【ルカ編】
≫1 Reason






それはちょっとした気まぐれだった





























「夕方には帰るから」
 掃除中のグレミオにそう声をかけると、ダナは気をつけて下さいねというグレミオの
 言葉を背に愛用の竿と魚籠を持ち、近くの川へ釣りに出かけた。


 解放戦争から三年という歳月が過ぎ、平和な日々を取り戻したトラン共和国。
 だがその立役者、英雄と崇め奉られているはずのダナは国境近くの小さな村で
 付き人のグレミオと共に質素に目立たないように暮らしていた。
 この小さな村に居を構えたのはほんの一ヶ月前のこと。
 最初こそよそ者に警戒していた村人たちもグレミオの人当たりのよさとダナの人を
 引きつけずにはいられない独特の存在感に今ではすっかり馴染んで気軽に声を
 掛け合うまでになっていた。
 もちろん、二人は自分たちの素性を一切明かしていない。
 そんなことをすれば一夜にしてグレッグミンスターにダナのことが知られ、迎えがやって
 来るのは明らかだった。
 苦しい言い訳だが、体の弱い商家の息子とその付き人が病気療養に来ているという
 ことになっている。
 

「やぁ、ダナ。釣りかい?気をつけてお行きよ」
「ええ、ありがとう」
 畑から村人の声がかけられる。
 それにダナは微笑を浮かべて頷く。
「いいのが釣れたら持って行きますね」
「そうかい?楽しみにしているよ」
 典型的な”人がいい”といった感じの村人はダナに手を振って見送った。











 ダナの釣りポイントは村を上流にさかのぼり、森の中に入った場所だった。
 森には時折モンスターが出るということで普通の人間が近寄ることはまず無い。
 いわゆる穴場というやつだ。
 ダナはいつもの定位置に腰掛けると釣り糸の先に餌をつけ、するすると川面に垂らす。
 後はじっと魚がかかるのを待つだけだ。
 何もしないことが苦痛な人間は多いが、ダナはこうしてじっと魚がかかるまで静かに
 川のせせらぎや小鳥のさえずり、風にそよぐ木々のざわめきの中に身を置くことを
 好んだ。

 だが、その静寂は唐突に破られる。

 森の奥、多くの人間の叫び声に鳥たちがけたたましく飛び立っていく。
 
「・・・・何?」
 だが、ダナは慌てることなく釣り糸を垂らしたままその方角を見た。
 声がしている方向から駆けて来る人影がある。
 まだ幼い子供・・・・村の子供だった。
 相手もダナのことに気づいたのだろう、涙でぐしゃぐしゃになった顔をさらに歪め、
 助けてっと悲痛な叫び声をあげた。


 ・・・いったい何が起こっているのか・・・


 ダナは漸く竿から手を放し、すがりつく子供を背後へと隠した。
 蹄の音がだんだん近くなる。
 白刃がひらめいたと思うと、木がばっさりと切り落とされる。



「ほぅ、獲物が増えたようだな」
 現れた男は血なまぐさい笑いをダナたちへ向けた。
 背後の子供がガタガタと震えるのが伝わってくる。
 よほど怖い目にあったのだろう。
 血気にはやる男を前にダナは冷静に状況を把握する。
 どうもタダで解放してもらえそうには無い・・・だが、戦いをしかけるにも愛用の武器で
 ある天牙棍は村に置いて来ていたし、紋章もアレ以外につけていない。
 まさに絶体絶命の危機というものだろうが、それでもダナは表情を変えることなく
 微笑さえ浮かべていた。

「何だ?逃げんのか?」
 つまらん、と言いたげな男をダナは静かな瞳で見つめる。
「・・あなたは僕たちを逃がしてくれるの?」
 逆に聞き返したダナに男は驚いたように目を見開いた。
 そして笑う・・・残忍な笑いだ。

「逃がすわけが無かろう」
 男は馬にムチを当てるとダナたちに迫った。
 ダナは子供を抱えて横に飛び退る。
 男が馬首をかえし再び二人に凶刃を向ける前にダナは体勢を立て直すと、震える
 子供の手を握り、微笑んだ。
「いいかい、僕が行けと言ったら後ろを振り向かずに走るんだ」
「おに・・ちゃん・・は?」
「僕は大丈夫。こう見えても強いからね?・・・さ、行くんだ」
 ダナは子供の背を押した。
「絶対、振り返っちゃ駄目だよっ!」

「馬鹿めっ!逃がすかっ!!」

 子供を追いかけようとする男の目の前に魚籠を投げつける。
 驚いた馬は大きく嘶き、足を止めた。

「貴様・・っ!!」
「駄目だよ。あなたの相手はこの僕だ」
「その竿でか?・・笑わせるな」
「もちろん、こんなもので相手になるとは思ってないよ」
 ダナは竿を置くと右手に触れた。

 ・・・熱い・・・ソウルイーターが死を求めている・・・

 そう言えば、最近人の死に触れていなかったなと思い出して苦笑する。


「死ねっ!」
 男の突き出しをひらりと身軽にかわすと呪文を唱える。
「ちっ・・紋章か」
 男は舌打ちするとダナと同じように呪文を唱える。
 先に完成したのは男のほうだった。


「おどる火炎っ!!」
 ダナの周囲に炎環が現れる。
 骨さえも溶かしてしまいそうな、激しい炎にダナは慌てることなく右手をひらめかす。
 すると、まさに襲いかかろうとしていた炎のことごとくが消えうせた。

「こんなところでそんな呪文を唱えるなんてあなた馬鹿?火にまかれて死にたいの?」
「死ぬのは貴様だ!」
「生憎、僕はあの世には嫌われていてね・・行きたくても行けないんだ。それにどちらかと
 いうと僕は死を運ぶほうだね・・・相手に」

 ダナを中心として重苦しい雰囲気がたちこめる。

「・・・貴様・・何者だ・・?ただのブタでは無いな・・・」
「僕は・・・」





「ルカ様っ!!」
 森の奥から叫ぶ声が轟く。
 おそらく目の前の男の名前なのだろう。
 そしてダナの中でかちりとピースが当てはまる。

「ああ・・あなたがルカ=ブライトなんだ」
 ダナは微笑を浮かべたまま頷く。
「それがどうした?」
「いや、狂っていると聞いたけど・・・・確かに綺麗な目をしているなと思って」
「・・・・・お前、名は?」
「知る必要があるの?殺すつもりのくせに」
「気が変わった。お前は殺さん」
「ふーん・・・」
 すっとダナの顔から表情が消えた。
 そして何事も無かったように竿を拾うとルカに背を向ける。

「どこへ行く?」
「帰るんだよ。この騒ぎじゃ魚も驚いて逃げてしまっているだろうからね。もう用は無い」
「生憎こちらの用はまだ済んではいない」
 ルカは戦場においてほとんど使われることのない弓矢を構えた。
「俺と共に来い」
 拒否するならば撃つと、ぎりぎりと弦を引く。

「・・・僕の意思は無視?」
 ダナははぁとため息をつく。
「この国では俺の意思が全てだ」
「・・・・・・・・・・・」
 ダナは肩をすくめ、ルカを振り返った。


「・・・好きにすれば?」

















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