世界で何よりも
自分の命よりも大切な人を無くした日。

僕は、それに出会った。



















√1   八戒


















 冷たい雨が肩を濡らし、全身を凍らせる・・・・・・・・・・心と共に。
 ぼんやりと・・・ただ、ぼんやりと足を前後する。
 
 機械的な動き。
 顔には空虚な表情が広がる。

 目は・・・・・・・左目はぼんやりと・・・・・・右目からは血を流し。
 全身はほこりと血に塗れていた。
 
 こんな深夜の雨の中。
 他に通行人も居ない。
 等間隔に並べられた街灯だけが、姿を映し出していた。




 どうして、そこで立ち止まったのか。
 何故、雨宿りなどしようと思ったのか・・・・わからない。
 ただ、気がつけば小さな店の軒先に佇んでいた。










「もし」
 大きいわけでもなく、ことさらはっきりしたわけでも無い声。
 けれど、八戒の耳へとよくなじんだ。
「そちらでは寒うございましょう。熱いお茶を入れましたので、中へどうぞ」
 にこやかに鼻眼鏡をかけた、痩身の青年。
 おそらく、この店の店主だろう。

 雨宿りをする人間にはありがたい申し出。
 昨日までの八戒ならば、にこやかな笑顔を浮かべて礼を言っただろう。
 だが、今の八戒は・・・・・・・・・
 
 どんな感情も動かず、店主を見つめていた。
 ・・・・いや、ただ目を向けていただけで、その瞳は何も映してはいなかった。
 まるでガラス玉。


「どうぞ」
 そんな八戒に構うことなく、店主は扉を開けて中へと進む。
 八戒が入ってくるのは当然のように・・・・・。
 
 だから、かもしれない。
 一歩足を踏み出してしまったのは。















「どうぞ、体が温まりますよ」
 上等なアンティークのテーブル。椅子。
 ポットもカップも精緻で上品な作りのオーダーメイド品であることが一目で
 察せられるもので、部屋の中は豪奢なカーテンがところどころを覆い隠し、
 天井にはシャンデリアがかかっていた。
 
 どれもこれも今の八戒には、過ぎたもの。
 
 差し出されたカップを手で受け取った体勢のまま八戒はぼんやりと、その中に
 揺れる琥珀色の液体を見つめていた。

「紅茶はお気に召しませんでしたでしょうか?珈琲のほうが?」
 八戒の人形のような寄行も気にせず、店主は変わらずにこにこと応対する。
「それとも、ブランデーのほうがよろしいですか?」
 どうやら店主はとことんまで八戒の相手をする意向らしい。
 
 八戒はわずかに視線を動かし、店主を見遣る。
「・・・・?」
「・・・・・いただきます」
「・・・はい、どうぞ」
 
 はじめて言葉を発した八戒に、店主は穏やかに笑った。




「ここは、いったいどういうお店なんでしょうか?看板も無かったようですが・・・?」
 さして興味も無さそうに八戒はおざなりに店主に問いただす。
「おや、ご存知ありませんでしたか。ここはお客様に幸せを売る場所でございます」
「・・・・・・・・・・」
 『幸せ』
 その言葉は何と遠くへ聞こえるのだろう・・・。
「具体的には・・・・・?」
「お客様は『プランツドール』というのをご存知でいらっしゃいますか?」
 プランツドール・・・・。
 八戒は回転の鈍った頭の片隅をつつき、その単語を探す。
 
 確か・・・・・・・。
「生きた、人形だ・・・と聞いています」
「ええ、その通りです。プランツドールは生きた人形、植物でござます。もちろん
 普通の植物とは違い、水では育ちませんが・・・・」
「植物人形・・・」
 それは生き物なのだろうか・・・?
 生きている、と言えるのか。

「ご覧になりますか?」
 八戒の疑問を感じとったのか、店主は返事も聞かず立ち上がる。
「こちらへどうぞ」
 その動きがとても自然だったせいか、八戒は知らずふらりと立ち上がると店主の
 案内する部屋へと導かれていった。





