*18*
-奇蹟-
まだ言葉も十分に操れない子供・・・赤子とも呼べるその存在は、けれど何よりも 強い黄金の輝きで己が誰なのか主張していた。 「悟空・・・なのか?」 腕の中の赤子に金蝉は問いかけるが、子供はぱちくり、と瞬きをするだけで返事を 返すことはない。 「悟空、なんですよね?」 天蓬もその小さな手に恐る恐る触れつつ問いかける。 「でもそれが悟空だとして・・・何で赤ん坊なんだ?」 倦簾がもっともな問いを口にした。 「さぁな、だがそいつは間違いなく悟空だ」 「菩薩」 三人の背後に笑みを浮かべて立つのはどこまでも得たいの知れない観世音菩薩。 「その玉座に居たのが何よりの証拠だ。そこは天帝にしか座ることは出来ない」 「・・・?」 「天帝以外の奴が座りでもすれば・・・まぁ、何が起こるかは想像できるよな?試しに 座ってみるか?」 誰がするか。 三人はそれぞれに心の中で毒づいた。 「でも・・・良かったです」 そう言う、天蓬の眼鏡の奥の瞳が・・潤んでいる。 「生きて・・・無事でいてくれて」 「・・・・これが『無事』と言えるかどうか問題ありのような気がするぜ・・・」 「問題ありません。育てて大きくすればいいだけのことです」 「・・・・・・・」 それが問題だと倦簾は思うのだが、今の天蓬には何を言っても無駄らしい。 「だが・・・何故悟空はこんな姿で」 「あれだな、たぶん。本当なら悟空は先日の落雷で間違いなく・・・・死んでいた。だが 全ての力を使い尽くしてもここに留まりたいと願ったんだろう。だが、完全に元のままで 留まることは出来なかった」 「それでこのなりか・・・」 「想像にすぎないがな」 金蝉は腕の中の悟空を見つめる。 何もわからない赤子のように見えるが・・・果たしてそうなのだろうか? 悟空が全ての力を使い尽くしてでもここに留まりたかったのは、間違いなく 姿を消したあの男のため。 しかしいったいどこに行ってしかったのかわからない今、悟空をあの男に渡す わけにもいかない。 それでも、自分の元で育てても良いものだろか。 それは悟空が望んだことだろうか。 「悟空・・・お前は何を望む?」 今度こそ、間違うことなく悟空の望みを・・・叶えてやりたかった。 その願いのまま生きていけるように。 「こーぜっ!!」 幼い子供の甲高い声が金蝉の宮に響きわたる。 その声に遅れて小さな影が廊下の角からひょこりと現れた。 元気よく跳ねた茶色い髪を後ろでひとくくりにした子供は、手足は言うにおよばず 顔から服から泥だらけにして、ぺたぺたと廊下に小さな足跡と壁に手形を残しつつ 金蝉の執務室に向かっている。 「こーぜっ!てんてんきちゃーっ!!」 ばーんっと扉を開け放った悟空の頭にべしっと何かが凄い勢いでぶつかった。 「いちゃーっ!」 「この馬鹿サルっ!何度言ったらわかるんだっ!汚れたままで廊下を歩くなっ!」 待ち構えていた金蝉が書類の束を丸めたもので悟空の頭を叩いたのだ。 「うーっ」 「うーっ、じゃねぇっ!今度やりやがったら問答無用で風呂に突っ込むからな!」 「いやーっ!」 ぶるぶるっと頭を振った悟空によって、髪についていた泥がそこらじゅうに飛び散る。 「・・・・・っ」 金蝉の眉間に皺が一つ増えた。 「あはははは、子育ても楽じゃありませんね〜」 もう一発殴ってやる、と手に力を入れた金蝉の背後から現れたのは天蓬だった。 「てめぇ・・こいつを見つけたなら洗って入ってくるぐらいのことはしろ!」 「元気印の悟空が僕に捕まえられるわけがありませんよ。それにとても楽しそうでした からね。可哀想です。ね?悟空」 「は〜い!」 名前を呼ばれてわけもわからないのに大きく手をあげて元気よく返事をかえす。 「・・・とにかく!お前はその泥を落としてこい!でないと夕飯は抜きだっ!」 「ごはんたべるーっ!いやーっ!」 