≫1 依頼人






 東京、新宿。
 
 路地裏に建つ古びたコンクリートの塊。
 看板も何もない、薄汚れた三階建てのビル。
 そこが探偵社『ジ・エンド』の在処だった。

 数多に存在する大小の探偵社の中の一般には名前さえ満足に知られていない
 その探偵社に、あまりに不似合いな依頼人がやって来たのは夏の日差しのキツイ
 ある日のことだった。





























「おや、珍しく依頼人ですかね?」
「あぁ?また新聞の勧誘じゃねぇの?」
 珈琲を入れながら窓から外を見ていた八戒の言葉に、だらしなくソファに寝そべった
 まま応えたのは暑いせいか、真っ赤な長髪を後ろで一くくりにした悟浄だった。
「何だか最近流行りの可愛らしい車でしたよ・・・・・ただ、乗っている人とは合って
 無いみたいでしたけど・・・とにかく依頼人かもしれませんから、悟浄そこどけて下さい」
 路地から駐車場に入る僅かの間にそれだけを観察した八戒は、客用のソファを
 陣取る悟浄を猫でも追うように追い立てた。
「どうせ新聞の勧誘か、N○Kだって」
「そう思いたいのはわかりますが、違いますよ。きっと。上に行って三蔵を呼んで来て
 下さい」
「えーーー」
「生ゴミの日に出されたいんですか?」
「・・・・・行かせていただきます」
 冗談のように聞こえるが八戒ならば本当にやりかねない。
 長い付き合いで悟浄はよ〜〜く心得ていた。

 そんな二人に階段を上がってくる複数の気配が感じられた。

「あー・・何か野郎みたいだなぁ」
 このビルは荒削りのコンクリートの音が直に響いて、女性の靴音は特によく響く。
「どうせなら綺麗なおねーちゃんが良かったんだけどなぁ〜」
「はいはい。これも一緒に持って行って下さいね」
 入れたばかりの珈琲を悟浄に手渡した八戒は、やってくる客の出す茶を用意するため
 に奥へと消えた。
「・・・あー、メンドくせ〜・・・」
 悟浄はふわぁ、と大きな欠伸をすると居住区となっている三階へ続く内階段を上って
 行った。





 そのすぐ後に事務所の扉を叩く音。





「どうぞ、お入り下さい」
 八戒の言葉にノブがまわる。
「失礼します」
「・・・・・」
 物腰の柔らかい人物の後に続いて入ってきた相手に八戒は思わず息を呑んだ。
 滅多に動じることのない八戒を驚愕させた相手は、不機嫌な顔で事務所を見回した
 後、八戒へと視線を流す。
「俺の顔に何か?」
「・・・・あっ・・いえ、すみません。・・・あまりに知り合いによく似ていたもので・・・」
 我に返った八戒は客二人をソファーへ案内する。
「所長はすぐに来ますので少々お待ち下さい」
 無言で頷く。
 
(・・・それにしてもよく似ている)
 珈琲を出しながら八戒は改めて二人の様子を観察する。
 にこにこと笑顔を崩さないままカップを受け取った人物は焦げ茶色の髪を肩のあたりで
 揃え、かっちりした紺のスーツを着ている。
 ただの会社員にしては品が良過ぎる。・・・・・もう一人の人物の秘書なのかもしれない。
 そのもう一人の人物・・・八戒を驚かせたのは、彼の持つ全てが『ジ・エンド』の所長で
 ある三蔵にそっくりだったからだ。
 三蔵をもう4,5年ほど年を取らせ、髪を長くさせればまさに瓜二つ。
 ・・・・兄弟だと言われても驚かない。
 だが、三蔵には兄弟など一人も居ない。
 これぞ他人の空似というやつなのだろうが・・・それにしても似すぎだった。

