絶体絶命



ー後編ー





 光秀が藤吉郎のもとを訪れた翌日、緊張の面持ちで信長の面前に藤吉郎の姿があった。
 対する信長はラフな姿で茶菓子をぱくついている。

「どうした?」
「今日は信長様にお願いがあって参りました」
「願い事?言ってみろ、何だ?」
 苛烈な気性でよく知られる信長は、藤吉郎に限定して甘いというのは公然の秘密である。
 気づいていないのは本人たちばかり・・・・いや、信長は多少自覚しているのか。
 いつもならば、やろうと言っても褒美を受け取らない藤吉郎の『願い事』やらに、多少の無理でも
 きいてやろうか、と考えはじめている。
「猫をいただけないかと思いまして」
「ねこ?・・・あのみゃーみゃー鳴く猫のことか?」
「はい」
「・・・・・・・」
 藤吉郎が頷くのに、信長は疑問を隠せない。わざわざ信長に貰わなくともそのあたりで拾ってくれば
 いいだろうに。
「実は・・・もうそれが人様の猫なんです」
「誰の?」
「光秀様です。・・・覚えてらっしゃいますか?先日信長様が下賜された・・・」
「あー。そういや。キンカン頭みてーな毛の色してやがったらから、やったなぁ」
「・・・・・・・」
 たったそれだけの理由で光秀が今苦しむことになったのかと思うと不憫すぎる。
「その御猫が戴きたいんです。光秀様にお願いにあがったところ、信長様から下賜されたものだから
 自分の一存では譲れないと仰られて」
「ふーん」
 さして興味は無さそうだ。掴みはばっちり(?)
 このままいけば、問題なく猫を譲る許可が出そうである。
「いかがでしょう?」
「駄目だ」
「そうですか、ありがとうござ・・・えぇっ!?」
 絶対に許してもらえると思っていただけに、信長の言葉に藤吉郎は目を見開いた。
「ど、どうしてですかっ!?」
「それはな」
 ずずずっと藤吉郎に近づいた信長の顔には、かなり人の悪そうな笑顔が浮んでいた。
「てめーが本当のことを話さねぇからだ」
「え!?(汗)」
 藤吉郎の目が宙を泳いだ。
「だいたいてめぇにはサスケが居るだろうが、今さら猫なんて必要か?」
 濃姫に献上されたサスケはその後、藤吉郎に下賜された。
「う・・・それは・・・その・・・」
「で、本当はどういうことなんだ?」
「う゛・・・・・・・実は・・・」
 観念した藤吉郎は話し出した。









「はっ!?化けて出るだとっ?」
「そうらしいんです。毎晩うなされて眠れないそうです」
 どうせただで譲ってくれと言っても素直に許可するはずのない信長の裏をかく作戦を藤吉郎は
 半兵衛に授けられた。名づけて『化け猫大作戦』。
「あの猫がか・・・?・・・・面白そうだな」
 無神論者のくせに、かつて妖怪退治だーっ!と出かけていった信長の姿を思い出す。
 こういうネタは大好きなのだ。
「このままでは役目中に倒れるなどという不始末をするかもしれないと相談されたので、俺はその全然
 妖怪なんて信じてませんし、預かろうかと思ったんです」
「よしっ!俺のところに持ってこいっ!試してやろう!」
「だだだ、駄目ですよっ!信長様に万が一のことがあったらどうするんですっ!?」
「信じてねぇんだろ、てめぇは。いいからさっさと持って来いっ!」
「無理ですって!第一、光秀様の猫なんですよ。俺がそんなほいほい持ってこれるわけないじゃ
 ないですかっ!」
「俺が許すっ!」
「でもっ!」
「サールーッ!!!」
「は、はいっっ!!!」
 信長の怒りが頂点に達し始めたのを感じ取った藤吉郎は、一目散に光秀の館へ向かって城を
 出たのだった。






「何だ、キンカン頭もついてきたのか」
 信長は、藤吉郎と猫・・そして飼い主の光秀を見やり、邪魔そうにぼやく。
「・・・一応、飼い主ですので」
「ま、いいか。で、どういうふうに化けて出るんだ?巨大化するのか?牙でも生やすのか?宙でも
 飛ぶのか?」
「「・・・・・・・・」」
 半兵衛の作戦通り動いている藤吉郎と光秀だったが、冗談抜きに化け猫のことを信じきっている
 信長に、少々不安を抱いた。
「・・いえ、そのどれでもありません」
 光秀が重苦しく、さも苦労させられているのだという雰囲気を前面に押し出し口を開いた。
 もっとも、事実光秀は苦労させられているのだが。
「じゃぁ、何だ?」
 さっさと言え、とせっつく。
「・・・叫ぶのです」
「叫ぶ?・・・こいつが?」
「はい。夜な夜な枕元に立っては、とても猫とは思えない声音で泣き叫ぶのです。その声といったら
 怖気がたつほどで、屋敷の者たちも気味悪がって暇を請うものも出る始末・・」
「へぇ、・・・こいつがか?」
 信長は籠に入れられている猫をしげしげと眺める。
 猫は人間たちの騒動も知らず、毛づくろいをし、手で顔を撫でている。
 ・・・・普通の猫だ。どこから見ても。
「夜しか叫ばないのか?」
「はい。昼間はこのように普通の猫ですので・・・」
「ふ〜ん」
 信長は顎に手をあて、何事か考え始めている。
「よしっ!今日はこいつと寝る!てめぇらは寝ずの番だっ!」
「「は、はいっ!かしこまりました!」」
 藤吉郎と光秀は、同時に頭を下げた。
 ここまでは、半兵衛の筋書きとおり・・・・だが、本当に大変なのはこれからだった。