慌てて駆け出す悟空は、湯殿の直行したのだろう。 金蝉は苦い顔で、天蓬はにこにことその後姿を見送った。 「いや〜素直ないい子に育ってますね〜」 「・・・・・・・どこがだ?」 天蓬の偏見と贔屓に満ち溢れた眼差しは悟空がそう見えるらしい。 「楽しい時には笑い、悲しいときには笑い、腹が立てば怒る。悟空はそれがちゃんと 出来てますからね」 「・・・・・。・・・・・・ああ」 「それにしても・・・あれから1年、ですか。悟空の成長が早いのは・・・やはり天帝として の素質がそうするのか・・・元の力を取り戻しているせいなのか・・・」 悟空が金闕雲宮の天帝の玉座で発見されてから1年。 本来ならば漸く言葉を話しだしてもいい頃。 悟空は自分の足で駆け回り、たどたどしいながらも言葉を自由に使える。 人間でいえば、1年で4,5歳は成長していることになる。 なりゆき悟空を育てることになった金蝉もそれは驚いていた。 「さぁな、それよりも・・・お前がここに来たということは何かわかったのか?」 「せっかちですね」 天蓬は椅子も勧めてくれない友人に苦笑しつつ、近くにあった椅子を引き寄せて それに座った。 「生憎、悟空に会いたかっただけなんですが・・・でも、倦簾の部下がそれらしき姿を 見つけたとか見つけないとか」 「何?どこでだ?」 思わず身を乗り出した金蝉をまぁまぁ、と抑えるとずうずうしくも天蓬はお茶を所望した。 「そのへんに茶葉と急須があるだろうが、自分で煎れろ」 「まったく、それが客に対する態度ですか?まぁ、金蝉に美味しい茶を煎れられるなんて 思ってもいませんけどね」 「・・・・喧嘩を売りにきたのか、お前は」 「だって本当のことですから」 室内体感温度が一度ほど下がった気がするが、天蓬が気にすることは無い。 お世辞にも器用とは言いがたい仕草で適当に茶を煎れると、一口飲み、はふ〜 と年寄りくさい仕草を披露した。 「でも、金蝉。例え彼が見つかったとして・・・」 す、と真面目な表情にかえる。 「あなたは、本当に悟空を手放せるんですか?」 「・・・・・・・。」 金蝉は天蓬から顔を背け、窓の外をみやる。 「正直なところを言わせてもらうなら、僕は嫌です。悟空は誰にも渡したくありません。 ずっとこのまま傍に居てもらいたい。あの笑顔を失うのはつらい」 「・・・・・・そうか」 「ええ」 おそらく、それが悟空を知る全ての者の本音でもある。 だが・・・。 「悟空が望んだことだ」 「それであなたの望みが叶わなくても?」 「それこそが望みだ」 「・・・・まったく。頑固者なんですから」 悟空を愛しく思わないはずがないのに。 「うるさい。それよりも話の続きは?」 「はいはい、わかりました。・・・でも、それは悟空が寝てしまってからということで」 遠くからパタパタと子供の走る足音が近づいてきていた。 「・・・ふん」 了解の意を告げると、金蝉はまたろくに拭きもせずに湯殿からあがってきた子供の ためにタオルを引っ張り出した。 「マメですね〜。禿げますよ?」 「余計な世話だ」 普段より2割り増しの不機嫌度で金蝉は天蓬にタオルを投げ渡した。 途中から参戦した倦簾に散々遊んでもらい早くも夢の世界に旅立った悟空を金蝉は 寝台に寝かせると、すでに持参した酒で一杯はじめた天蓬と倦簾の待つ執務室に きびすをかえした。 「お〜ようやくお父さんが帰ってきたぞ〜」 「誰が(怒)」 「いや、もう立派なお父さんですよ」 「・・・・死ね」 「まぁまぁ、一杯どうぞ」 普段独りならば晩酌することもない金蝉も勧められた酒ぐらいは頂戴する。 猪口を持ち、注がれた透明の液体をくいっと飲み干した。 「さて、話してもらおうか」 「早速か」 倦簾が苦笑する。 「お待ちかねですね〜」 「さっさと話せ」 「はいはい。え〜と、では倦簾からどうぞ」 「ほいな、と。