 そこに在るのは、ひっそりと静かに。
 目を閉じて。
 眠る『人形』たち。






「この子たちは、いつか自分たちを幸せにしてくれる誰かが向かえに来て
 くれるまでここで眠り続けています」
「・・・・・来なければどうするんです?」

 人間など、所詮は欲の塊。
 自分の身が一番大切な醜悪な生き物。
 ・・・・こんなに綺麗なプランツドールを幸せになど出来るわけがない。

「ずっと。待ちつづけるのです、ずっと」
 決して、諦めることなく。
 信じつづけて。


 何と強く、純粋で、綺麗な生き物。
 到底、ふさわしくない汚れた自分。
 

 八戒は途端にここに居ることが息苦しくなった。
 吐き気を感じて、口元に手を当てると・・・無我夢中で身を翻した。




 カタリ。



 そのはずみで、紗を作っていた一際厚いカーテンが開き、奥の部屋を露にした。

「・・・・・っ」
 そこに居たのは一人のプランツドール。
 他の少女のように豪奢なドレスを纏っているわけでは無い。
 簡素なトレーナーにジーパンをはき、細く小さな体を椅子に丸めて眠っていた。
 茶色く腰まである髪が元気に飛び跳ねている。


 他のプランツたちとはあまりに違う姿形への違和感。


「おやおや・・・」
「すみません」
 隠していたということは見られたくは無いものだということ。
 すでに取り返しはつかないが、八戒は謝罪した。
「いえいえ、この子は少々他のプランツとは違い、やんちゃでございましてね。
 悪戯をしないようにここへ置いていたのですよ」
「・・・・やんちゃ?」
 こんなに静かに眠っているのに。
「このプランツはどのプランツよりも選別眼が厳しゅうございましてね。知らない方の
 前では酷く大人しくしているのですよ」
 店主がさも、おかしいと・・・くすくすと笑い。そのプランツの髪を優しく撫でた。


 ・・・・・・・触ってみたい。


(・・・・・・・・・・っ!?)
 ふと心に浮かんだ、感情に八戒は動揺した。
 
 何を自分は思ったのだ?
 「触り」たい・・・・?
 何故?どうして、そんなことを・・・・・・・・・・。


 信じられない衝動に身を凍らせ、八戒は立ち尽くす。
 少年のプランツを左目で映しながら。






 

「ん・・・・」

「・・・・・っ!?」












 そのとき。
 決して、目を覚ますことの無い眼前のプランツが・・・・・・・。
 身じろぎし、ゆっくりと・・・・・ゆっくりと瞼をあげた。














 
 覗くのは金色の光。
 全てを裁く、神々しいまでの輝き。
 
「・・・・・・・・っ!?」
 その瞳を目にしただけでも八戒は驚き、愕然としたのに、さらにプランツは
 満面に笑顔を浮かべて・・・・・・・・・・・・・・・・



 手を差し出した・・・・・・・・・・・・・・・・・・八戒に向かって。
 
 傍に居る店主も僅かに目を見開く。
 
 驚く二人の目の前でプランツの口が声なく、動いた。

「・・・・・・・・」

「・・・・・・・・何を」
 いったい何をいっているのか・・・・・・・・?
 発作が起こったように八戒は全身を震わせて、じりじりとプランツに近寄っていく。























『泣かない、で・・・・笑っ・・・て・・・』



















 確かな音として耳には届かなかったが、心に響いたその声。
「あ、なたは・・・・・・」
 今の言葉はこの目の前のプランツが・・・・・・?
 
