■ 天意、真に非ず ■
捌
| 「景麒、お前・・・」 「かつて、主...いえ、陽子様は戴の民を憐れと思し召し、救いの手を差し伸べられました。それが 十二国になるだけのお話です。聡明なる陽子様は、何を選ぶべきかおわかりになっているかと」 何か言おうとし、口を開いた陽子は何も音にはすることが出来ず、閉じた。 拳をきつく、握り締める。 「お前は・・・私を捨てるというのか、景麒」 「いいえ。ただ、なすべきことをしていただきたいだけです」 景麒の鉄面皮はいつものごとく、淡々と述べる。 「景麒・・っ」 強く握りすぎた手の内の、皮膚がぷつりと裂ける。 ――――殴ってやりたい これまで三十年。自分たちが築いてきたものは、全て幻だったのか。 そんなに簡単に手放されるものだったのか! 声を限りに叫んで、その顔を殴ってやりたいと陽子は思った。 だが、その手は振り上げられることはなかった。 殴れば、景麒は避けることなく甘んじて受けるだろう。・・・少しも表情を変えずに。 きっと、その顔に陽子は怒り・・・絶望するだろう。 「中嶋さん...主上」 震える拳に添わされた手は、景麒のものでは無かった。 「・・・自分を、傷つけないで・・・お願いです」 手のひらから流れ出る血の穢れを受けながら、泰麒は陽子のことをただ、気遣う。 その優しさに、涙が出そうだった。 膝を折ってしまいそうだった。 だが、歯を食いしばり、陽子は眉間に集まってくる熱を必死で散らした。 「あなたの憎しみは、どうぞ、この僕に・・・」 「・・・・・」 陽子の手を額に当て、伏せる泰麒。 「そんなこと・・憎しみなど・・・」 陽子の翡翠の瞳が不安定に揺れる。 生真面目で、時には麒麟よりも優しい陽子に憎しみを自分以外の誰かに転嫁するなどできるはずが無い。 「甘んじて、受けましょう。だって・・・僕は」 「あなただけの、僕なのですから」 泰麒の言葉に、景麒の白い顔に青みが増し、延麒は気まずく視線を逸らせた。 それは、まるで愛の言葉。 泰麒の、この場に居る全ての者に向けての勝利宣言のように思えた。 「・・・・・・もう、いい」 陽子の強張っていた顔に、微笑が零れる。 それは覇気の無い、空虚な微笑だった。 「私は、私のすべきことをしよう。こちらの世界に来て、こちらに生きることを選んだように・・」 あちらで生きることを諦めたように。 慶国の王であることを。 同じように諦めよう・・・・半身と言える存在に景王で在り続けることを否定されるならば。 「陽子っ!」 「六太君・・延王。・・・また、負担を掛けることと思いますが、よろしくお願いします」 景麒が選んだ王が立つまで、漸く立ち直りかけた慶国が再び沈まぬように。 「お前は、本当にそれでいいのか?」 「・・・はい」 「そんなに、お前は簡単にこの国を見捨てられるのか?」 「尚隆っ!」 「お前は、黙っておけ、六太」 有無を言わせない口調に、不服そうにしながらも延麒は口を閉じた。 「どうなんだ、陽子」 滅多に見ることの出来ない延王の真剣な表情は、大王朝を支える王らしい威圧感を備えている。 嘘偽りを許さぬ黒曜の双眸が陽子を見つめていた。 だから陽子も、逸らさず見つめ返す。 「―――― 見捨てないために、私は・・・」 景王であることを諦める。 |