まぁ、確認はまだしてねーんだが悟空が生まれた花果山の近くに村が あっただろう。そこにな、人とは思えない気配をまとった奴が居るらしい。医者をやって んだが・・・あんまり村人とは付き合いがないみてぇで山に住んでる。月に何回かその 村に往診に行ってるらしいってんで俺の部下が村人に混じって確認してみたんだが・・」 「どうなんだ?あいつだったのか?」 「まぁ、待てって。結果はシロ。まるであいつとは似ても似つかぬ平凡な風貌で部下の ことにも全く気づかなかった」 「・・・・ハズレか」 「だから、そう焦らないで下さいって金蝉。確かにその医者は彼では無かったんですが それ以来、そこから感じた力の波動が一切掴めなくなってましてね」 「何・・どういうことだ?」 「僕たちの探索に気づいて去ってしまったのか・・・もしくは、気配を完全に殺したか。 どうも・・・部下だけではダメなようなんですよね」 「まぁ、相手は仮にも闘神だったわけだしな。おいそれと尻尾はつかませてくれねーな」 「それを何とかするのがお前らの仕事だろうが」 「簡単に言ってくれちゃって」 「まぁ、でも確かにその通りなんで・・近々降りてみるつもりです」 果たして、そこに彼が居るのか確かめるために。 「・・・・いつだ?」 「はい?」 「俺も行く」 「おいおい・・」 「違うかもしれないんですよ?無駄足になる可能性も・・」 「構わない。いい加減書類に目を通す以外の仕事をしてもいいだろう」 本気だ、金蝉はどこまでも。 「・・・わかりました。では明後日ということで。それまでに準備を整えておいて下さい」 「わかった」 それだけ言うと金蝉は立ち上がり、二人に背を向けると執務室を出て行く。 早速準備に取り掛かる、というわけだ。 「はぁ〜、いつからあんな行動派になったのやら」 倦簾が苦笑しつつ天井を見上げる。 「くすくす、人も・・いいえ、神も変わるということでしょう」 「全くだ」 倦簾は猪口を傾ける。 「神は変わる・・・」 悟空のために。 「あいつはちっちゃくても最強なのかもな」 「おや、今ごろ気づいたんですか?」 二人は顔を見合わせ、笑いあった。 しかし、天蓬と倦簾は現れた金蝉を見て絶句した。 「金蝉・・・あなた」 「おいおい」 「何だ、文句あるか?」 文句も何も。 金蝉の右手、それをしっかり掴んでいるのは・・・・・・・・・ 「「悟空」」 「てんてん〜っけんちゃ〜っ」 小さな悟空は元気良く手を振る。 「・・・まさか連れて行くつもりなんですか?」 「そうでなくてここまで連れてくるか」 「本気かよ?」 「愚問だ」 悟空は下界に連れていくにはまだ幼すぎる。 それが天蓬と倦簾の共通した思いだ。 「もし、あいつがそこに居るなら悟空を連れていったほうが確かだ。俺たちだけなら 逃げられる可能性もあるが・・・悟空は違うだろう」 「それはそうですが・・・」 「もう決めたことだ。嫌だというのなら二人で行くまでだ」 「・・・・・・・・・。はぁぁ、全く言い出したら聞かないんですから」 ことさらに大きくため息をついた天蓬はしゃがんで悟空と目線をあわせた。 「いいですか、悟空。これから行くところはちょっと危ないですから僕たちから絶対に 離れないで下さいね?約束ですよ」 「やくそくーっ」 本当にわかってくれたのかは謎だったがこうなっては仕方ない。 さすがの天蓬も悟空にかかっては形無しだ。 ため息をついた天蓬は部下に下界へ通じる門を開くように命じる。 「あ、聞き忘れてましたけど・・・ちゃんと観世音菩薩には言って来たんでしょうね」 「何であのクソババァに言わなくてはならない」 「・・・金蝉」 「うるさい。一応は伝えて来た」 なら、素直にそう言えばいいのに。 「悟空、困ったお父さんですねぇ」 「??おとうさん??」 「余計なことを言ってないでさっさと行け!」 