 すでに就寝の時刻に信長を訪れた藤吉郎と光秀に、小姓たちは妙な顔をしたものの、信長から
 話を通されていたのか、あっさりと寝所まで通された。
 声を掛けて、障子を開けると、布団の上にあぐらをかき、その目の前に猫を置いて睨みつける信長の
 姿があった。すでに用意万端出来上がっているらしい。
 光秀が藤吉郎に不安そうな眼差しを向ける。本当にうまくいくのか、心配なのだろう。

「まだ化けてでねーぞ」
「夜も更けて皆が寝静まる頃にならないと駄目みたいですよ」
「今すぐ出せ!」
「無理言わないで下さい。お茶でも飲んで待ちましょう。光秀様もどうぞそちらに」
「あ、ああ・・」
 藤吉郎は小姓たちが運んできた盆を受け取ると、それぞれの目の前に置いた。
「サル、てめーは見たのか?」
「いえ、俺はお話を聞いただけなので・・・ね、光秀様?」
「あ、ああ。・・・人に話しても信用されがたい話でしたので・・・」
「サルならいいのか?」
 信長の目がきらりと光った。
「え、いえ、それは・・・」
「信長様、ほら、うちには光秀様と同郷の半兵衛がいますから。光秀様も最初は半兵衛のほうへ話を
 されたんですが、丁度俺も居たのでお聞きしたんです」
「ふーん・・」
 とりあえず納得したらしい信長に、光秀はどっと冷や汗が出る思いがした。
 信長がこの小さな武将を目にかけているのは周知の事実であるが、こんなささいなことでとばっちりを
 受けたのでは光秀もうかばれない。
 藤吉郎のナイスフォローに、光秀は多大なる感謝を捧げた。








 ホゥホゥと鳥の鳴く声が夜の静寂に響き、人々の気配も遠ざかる。
 いよいよ夜も更けてきた頃。
 命一杯やる気だったはずの、信長の目はとろんとし、まるで酒でも飲んだかのように白皙の顔には
 朱がたちのぼっていた。時折、床几についている肘がかくり、となるのは半分寝ているからに違いない。
「「・・・・・・・・・」」
 藤吉郎と光秀は、そんな信長を固唾を呑んで見守っていた。











「の・・・・のののの、信長様っ!?」
 突然、藤吉郎が上ずった声で、信長の袖を引いた。
「あぁ?」
 半分寝ている信長が夢うつつに反応する。
「あ、ああ・・・あれっ!あれ・・!!」
「んぁ・・・・・お・・・・・おっ!
 藤吉郎の指差す方を見た、信長は天井にも届かんばかりの巨大な物体に目を見開いた。
「あ・・・あれ・・・化け・・っ化け・・・」
 


   ミギャーオウッ!!



 
「このクソ化け猫めっ!漸く出やがったなっ!!」
 信長が腰の長刀を抜いた。
「信長様っ!危ないですっ!!」
「こんな化け猫に遅れを取る俺じゃねぇっ!!」
 前に出て、信長を庇おうとする藤吉郎を払いのけると・・・・
「刀の錆にしてやるわっ!!」
 白刃を閃かせた。
「信長様っ!!」
 藤吉郎が慌てて駆け寄る。



 白光が弾けた。







 








 漸く、目がなれた頃。
 呆然とする三人の目の前に一匹の猫が横たわっていた。
 それは例の猫らしく、腹には信長がつけたと思しき刀傷が一直線に走っている。

「あ・・・・」
 真っ先に猫に駆け寄った藤吉郎は、その直前で歩みを止めると恐る恐る猫に触れる。
 猫はぴくりとも動かない。
 そっと持ち上げると、ぐったりと弛緩し・・・・やはり何の反応も返さない。

「死んだか・・」
「信長様」
「・・・弔ってやれ」
「はい・・」
「藤吉郎、俺が・・」
「光秀様・・」

 物言わぬ体となった猫は、飼い主の手に戻された。




























 

 数日後、木下家には光秀が菓子折りを持ってやって来ていた。

「今回のことはすまなかったな」
「いいえ。お礼なら半兵衛に言って下さい」
 笑いながら、藤吉郎は傍らの軍師を指し示す。
「いえ、私は作戦を立てたまで。実行されたのは藤吉郎様ですから」
「でも良かったですね、光秀様。もう蕁麻疹は大丈夫ですか?」
「ああ、おかげさまで大事ない。迷惑をかけた・・・ところで」

 話を続ける部屋の障子が僅かに開き、何かが入り込んできた。
 それは半兵衛の前を通りすぎると、我が物顔で藤吉郎の膝の上で丸くなった。
 それはあの日、信長に斬られたはずの猫。
 実は、五右衛門や小六、一益にまで強力してもらってあの大がかりな仕掛けをほどこし、猫の身代わり
 まで見つけてきていたのだ。
 あのとき、誰よりも真っ先に藤吉郎が猫に駆け寄ったのは、信長に猫が『斬る前』にすでに死んでいた
 ことを知られないがためだったりした。

「・・・元気そうだな」
「ええ、とても。可愛いですよ」
「そうだ・・・・くしゅっ!」
「「・・・・。・・・・やっぱり駄目なんですね・・・」」
「そのよう・・・くしゅっ・・だな・・・へくしゅっ!」
「「・・・・・・・・。・・・・・・・」」

 盛大なくしゃみを出し続ける光秀に、主従は苦笑いを浮かべたのだった。









BACK

ミツヒヨのシリアス展開を初めは考えていたんですが、
どうも暗すぎて180度変えたら・・・
どこがミツヒヨ?な作品に仕上がってしまいました・・・(涙)
・・・ま、いいか(おいっ)