 それだけのことをざっと見て取った八戒の背後に人の気配が生まれる。


「どうも、遅くなりました」
 言葉のわりに態度はあまり申し訳なさそうでは無い。
 八戒にとってはいつものことだが、相手によっては不快になるかもしれない。
「いえいえ、アポイントも取らずに伺ったのはこちらですから」
 だが、相手はにこやかに返す。
「挨拶はいい。用件に入れ」
 相手のほうも三蔵に負けず劣らずだ・・・・それで慣れているのかもしれない。
「どのようなご依頼ですか?」
 三蔵と八戒は客と向かい合わせの席に座る。
 対応はもっぱら八戒の担当だ。
「私は天蓬、こっちは金蝉です」
 軽く紹介して天蓬と名乗った男は胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
 写真の中では12,3くらいの少年が満面に笑みを浮かべて笑っている。
 見ているこちらまで幸せになるような笑顔だった。
「この子は悟空と言います。今年で15歳・・・幼くみえますけど、これは去年のものです」
「この子が・・・?」
「依頼というのは、悟空を探し出して連れて帰って来ていただきたいんです」
「・・・・もしかして、家出でもされたんですか?」
 そんな少年には見えないのだが・・・。
「いえ、それが・・・」
「違う。誘拐された」
 言い渋るような天蓬のかわりに今まで無言だった、金蝉が口を開いた。
「・・・誘拐?」
 八戒は新聞の記事を思い出す。
 そんな記事があっただろうか・・・・?
「それは警察の役目だろう。俺たちがどうこうできる問題じゃねぇ」
 三蔵が厄介ごとはご免だとばかりに言い放つ。
「いえ、むしろ警察のほうが役に立たないんです」
 ますます不可解だ。
「ちょっと待ってくれ。どうも妙だな・・・何を隠してる?」
 率直な三蔵の言葉に天蓬は苦笑を浮かべた。
「別に隠しているわけではありませんが・・・事の起こりから話したほうがいいでしょう。
 ・・・・金蝉」
「ああ」
 伺うような天蓬に金蝉が頷く。
「去年の秋。学校の修学旅行で悟空が香港へ行ったのが事の始まりでした」
「・・・香港」
 話が大きくなったものだ。
「とは言っても話すほどのものは無いんですが、そこで悟空が消息を絶ちました。始め
 こそどこかで迷子になったのだろうと楽観的に思っていましたが日程を終了して帰国
 する段になっても一向に見つからない。慌てた学校側から連絡が入り、私たちも急ぎ
 香港へ渡ったんですが・・・」
 見つからなかった。
 外国で日本人がトラブルに巻き込まれることは、決して少なくない。
「それにしても、半年以上が経っている」
 来るのが遅すぎるのでは無いのかと、三蔵は言いたいらしい。
「もちろん、私たちも半年間ぼうっと過ごしていたわけではありません。何とか僅かな
 情報を集めて悟空の行方を捜しました。こう言っては何ですが、国をまたぐと途端に
 警察は役に立たなくなりますからね」
「まぁ、確かに・・・」
 辛辣な天蓬の言葉に、八戒は苦笑を浮かべて頷いた。
「その甲斐もあって、何とか悟空が生きていることはわかったんですが・・・」
 死んでいては探すも何も無い。
「まずいことに・・・黒社会、こちらで言えばヤクザですね・・・に関わっているようなんです」

 そこでようやく、三蔵も八戒も二人がここへ訪れたワケが分かった。



「それなりのものを用意すれば、かなりヤバイ山でも手がけると聞いた」
 金蝉が挑むような眼差しで三蔵を睨みつける。
 三蔵も負けず鋭い視線を返した。
 しばらくそれが続いた後。


「・・・・このガキを連れて帰る。依頼はそれでいいな?」
 テーブルの上に置かれていた少年の写真を三蔵が手に取った。

「頼む」
 寡黙な男のその一言で十分だった。
 どれほどに少年のことを心配し、大切に思っているのか・・・。

「これはとりあえずの諸費用です。足らない時はこちらへ電話して下さい」
 天蓬がそう大きくは無いジュラルミンケースと名刺を指し出す。
 名刺には名前と電話番号以外は何も印刷されていない。

 それらを八戒は受け取る。
 商談成立だった。














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色々と連載ものを抱えているんですが、
どうしても書きたくなったので、書かせて下さい!(笑)
壁紙が扇子な理由はそのうちに・・・
ちなみに、これは『檜扇』です。