天蓬に話しかけられる悟空を抱き上げると、「おとうさんて何?」と尋ねる悟空に 「何でも無い、気にするな」と不機嫌な顔で応じる金蝉。 その姿は本当に微笑ましいほどに・・・穏やかだった。 「はいはい、もう本当に人使いが荒いんですから。では倦簾、先にお願いします」 「了解」 「続いて金蝉も、最後に僕が行きますから」 「わかった。悟空、目をつむっていろ」 「は〜い」 言いつけに従いぎゅ〜っと力いっぱい悟空が目をつむる。 そして4人は下界へと旅立った。 「もう、目を開けてもいいですよ」 金蝉の腕に抱かれていた悟空が天蓬の言葉にそろりと瞼をあげる。 「・・・きらきらしてる・・・」 悟空が何かを掴むように何もない空間に手を伸ばす。 「悟空は大気に溶け込んだ大地の生命が見えるんですね」 「こんぜー、たべたらおいしい?」 「・・・お前はそれだけか」 見事に捕まえたらしいきらめきを・・大地の生命を食べようとしているらしい悟空に 金蝉があきれかえる。 「くすくす、やはり悟空ですねぇ」 「でも、こいつがそれを食うのは共食いじゃねーのか?」 「そうでも無いですよ。元々悟空は大地の生まれなんですから、その生命を内に 取り込むことは理に叶ってます。味はともかくとして、害は無いでしょうね」 「あー、おうまさん!」 小さな悟空の好奇心は留まるところを知らない。 「きらきら」に飽きた悟空は、次には4人の傍で大人しくしていた馬に目をつけた。 3頭の馬はどれも素晴らしい体躯で、目には知性の煌きがあった。 一蹴で千里を走るといわれる極上の天馬である。 「目的の場所まで少しありますから馬で行きます。・・・乗れますよね?」 ちょっと不安になった天蓬に尋ねられた金蝉は憮然な顔をして「乗れる」と返した。 ただし、元々軍人である二人と同じように乗れるとは限らないが。 「悟空は預かりましょうか?」 「・・・・いい、俺が乗せていく」 そう言うと金蝉は悟空を鞍の上に乗せる。 「たかーい!おうまさんっ!」 「おい、大人しくしてろっ!」 はしゃぎはじめる悟空に金蝉は叱りつけるが全く効き目はない。 こうなれば一刻も早く目的地へ向かおうと、金蝉は思いのほか身軽な仕草で馬に 乗り込み、天蓬たちに合図した。 ◆ 道中は順調だった。 馬上から眺める流れる風景は、天界では見慣れぬ新鮮さに溢れていた。 明るく、明瞭で生き生きしていて・・・。 生ぬるさなど一つも無い。 悟空と・・・焔はここで生まれ、生きていたのだ。 金蝉の腕の中で悟空は意外に大人しくしていた。 時折きょろきょろと周りに視線をやる以外は先をずっと見つめている。 大人しい悟空など珍しいので、いったい何を考えているのかと不思議になる。 「悟空・・・・大丈夫か?」 「?・・・うん?」 振り返って頷く悟空の顔が大人びて見えた。 『本当に悟空を手放せるんですか?』 天蓬の問いかけが金蝉の脳裏に蘇る。 (本当に、悟空を手放せるのか?俺は・・・) 何よりも愛しいと思うその存在を。 だが、そんなことが出来るわけもないと思ったとしても、悟空の伴侶は金蝉たり得ない。 金蝉と出会う前に、悟空はその存在と出会ってしまったのだから。 金蝉は、自分の願いのために悟空を独占することは出来ない。・・・出来なかった。 金蝉は己よりも・・・悟空の願いを優先する。 それが金蝉の・・・『愛』だった。 「もうすぐですよ」 そんな思考を打ち破るように天蓬の声がかかった。 「小さい村だそうですから、ここから馬を下りて行きましょう。金蝉、あなたはちょっと 目立ち過ぎますからこれでも被っていて下さい」 天蓬に差し出された薄汚れたマントを金蝉は嫌そうに受け取る。 「てんちゃ、おれは〜?」 「悟空はそのままで構いませんよ。とっても可愛いです」 「かわいー!」 意味はわかっていないが褒められことはわかったらしい。 