-再動−











「三蔵」

 抱きしめられたまま悟空は顔を上げて三蔵に手を伸ばす。
 三蔵はその手を退けることなく、甘受した。
 悟空の手がそっと色を失ったままの白い頬に触れる。ひやりとした冷たい肌…だが、じわりと内の熱が手のひらに伝わってくる。

「三蔵。昔も今もこれからもずっと、ずっと好きだよ」
「………」
 冷たいアメジストが悟空を映して揺れる。
「本当に、すごく好き、なんだ」
 くしゃりと悟空の顔が泣き笑うように歪んだ。
「何物にも縛られない、前だけ向いて突き進んでいく…風みたいな三蔵が」
 悟空を抱きしめる三蔵の腕の力が強くなった。
「…離れる、な」
「…三蔵。オレなんかに縛られるな。錯覚するな」
 悟空は両手を握り締める。
「三蔵は何も離してない。縛られてもいない。…自由なんだ」


「自由なんだ!」


 悟空は三蔵の法衣を掴み、引き離した。
「いいかげんにしろよ!何だよ、このくらいでふらついて…っ悔しくないのか!?オレが焔のところに行ったのが腹立ったんなら、追いかけて来いよ!追いかけて、殴るなり蹴るなり、罵るなり好きにすれば良かったんだ!それなのに、無視して…挙句の果てにこんなんなって……オレのこと、よく馬鹿だ馬鹿だって言ってたけど、三蔵のほうこそ馬鹿だっ!」
「…っせー…煩い、馬鹿サル」
 聞き覚えのある言葉に、悟空の口角が上がった。
 三蔵の鬼気迫るような殺気がわずかに薄らいでいる。


「三蔵、オレは……戻らない


 背後で息を呑む気配がした。
 八戒だ。
「オレは、三蔵も好きだけど、焔も好きなんだ。放っとくとすぐ死のうとするし…三蔵ほど我侭じゃねぇけど、甘えただし」
 くつり、と背後で小さく笑った。
「ああ、確かにオレは悟空が居ないと何も出来ない木偶の棒だ。違いない」
 第三者の声に、三蔵の視線が初めて悟空から余所に…焔に向けられた。
「一度手に入れたものを、オレは手放す気は無い」
 殺気が突き刺さる。
「焔!」
 叱責するような悟空の声が飛んだ。それだけで、焔は口を閉ざし…拗ねた子供のような表情を浮かべる。
 かなり気色の悪い光景ではあったが、どこか悟空の機嫌を伺うような幼子のような焔の顔が、悟空は嫌いではない。何だか可愛いとさえ思っている。
「すぐに調子に乗るから、時々…家出してやるんだ」
 えへと笑う悟空に、三蔵の手が伸びた。
 そして……・・




 ぎゅうぅぅぅっっっ!!





「っっいっ…っててて!!!ひはいよっはんほう(痛いよ三蔵)っっ!!!」
 思いっきり頬をつかんで引っ張られた悟空が悲鳴を上げる。

「…惚気てんじゃねぇぞ…このクソサルが…」
 低い恫喝に、悟空の顔が笑った。
「三蔵」
「……」
「オレ焔の傍から離れられないけど…三蔵のこと忘れたわけじゃないからな。もちろん八戒のことも!」
 それからちょっとだけ悟浄のことも、と付け加える。

「だから、今度はこんな風じゃなくて……遊びに来て、いい?」

「あ?ふざけ……」
「もちろんですよ、悟空!」
 再び意地を張ろうとした三蔵の言葉にかぶせるように、八戒の嬉しそうな声が響いた。
 そのまま睨む三蔵を押しのけて、悟空の両手を握った。
「いつでも歓迎します。毎日でもかまいません」
「八戒大好き!」
 ぎゅっと抱きつかれて、八戒も抱き返す。
 苦虫を噛み潰したような顔をした三蔵は、その向こうにも同じような表情をさらした焔を見つけて…薄く笑った。
「毎日はさすがに無理だけど、遊びに来るな!」
「ええ、どうぞ。三蔵が何か言うかもしれませんが、ココは、僕の所有ですからね。文句があるなら追い出します」
「ははは、相変わらず八戒は冗談が上手いな!」
 彼はいつでも本気だ。
 悟空以外の誰もがそれを知っている。
「八戒。今度来るまでに、三蔵のこと太らせといて。骨があたって痛い」
「おい」
「ええ、わかりました。しっかり太らせておきますから、心配しないでください」
 おい、と背後からかかる声を八戒は綺麗に無視した。

「悟空、そろそろ時間だ」

 焔が告げる。
 天界に属する者が下界に留まることが許される時間は、そう長くは無い。闘神を勤める焔には特例が許されているとはいえ、今回はその仕事とは別口だ。本来ならば、何らかの処罰が下されるところだが、天帝といえど焔と悟空の二人には手を出せない。目を瞑っているのだ。

 悟空は抱きついていた八戒から離れ、肩越しに三蔵を覗き見た。
 少し怒ったような、ふてぶてしい顔。もてあましているような右手は、煙草を持っていないせいだろうか。
「三蔵」
「………」
 呼びかけに視線を逸らした三蔵は、ふっと吐息を吐き金髪を掻き揚げた。



「………待っててやる」



 それだけ言って、背を向けた。
 悟空が笑う。
 輝くように、憂いを払って。





























「焔っ!!」

 バーンと扉が外から勢い良く開け放たれる。飛び込んできたのは悟空だった。
 中で雑事を片付けていた紫鴛がさして驚くでもなく振り向く。
 悟空は室内を見まわし、険しい顔で紫鴛を問いただした。
「焔はどこ!?」
「こちらには来ていませんよ」
 穏やかな返答がかえる。
「また一人でーっ!!」
 叫ぶ悟空に、紫鴛も『また』かと内心でつぶやく。
 先日下界で、三蔵と復縁(?)してからというもの焔は下界に行く仕事のときには必ず黙って行くようになったのだ。どうやら出来るだけ三蔵と悟空の接触の機会を絶とうということであるらしいが、まったく功を奏していない。
 なぜならば。

「焔の馬鹿に、オレ三蔵のとこ行くからって言っといて!!」

 怒った悟空が、直接三蔵のもとに出向いてしまうからだ。
 そして、焔はそんな悟空を追いかけて宥めすかして連れ帰る。
 これを繰り返している。
 紫鴛も慣れようというものだ。

「気をつけて行ってらっしゃい」
 そんな言葉さえかけてしまう。
 焔は悟空が、戻ってこないのではないかと不安を抱いているらしいが…この嘘をつくことを知らない、誰よりも純粋な存在が『ここに居る』と選んだのは焔の隣だ。それを裏切るような真似などするわけが無い。紫鴛はそれを知っているからこうして穏やかに送り出す。
 焔とて、たぶんわかっているのだ。
 だが、納得するのはまた別というところなのだろう。なにしろ恋敵だ。
 つまり、簡単に言えばヤキモチというものだろう。

「ん!行ってきます!」

 一点の翳りも無い笑顔。



 これ以上の何を望むというのだろう。










 ああ、世はなべて事もなし。

 















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