絶体絶命



ー前編ー





 空にはどんよりと雲が広がり、今にも雨が落ちてきそうな午後。
 木下家には珍しい客が訪れていた。


「光秀様が?」
「はい」
 部屋で書類に目を通していた藤吉郎は半兵衛に告げられ目を丸くした。
 今まで光秀が木下家を訪れたのは数えるほどしかなく、そのどれもが先触れがあった。
 礼儀作法に忠実な光秀は、急な訪問をして相手を困らせないようにと同輩とはいっても格下の藤吉郎
 にまで気をつかう。その光秀が、突然に、こんな気候の中でやって来たという。
「何か急な御用でも?」
「いえ、私もまだ詳しいお話は伺っておりません・・・ただ、何やら内密なご相談があるようです」
「内密?」
 誰に対する秘密なのか・・・関わるべきか否かと逡巡した。
「秀吉は?」
「まだお戻りではありません」
「そっか・・・じゃ、お会いしないと」
 奥の間に通しておいた、という半兵衛と共に部屋へと入った藤吉郎は、げっそりとやつれた光秀の
 表情に、再び目を丸くした。
「み・・・光秀様?」
 挨拶よりも先に、声をかけてしまった。
「突然に邪魔をして済まぬ」
「い、いえ・・・それは大丈夫ですけど・・・どうかなされたんですか?」
 尋常ではない憔悴の仕方にいったい何があったのかと心配になる。

「・・・・・・助けてくれ」
 絞り出すような光秀の言葉に、藤吉郎も半兵衛もすぐには反応できなかった。













「・・・・・は?猫?」
 実は、と切り出された内容に藤吉郎も半兵衛も困惑の表情を隠せない。
「そうだ、猫だ。その猫が問題なんだ」
「は、はぁ・・・」
 いったいどんな重大事を相談されるのかと思いきや・・・猫。
「えーと、凄く凶暴とか・・・」
「いや、至って大人しい」
「しつけがなって無いとか・・・」
「いや、それも問題ない」
 だったら何が問題だというのか。
「猫には問題は無いのだ・・・いや、あるといえばあるのだが・・・」
「光秀様。単刀直入にお願い致します」
 同じ美濃の出ということで、半兵衛も歯に衣着せない言い方になる。
「・・・くしゃみが、出るのだ」
「・・・くしゃみ?」
「ああ」
「えーと、猫では無くて・・・光秀様が?」
「ああ」
「「・・・・・。・・・・・・」」
 藤吉郎と半兵衛は顔を見合わせた。
「その猫が屋敷に来てからというもの・・・くしゃみは出るは鼻水は出るは・・・ついには、ほら」
 光秀が袖をまくってみせた。
 その腕には赤い発疹が至るところに出ている。一歩間違えればヤバイ病にかかっているようにさえ
 見えてしまう。
「蕁麻疹まで・・・・」
 はぁぁぁと大きくため息をついた光秀はぐっと拳を握りしめると、こう言い放った。


「あの猫は呪われているに違いないっ!」


「・・・・・・・・。・・・・・・・・・・」
 苦労したんですね、光秀様・・・・・藤吉郎は哀れみの視線を注いだ。













「猫が呪われているわけではありません」
 藤吉郎の横に座った半兵衛が落ち着いた声で宣言した。
「何故わかる?」
「わかります。私は多少、医術を学んだことがありますが・・・それは光秀様に問題があるのです」
「俺に?」
「光秀様に?」
 問いかける二人に、半兵衛は頷く。
「猫に限らず、特定の動物に対して光秀様のような反応をされる方というのは多くはありませんが、存在
 します。実際に私も何人か、見たことがございます」
「そうなのか」
「へぇ・・・で解決法は?あるんだろう?」
 藤吉郎が信頼の眼差しで半兵衛を見つめた。
 いつもは誇らしい気分になる眼差しも、本日ばかりは半兵衛を心苦しくさせる。
「・・・残念ながら」
「何っ!?」
 動揺したのは光秀だ。当たり前。
「これといって解決法も薬も無いのです。どうやらそういう『体質』のようで。お気の毒とは思いますが」
「・・・・・・・・・・」
「あの、光秀様・・・・?」
 この世の終わりだとばかりに畳に手をついた光秀に、ちょっと大げさすぎないかな〜と思いつつ
 声をかけた。
「・・・・・・猫は」
「ええ」
 絞り出すような声に、それはもうわかったからと藤吉郎が頷く。
「その猫は・・・・・・・・・・・・」
 光秀のうめくような声が衝撃的事実を告げた。






「信長様から頂いたものなのだ!」






 藤吉郎も半兵衛も固まった。



















「つまり・・・信長様にいただいた猫が原因で、光秀様が病気に」
「しかし、下賜された猫だけに捨てられもせず・・・」
「そうなのだ・・・・」
 ここにきて、漸く光秀が憔悴している本当のわけが解明された。
 解明されたから、解決されたというわけでは無いのが、みそ。
「まさか、信長様は俺がこういう体質だと知って・・・っ!」
「いや、まさか信長様でもそこまでは・・・・」
「違うと言い切れるのか!本当にっ!?」
「・・・・・・・・・・」
 詰め寄られると、絶対にそうだと言い切れないのが困る。
「このままでは、俺は・・・俺は、猫が原因で死ぬ!」
「まさか・・・・」
「この苦しみは体験した者にしかわかるまいっ!」
「・・・・・・・・」
 光秀を見ていれば、相当つらいんだなということはわかる。痛いほどに。
「・・・半兵衛、何かいい案ないかな?」
「そうですね・・・無いこともありませんが」
「何!本当かっ!?」
「はい、藤吉郎様に多少、頑張っていただかなければいけませんが」
「いいよ。光秀様には日頃お世話になっているし、困っているときはお互いさまだし」
「藤吉郎・・・・っ」
 お前は何ていいやつなんだ!!・・・と光秀に手を握られ、藤吉郎は苦笑する。
 そして、半兵衛はある計画を藤吉郎に話し出した。







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