単純な悟空を羨ましい、と金蝉はしぶしぶマントを被った。 「この村か・・」 天蓬の言う通り、山間に作られたその村はこじんまりとしていて、村人は百人にも 満たないだろう。 皆、忙しく働いている。 「あの・・・すみません」 天蓬が近くに居た中年の男に話しかける。 「・・・・!!」 男が振り向き、驚いたように目を見開いた。 こんなところでは他所の人間が珍しいのだろう。 「驚かせてすみません。僕たち都から噂を聞いてやって来たんですが・・・」 「・・・噂?」 男が持っていた鍬を近くの木に立てかけて身を起こす。 「腕のいいお医者様がこちらにいらっしゃると伺ったんですが・・・」 「ああ、確かにいらっしゃるが・・・都からわざわざ、ご苦労なことですな」 「旦那様のお言いつけですから。それでお医者様はどちらに?」 物腰柔らかな天蓬の口調に村人も警戒を解いて、親切に教えてくれた。 他の三人はその後ろでただ、話がつくのを黙って立って聞いていた。 「結構な山の中に住んでいるようですね」 「本当だぜ、どうせなら村に住めばいいのに。余計な労力使っちまうぜ」 村人に教えられた医者の住居は村を通りすぎ、花果山を登った中腹にあるらしい。 普段はそこで山菜や山魚を取りながら暮らしており、時折診察に山を降りてくるの だという。まるで仙人のような暮らしぶりだ。 「難しい方なんでしょうかね?」 「会ってみればわかることだ」 「こんぜーっ、とりっ!」 森の中は生き物の宝庫だった。 色彩こそ天界に居る鳥には叶わなかったが元気に木々の間を羽ばたいていく。 鳥だけではない、虫や、その他の動物たちが至るところで姿を見せた。 「・・野生の動物はこんなに人目のつくところに出てくるものなのか?」 「普通は居ませんね〜。でも今は・・・きっと悟空が居るからですよ」 三人の視線が悟空へ向く。 悟空はそんなことも知らず、無邪気に楽しんでいる。 動物たちは、大地の子の帰還を喜んでいるのだ。 「さて、もう一息ですから急ぎましょう」 「ああ」 金蝉たちはそう長く天界を留守にすることは出来ないのだ。 「ね、こんぜー、どこいくの?」 悟空が今更かい、という問いかけをする。 「お医者様のところですよ」 「・・・・・・。いやーーーっ!!」 しばし沈黙した悟空が一目散に逃げようとするのを倦簾が襟を掴んでキャッチする。 「いしゃ、いやーっ!いちゃいーーっ!!」 「あははは、大丈夫ですよ、悟空。悟空を診てもらうわけじゃありませんからね」 「・・・ほんとに?」 「ええ、本当ですよ」 「何でそんなに医者嫌いなんだよ?」 そんな悟空に倦簾は不思議そうに尋ねた。 「ちょっと前に悟空が腹痛になったことがあってな。医者に連れて行ったら食うなと 言われた上に、くそマズイ薬を渡されたんだ」 「「なるほど」」 金蝉の説明に天蓬と倦簾は苦笑して頷いた。 「ここのようですよ」 少し森が開けたところに、粗末な小屋が建っていた。 雨露さえしのげればいい、とでも言うようなその小屋はとても人の住めるようなもの ではないと金蝉などは思うが、確かにそこには人の気配があった。 そう、『人』の気配であって『神』の気配ではない。 「すみませーんっ!」 木戸の外から天蓬が声をかける。 中から、低い応えの声がかえってきた。 「どうぞ、開いてますからお入り下さい」 「では、失礼します」 ガタガタッと、下手をするとそれだけで壊れてしまうのでは無いかという木戸を引き、 4人は中に入る。 「おや、たくさんのお客様ですね」 中は思いのほか、綺麗に整えられていて薬草の匂いが充満していた。 その部屋の奥で、柔和に笑っている男が医者なのだろう。 ・・・焔とは似ても似つかない「普通」という言葉がまさに当てはまる風貌をしている。 「突然にすみません」 「いえいえ、狭いですがどうぞ上に」 断りを言え、座敷に上がった4人に茶が出される。 