3.奇蹟
「兄上っ!」 そう叫んだファラミアの言葉に、一同は攻撃の手を止めた。 ナズグルの被っていたフードが風に飛び、漆黒の兜はガンダルフの呪文により飛ばされた。 その現れた顔は、パーティの仲間であるファラミアの面影があり、空ろな目には何も映っていない。 その顔を、ファラミアは凝視し、仲間は困惑してファラミアを見つめる。 「ファラミアッ!」 呆然としているファラミアの名をアラゴルンが叫んだ。 近しい人間であろうと、ナズグルになってしまえば、心を無くし、魔王の命令にのみ従う闇の戦士と化す。 ガキィッ!! 「・・くっ・・!」 寸でのところでファラミアはナズグルの繰り出した剣を防いだ。 だが、次々に容赦なく続く攻撃にファラミアは反撃することもできず、ただ守備に徹する。 ファラミアの言葉とおりならば、ナズグルと言えど肉親。そんな相手に攻撃など出来るわけがない。 「兄上・・っ!兄上は・・・もう、このファラミアをお忘れかっ!!」 悲痛な叫びも相手には届かない。 「ファラミア、どけっ!ナズグルとなってしまっては、兄であって兄では無い!もう元には戻らぬっ!」 「・・・っ」 アラゴルンの言葉は正しい。ファラミアとて頭ではわかっている。 それでも納得できないことがあるのだ。 剣を引き、ナズグルの相手をアラゴルンにかわったファラミアは悔しさに歯を軋ませる。 誠実で、正義感の強い、優しい兄だった。 姫が魔王に攫われた時、王国の騎士として真っ先にモルドールへ乗り込んでいった。 だが、兄は戻って来なかった。 何故・・・っ。 「何故、こんなことに・・・っ!!」 「・・ファラミア」 悔しさに拳を握り締めたファラミアは、服の裾を引かれ我にかえった。 そこにはいつの間にか、出てきていたフロドの姿があった。 「・・何をしているっ!危険だぞ!」 「ファラミア・・・あの、ナズグルは・・あなたの、お兄さんなんですか・・?」 「―――― あ、ああ」 「そうですか・・・」 うつむいて何事か考えていたフロドは、ガンダルフを振り返る。 「・・・ガンダルフ」 「――― 止めても無駄のようじゃの。後のことはまかせておけ」 嬉しそうに頷いたフロドはファラミアを見上げた。 「・・・?」 「ファラミア・・・もしかするとあなたのお兄さんを助けることが出来るかもしれません。・・・協力して、 もらえますか?」 「!?・・それは、本当かっ!そんなことが可能なのか?!」 ナズグルと化したものが、再び元の姿に戻ったという話は聞いたことが無い。 「ええ・・おそらく。僕を、信じてくれますか?」 美しい青い瞳が、ファラミアを覗く。一点の濁りも無い、そのまなざし。 「・・・信じよう。頼む、兄上を・・どうか、助けてくれ」 フロドは小さな頭を縦に振る。頼りないそれが、驚くほど力強いと思った。 「では、アラゴルンと力を合わせて・・・あの、ナズグルを倒してください」 「!?」 「・・・出来ますか?」 「俺は君を・・あなたを信じると誓った。それが必要とあらば、成そう」 「―――― ごめんなさい、とても辛いことを頼みます」 「その価値があるのだ。そうだろう?」 「・・・はい」 フロドの顔が泣きそうに歪んだ。 ファラミアは、そのフロドの顔に触れ・・・額に口づけた。 「・・・行ってくる。兄上を頼む」 「はい、頑張ります」 剣を構え、ファラミアはナズグルと奮闘するアラゴルンの元へと駆けた。 「・・・おい、レゴラス。矢の向きが違うのでは無いか・・・」 「あはは、何を言っているんです、ギムリ。これが正しい方向というものだよ」 「・・・・。・・・・」 彼の矢は、ファラミアへと向けられていた。 もう少し、ファラミアがフロドから離れるのが遅ければ、間違いなくレゴラスはその矢を放っていただろう。 「・・・・。・・・・」 ギムリは、そろりと彼から離れた。 一方、フロドはサムに付き添われつつ、背負っていたリュックから何かを取り出している。 「フロド様、アセラスです」 「ありがとう、サム。・・・少しは助けになるから」 アセラスは薬草の一種で、傷口にぬると治癒が早まる。だが、そのような意味でフロドはアセラスを 必要としたわけではない。 「あとは・・・リング」 フロドは首元から鎖を取り出し、その鎖に通していた金色のいたってシンプルな指輪をはずし、しばらく 眺めると・・・右手の薬指にはめた。 「・・・フロド様」 サムの心配そうな声がかかる。 「大丈夫だよ・・・少しの間だけだから」 その指輪ごと手を組み合わせ、フロドは立ち上がる。 視線の先には、アラゴルンとファラミアがナズグルを追い詰めていた。 