 八戒は差し出されたまま宙に浮いていたプランツの小さな手に触れた。
 
 
 ・・・・・・・・暖かい。
 まるで生きているかのように暖かかった。
 ・・・・いや、「まるで」などではない。
 確かにこのプランツは「生きて」いるのだ。
 その言葉が八戒より余程ふさわしく。

 
「え・・・・」
 呆然とする八戒の手をプランツが引いた。
 そのまま近くへ引き寄せ、八戒に触ろうとする。
「駄目ですっ!」
 反射的に逃げをうつ。
 プランツはぴくり、と驚いたように目を見開いた後、また近づいてくる。
「駄目です・・・お願いだから・・・・あなたが、汚れてしまう・・・・」
 外見の汚れだけでは無い。
 心の穢れが移ってしまう。

 あまりに美しい金の瞳に堪えられず、八戒はうつむいた。

 その頬に羽のような感触。
 その感触は右目に移り、傷つき血に塗れた瞳に触れた。

「・・・・・っ!?」





『逃げない、で・・・・』





「え・・・・・」





『汚く、なんか・・・・ない・・・』

 プランツの金の瞳が眼前にある。
 そのままプランツは。


 八戒の右目に口づけを落とした。


























「・・・・すごく、きれいだよ?」

 それは初めて聞く、プランツの声だった。
 

















************************



 そして、今。
 八戒は椅子に座り、店主と向かいあっていた。
 
 プランツは、といえば。
 
 ちゃっかり八戒の膝の上に座り、お気に入りのカップでミルクをごくごくと
 飲んでいる・・・美味しそうに。
 その様子を見守る八戒の雰囲気は店に入る前とは違い、格段に穏やかで
 口元に微笑さえ浮かべていた。

「プランツはあなたをお気に召したようですね」
「は・・・・・?」
「この子は選別眼が厳しいと申し上げましたように滅多に人前で目をあけたりは
 いたしません。ましてやしゃべるなど・・・・何年ぶりでしょうね・・・・」
「そうなの、ですか・・・・」




「どうぞ、お連れ下さいね」




「・・・・・・・・・・・・・は??」
 幻聴か?
 と信じられないセリフを聞いた八戒は店主を見つめる。
 


「お嫌ですか?」
「・・・・・」
 嫌、とかそういうことではなく。
 とまどい、困惑した八戒が腕の中のプランツを見下ろすと・・・・・・・

 先ほどまで楽しそうに嬉しそうに飲んでいたカップを置いて、金の瞳に
 涙を浮かべて八戒を見上げていた。

「・・・っな、どうかしたんですか!?」
 慌てる八戒。




「・・・・オレのこと、きらい・・なんだ・・・」
 そのままぽろぽろとプランツは涙をこぼす。
「そんな・・・そんなことありませんよっ!あなたを嫌うだなんて・・・」
 出来るわけがない。
 こんなに小さく、愛しく。あどけない存在を。




「じゃぁ・・・・すき?」
「ええ、好きですよ」
 もう二度と見せることは無いと思っていた八戒の顔に浮かんだ笑顔。
 プランツも涙をとめて、輝くばかりの笑顔をうかべてくれた。




「オレね、オレ、悟空!」
「悟空・・・いい名前ですね。あなたにぴったりです。僕は八戒といいます」
「はっかい?」
「はい」
「はっかいもいいなまえだね!」
 
 プランツ・・・悟空の言葉は八戒の凍えた心を溶かしだす。
 そっと八戒は自分から悟空の手に触れた。

 暖かい手。
 小さいけれど・・・強い手。


 ・・・・たぶん。
 いや、きっと。
 もう自分はこの手を離すことが出来ない。






 
「・・・・・僕、でいいんですか?」
 とても悟空を幸せにすることが出来る自信などないのに。

「はっかいがいい」
 悟空はにこりと笑い、触れる八戒の手をぎゅっと握りしめた。




 その横で店主が微笑んでいた。





























大切な人を亡くした日。

僕は何より大切な存在に出会った。











√2 悟浄へ


++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
† あとがき †

八戒編でした♪
なりそめから始めると何やら長くなってしまって・・(+_+)
無事に終了してよかったよかった・・・。

さて、新シリーズなんですが。
シリーズというわりに一話完結です(笑)
この八戒編は次回の悟浄編とは多少リンクする予定ですが、
あとは繋がりません。
だってプランツが悟空一人だけだし(笑)

どれとどれが繋がるのやら?
と想像しつつ読まれるのもいいかもしれません。


それでは、ご拝読ありがとうございましたv
そして、シリーズお付き合いよろしくお願いいたしますm(__)m



<Back>