「こちらは乳のほうがよろしいかな?」 男は笑うと悟空に暖めたヤギの乳を差し出す。 悟空はくんくんとその匂いをかぐと、顔を輝かせて受け取った。 「さて、いったいどのようなご用件でしょうか?」 「実は・・」 「人を探している」 話し出した天蓬をさえぎり、金蝉が口を開いた。 「人を?」 「ああ。名前は焔という。あなたと一緒でこのような山間の村で医者をしていたらしい」 「同業者ですか・・・」 「何か知らないだろうか?右目が金、左目が青という目立つ特徴があるのだが・・」 「そうですね」 医者を顎に手をあて、考える。 「そのような特徴を持った方なら忘れるわけは無いと思いますから・・・私の知り合いに お探しの人物は居ないと思います」 「そうですか・・・」 「しかし、何故こちらに?」 「いえ、知人がこちらのほうで見かけたと聞いたものですから」 「そうですか、お力になれず残念です」 本当に残念そうに頭をさげるその男は・・・焔だというには人柄が良すぎた。 「いえ、こちらこそ突然に押しかけてお仕事のお邪魔を致しました」 「私は構いません。何しろ滅多に人の訪れも無いところですから」 それはそうだろう。 わざわざこんなところまで登ってくる物好きは金蝉たちくらいのものだ。 「少々お伺いするんですが」 「はい?」 「こちらにはずっとお住まいなんですか?」 「いえいえ、私がここに参りましたのは、半年ほど前のことで・・それまでは町のほうに おりました。恥ずかしながら失恋いたしまして傷心の旅の末にここを見つけました次第 なのですよ」 「半年前・・・ですか」 天蓬は不思議そうな表情を浮かべた。 (どうした?) (いえ・・部下の報告で調べさせたんですが・・ここには半年以上前から医者が居たはず です。・・・・なのに彼は) (どういうことだ?) (彼が嘘をついているか・・・もしくは、彼の前に別の誰かが居た・・ということでしょう) 「もう少しだけ。ここに誰か住んではいませんでしたか?」 「そうですねぇ、私も日用品はきちんと整えられていたので誰か住んでいるのかと 思ったんですが・・・村で聞いても誰の持ち物ともわかりませんでしたので勝手に 使わせていただいているんですよ」 では、その半年より前にここに住んでいた者がいるとすれば。 「・・・焔か」 「でしょうね」 「手がかりなんかねーだろうなぁ」 邪魔をしたことを詫び、医者の家を辞した3人は今度こそ、というあてが外れて 残念なのやら嬉しいやら複雑な心境だった。 「仕方ありませんね、また出直しましょう」 「そうだな〜」 「・・・・仕方ない。おい、悟空、帰るぞ」 先ほどからぼんやりと三人の後ろを黙って歩いてくる悟空に金蝉が声をかける。 だが、悟空は足を止めると、その声が聞こえなかったように再び森の中へと入って行く。 「おいっ悟空!!」 「悟空、どこに行くんですか!?」 「様子が変だ。追いかけよう」 急いで悟空の後を追う、三人。 けれど、小さな悟空の体は踊るように木々の間を駆け抜けてどんどん遠くに離れていく。 森が自ら、悟空に道を開けているかのようにさえ思えた。 「やはり、ここは悟空の故郷のようなものですから・・・何かあるのかもしれません」 「どちらにしろ早く捕まえねぇと見失うぞ」 金蝉は二人のように無駄口を叩く余裕は無い。 密かに鍛えていたとはいえ、まだまだ職業軍人の二人に及ぶべくもないのだ。 そしてようやく、その姿が止まったのは・・・先ほどの医者の家の前だった。 「・・・悟空?」 「まさか、ヤギの乳の味が忘れられねぇとか言うじゃねーだろうな」 「まさか・・・」 倦簾の冗談口に苦笑しながら、小屋の前で立ち尽くす悟空に近づいていく。 そして、悟空の顔を見、驚愕した。 悟空の瞳から涙が流れ、静かに頬を伝っていたのだ。 