのみ。
 エルフもドワーフも人間より遥かに長命な種族だからだ。アラゴルンに関しては顔にあまり出ないため
 わからない。
「20年・・・まさか魔王はそれほど僕が耐えるとは思わなかったのでしょうね。業を煮やしたか、王宮の神殿へ
 姿をあらわしたのです」
 そのときのことを思い出したのか、フロドは身震いした。
「丁度、アルウェン王女がいらしている時でした・・・王女は咄嗟に僕をエルフのマントで隠すと信じられない
 ことに、魔王の前に立ちはだかったのです。・・・王女は強い方です、でも魔王には及ばない。それはわか
 っておられたでしょうに・・・ああ!王女は僕の目の前で、魔王に僕を呼ぶ人質として連れ去られてしまった
 のです・・・っ」
 フロドは悲痛な叫びをもらし、顔を下げた。
「・・・王女は、フロドのことを弟のように、息子のように愛されておられたのじゃ」
 ガンダルフは付け加え、フロドの肩に手を置いた。
「己を責めるではない、フロド。そなたのせいでは無い」
「いいえ、いいえ!」
 フロドは聞き分けない子供のように首を振る。
「僕が・・・魔王のところへ行けば良かったのです!」
「違うぞ、フロド。そなたがもし、魔王の傍らに行くことを望んだならば我らは真っ先にそなたを殺さねばなら
 なかった。・・・魔王に更なる力を与えるわけにはいかなかったからじゃ。そなたはよく耐えておる・・・指輪
 の魔力は日増しに強くなっておるだろうに」
「・・・ガンダルフ・・っ」
 最もフロドの近くに居たガンダルフだからこそ、フロドが日増しに指輪の魔力犯されていることを感じていた。
「しかし、そんな身で何故わざわざ魔王に近づくような真似をする?」
 アラゴルンが聞く。
「・・・指輪は、どのような武器でも壊すことが出来ません」
「この指輪がフロドの元にある限り、永遠に囚われ続ける。フロドを指輪から解放するためには、この指輪を
 魔王の居るモルドール、火の山の火口へ投げ込むしか方法は無い」
「僕の、意気地の無さがそれをずっと躊躇わせていました。・・・でも、アルウェン姫がさらわれ、このままでは
 いけないと決意したんです。・・・それで、ガンダルフにお願いして一行に加えてもらうことにしました」
――― なるほど」
 アラゴルンは深く納得した。
 いくら強力な治癒魔法が使えるからといって、このように頼りない風情のフロドを旅の仲間にガンダルフが
 選んだことがずっとひっかかていた。
 このような事情があったからなのか。

「だけど、フロド。君が近づいていることを魔王は気づいてるのでは無い?」
「はい、そうだと思います、レゴラス。・・・でも、魔王はきっと僕がついに指輪の魔力に負け、引き寄せられて
 いるのだと勘違いしていることでしょう」
「・・・まさか、自分の意思で捨てるために近づいているなんて思ってもないってことか」
 魔王の裏をかくわけだ、とレゴラスがにやりと笑う。
「それが我らに与えられたチャンスだ。これを逃せば、二度と指輪は捨てられぬ・・・魔王は警戒し、フロドは
 その魔手に落ちるだろう・・・世界は闇に覆われる」
「「「「・・・・・。・・・・・」」」」
 姫を魔王から救い出すという目的が、ここにきて更なる過酷さを増した。

「・・・・ごめんなさい、皆さん」

「フロド様?」
「フロド?」
 寝台の上のフロドがアラゴルンたちに向け、深く頭を下げている。

「・・・本当なら僕が一人で行くべきことなのに・・・巻き込んでしまって・・・」
 フロドはぎゅっと胸元に隠れる指輪を握り締めた。


――― ここからは、僕が・・・僕だけで行きますから」


「!?フロド様ッ!何を仰いますだ!!」
「・・・ごめんよ、サム。でも僕は誰も・・・この指輪のために犠牲になって欲しくないんだ」
「・・・フロド。モルドールは遠い。一人でたどり着けるような場所では無い」
「ガンダルフ・・・でも、この指輪がある限り・・いつかは、そこにたどり着くでしょう」
 ふと、フロドの小さな肩に手が乗せられた。
「・・・アラゴルン?」
「フロド、俺は巻き込まれたのではない。自ら選んだのだ。この旅を続けるか、終わらせるかもまた、自分で
 選ぶべきことだ。君が責任を感じることでは無い」
「そうだよ、フロド。私も自分で選んでここまでやって来たのだ。今さら引き返せなんて酷いことは言わないで
 欲しいな。知ってるかい?エルフは悲しいと死んでしまうのだよ」
「・・・・・・こいつを見る限りはただの迷信としか思えんがな。だが、フロド。ドワーフはたかが魔王に臆する
 ほど臆病者では無い。こうなっては最後のは最後まで付き合うぞ」
「・・・アラゴルン、レゴラス、ギムリ・・・」
 フロドの青い瞳に、涙が浮かぶ。
「フロド様!俺も、絶対に最後まで離れねぇですだ!」
「サム・・・」
「私も騎士としての務めを放棄するつもりはない、フロド」
「ファラミア・・」
 フロドは旅の仲間一人一人の顔を眺め、顔を歪ませた。
「フロドよ、皆覚悟は出来ておる。そなた一人を苦境へ追いやりはせぬ」
「ガンダルフ・・・」

 打倒魔王。姫奪還。そして、指輪を葬り去る。
 彼等は自身に与えられた使命を選びとり、果たすために力を合わせることを誓い合った。








卍3   卍5