「全力を尽くすのは良い。じゃが、決して無理はするな。良いな、フロド」 「はい、ガンダルフ」 これから何が起こるのか知るのは、フロドとサム、ガンダルフの3人のみだった。 「フロド」 何かを決意しているらしいフロドにレゴラスが声を掛けた。 「援護が必要かい?」 レゴラスの問いにフロドは首を振る。 「・・・いいえ、僕が必要なのは、あの・・ナズグルが・・・ファラミアのお兄さんが倒れてからですから。 ・・・その後、たぶん皆さんにご迷惑を掛けてしまうと思いますが、よろしくお願いします」 「うん、まかしておいて♪」 よくわからないままも、レゴラスは安請け合いして笑顔で頷く。 その変わらない明るさに、フロドは少し気が楽になった。 その間も、アラゴルンとファラミアの剣がナズグルをとらえる。 「ファラミア」 最後の一撃は、自分がと目線で言えば、ファラミアは首を振る。 「いえ、・・・私に、させてください」 兄だからこそ。誰かの手にかかる前に、己で。 「わかった」 アラゴルンは頷くと、ナズグルの攻撃を一手に引き受け隙を作る。 ナズグルを相手にしても、アラゴルンにはまだ余裕があるように見える。恐ろしいほどの腕前だ。 彼が敵に回らぬことを祈るばかり。 「ファラミアッ!」 アラゴルンが叫ぶ。 「・・・兄上っ、ご覚悟を・・っ!!」 ファラミアの剣が、ナズグルの心臓の上を貫いた。 「あ・・・・」 GAAAAAAAA・・・!! 地の底から響くような呻き声をあげながら、ナズグルの手から剣が落ち、その体が倒れていく。 ゆっくりと。 それを驚くほど冷静に見つめているファラミアの、横から影が走りこんだ。 フロドだ。 「・・・っフロド!」 事情を知らないアラゴルンが、突然出てきたフロドをナズグルから引き離そうとする。 「良いのじゃ、アラゴルン。フロドにはやるべき事がある」 「ガンダルフ?」 フロドは、倒れたナズグルの脇に座り込み、短い祈りの言葉をつづり、指輪のはまった手をナズグルの 額へと置いた。ファラミアの剣が突き刺さった部分へアセラスを乗せる。 「・・・っガンダルフ、もしやフロドは復活を唱えようとしているのか!?・・・無理だっ、ナズグルはすでに 死した者!生き返ることなどありえないっ!余計な魔力を消費するだけだ!」 「復活では無い、アラゴルン。・・・じゃが、それ以上に強大な呪文じゃ」 それ以上は、ガンダルフは語らなかった。 「―――― ファラミア。お兄さんの、名前は・・・?」 固唾を飲み、見守っていたファラミアは静かなフロドの言葉に、しぼり出すように答える。 「・・・ボロミア。ボロミア、だ」 フロドが頷く。 そして、小さく呪文を唱えはじめた。 黒いナズグルに、白の僧侶服を着たフロド。 戦闘の後の、痛いほどの静寂の中に、不思議な余韻を持ったフロドの声が風に渦巻く。 今までに耳にしたことが無い美しい響きに、恍惚となる。 そして一同は、気がついた。 ナズグルの額に置かれているフロドの手が光っていることを――――否、手だけでは無い。 フロド自身も、ナズグルの体も青い光に包まれている。 『・・・リ・バース・・』 幾重にも重なった不思議なフロドの声が、力ある言葉を紡いだ。 それに応えるように、薄曇の空を裂き、天から凄まじい勢いで光の筋がナズグルを・・・ボロミアの体を 貫いた。 「「「!!!」」」 一同は声無く驚愕する。 光が弾け、周囲は白光に包まれた。 光が収まり、目を開くと、横たわったままのボロミアと、その上に倒れるフロドの姿があった。 「っフロド様!!」 サムが真っ先に駆け寄っていく。 「フロド様!大丈夫ですだかっ!?」 サムが倒れこんでいるフロドの肩をゆすると、うっすらと目を開け・・・微笑した。 「・・・大丈夫。胸が、動いて、る・・・・成功だ」 囁くと、がくりと脱力し、気を失った。 「サム、フロドには休息が必要じゃ・・休ませてやりなさい」 「はい、わかってますだ!」 ガンダルフに言われ、サムはフロドをかつぐ。 「・・・それから指輪を、元の位置へ」 「・・・はいっ」 「ガンダルフ、いったい何が・・・」 「・・・生きているっ!」 とまどう一同に、ファラミアの喜びに満ちた叫びが届いた。 「ああ・・神よ!兄上!!・・・ボロミア兄上!」 そこに横たわっていたのは、ナズグルの禍々しい雰囲気など一切ない、穏やかな男の姿があった。 その胸はゆるやかに上下し、呼吸をしている。 確かに彼は『生きて』いた。 「・・・信じられぬ・・・・これが奇蹟というものか・・・」 呆然と呟いたアラゴルンに、ガンダルフは静かに目を閉じた。 |