「いったい・・・」 呆然とする天蓬の脇から金蝉が現れ、悟空の肩に手を置く。 「悟空、どうした?」 「・・・・・」 悟空は応えず、ただ涙を流す。 その痛々しさに耐え切れず天蓬が涙を拭こうと手を伸ばした瞬間、悟空の口が動いた。 『・・・ごめん、なさい・・・』 「・・・え?」 「・・・は?」 「ごめん、なさい」 今度こそ、音となり悟空の口から出てきたその言葉はいったい誰に言っている ものなのか・・・。 「ごめんなさい。ごめん・・・」 謝罪の言葉と共にあふれ出した涙がぽろぽろと地面に落ちて吸い込まれていく。 意外な展開に固まってしまった三人をよそに悟空は涙を流し続ける。 「・・・・・・泣くな」 ふと、かけられた言葉に三人は同時に顔を見合わせた。 違う。 自分達では無い。 ではいった、誰・・・・・・・・・が? 三人の視線が小屋へ向く。 「泣くな・・・頼むから。お前の涙は・・・痛い」 木戸の向こうからかけられる声は間違いなく。 「「「・・・・焔」」」 あの・・人のよさそうな医者は、では・・・・・やはり焔だったのか? 「ごめんなさい、ごめんなさい・・・・ごめん・・・」 それでも悟空の涙が止まることはない。 小屋を見つめたまま、涙を流す。 「・・・・っ焔!何してやがるっ!居るならさっさと姿を見せやがれっ!!」 溜まりかねた金蝉が叫び、天蓬が『扉を壊しましょう』と物騒な言葉をつむぐ。 「おいおい、お前らちょっと待てって・・・」 独り、倦簾はキレる二人を抑えていた。 そうしている間に、悟空が一歩、小屋へと近づいていく。 「駄目だ、悟空。来るな」 足が止まる。 「俺は・・・俺ではお前を・・・幸せにしてやれない。きっとまたお前を苦しめてしまう」 場に沈黙が落ちた。 「ふ・・・・・ふざけるなっ!!」 金蝉の怒声に天蓬と倦簾は驚いたようにその顔を見た。 「何が・・『幸せにしてやれない』『不幸にする』?ふざけてんじゃねぇ!!俺たちが 悟空が・・・何のためにここまで来たと思ってる!出来ることならお前なぞに誰が 悟空を渡したいものか!さんざん、こいつを振り回しておいて、姿を消して・・・・・ ああ、確かにお前は悟空を不幸にするだけだろう。俺たちの元に居たほうが遥かに ましだ。だがなぁ!悟空は・・・・」 金蝉は悟空の小さな背中を見る。 「お前と生きるために・・・こんな姿でも還ってきたんだ!この世界にな!! いいか、焔。お前はこいつに会って、抱きしめてやる・・それが義務なんだよ!」 金蝉に、ここまで言わせる悟空の存在はどれほどに重いものなのだろう。 天蓬は久しくなかった、感動という思いに胸をしめつけられた。 「・・・・・・悟空。俺は・・・・」 「焔。・・・・・愛してる」 舌足らずの口調が・・・・大人びる。 金蝉、天蓬、倦簾が見守る先で・・・悟空が変化していく。 小さな体が大きくなり、すらりとした手足がさらされる。 大地色した髪も伸び始め、悟空の姿は幼い子供から大人へと羽化していく。 光纏う、それは・・・美しい現象だった。 幼かった子供は愛する人のために奇蹟を起こす。 この時のために。 悟空は、ここへ還ってきたのだ。 「オレはちゃんとわかる。オレは焔を愛してる。もう、焔に出会った頃の子供じゃない」 「・・・・・・。・・・・・・」 「心配させて、ごめんなさい。でも、ちゃんと帰って来たから。焔のところへ」 「・・・・・・・・・悟空」 「これからはずっと一緒に居るから」 木戸がゆっくり引かれる。 4人の目の前に、悟空の目の前に焔の姿が現れる。 「ただいま」 微笑み、駆け出した悟空を焔が泣きそうな顔で抱きとめた。 初めて出会った、その場所で。 二人はもう一度、出会った。 今度こそ、共に幸せになるために。 |
―終幕― |
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