ダナ=坊ちゃん

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「ここだよ。レパントの家」
 誰だよ。テッドは心の中でツッコミを入れる。
「…知り合い?」
「ううん。全く初めて会う」
「はっ!?」
 ルックが驚きの声をあげるが、テッドは『またか』と遠く視線を飛ばすのみ。
 ここ、とダナが示した家はこの街の資産家のものらしく、他のどの家よりも大きい。…とは言っても貴族であるダナが住むマクドール家の屋敷とは比べるべくも無いが。
「今のレパントなら、きっと訳のわからない英雄思想も脳内に蔓延らせていないから、至極真っ当な大統領になってくれると期待しているんだ」
「おいおい」
 いきなり訪ねてきた子供が『この国の大統領になって下さい』と頼んで『はいわかりました』と頷く人間がいようか?・・・・居る訳が無い。・・・・無い、とは思うのだが相手はこのダナである。あらゆる意味では普通とは遠くかけ離れたところに居る。

「こんにちは〜」
 物怖じすることなく、ダナは門を叩くと使用人らしき者が顔を出した。
「いらっしゃいませ。・・・どちら様でしょうか?当家に何か御用が?」
 不審な子供に不審がることなく、聞き返してくる使用人魂である。
「ああ!もしやシーナ坊ちゃまのお友だ・・・」
「違います。全くの無関係です」
 ダナは笑顔で即座に切り返した。
「ダナ・マクドールと申します。レパントさんはいらっしゃいますか?」
 名だけでなく、家名も持つということは貴族の証でもある。案の定、使用人は『マクドール』の名に思い出すようにしばらく沈黙し、はっと眼を瞠らせた。
「・・・失礼ですが、五将軍のテオ・マクドール将軍のお血筋の方でいらっしゃいますか?」
「テオ・マクドールは私の父です。ですが、本日は父の名代で参ったわけではありません。私からレパントさんに頼みごとがあり参りました。突然の訪問の無礼はなにとぞお許し下さい」
 流々と口上する様子はさすがに良家の子女といった様・・・分厚い猫を被れば本性など欠片さえもわからない。いったいこれまでどれほどの人間が騙されてきただろうか。
 案の定使用人も忽ち態度を改め、三人を家の中へと案内してくれた。
「どうぞ、こちらでお待ち下さい」
 客室に通された三人の中で平然としているのはダナぐらいのもの。テッドはとことなく落ち着かない様でダナの座るソファの後ろに立っている。ルックは不機嫌そうな表情のまま窓際に立っていた。
「・・・まさか、前に王様に言ってた相応しい人間ってのが」
「よく覚えてたね。・・・ここの家のご主人のレパントはね、この街の人たちにも慕われているし、奥さんにも優しいんだ(尻に敷かれているとも言うけど)」
「・・・・・・・・・・」
「唯一の難点と言えば、放蕩息子が居るくらいのものだけど・・・政治的な手腕にそんなこと関係ないし」
「しかしなぁ・・・会ったことも話したことも無いんだろ?」
 それで相手が素直に「はい」と答えると思うほうがどうかしている。
「そこはそれ。よーく話せばきっと・・・」
 ダナが言葉を飲み込むのとノックの音がしたのは同時だった。
 ソファに座っていたダナはすっと立ち上がり、相手を出迎える。
「初めまして。ダナ・マクドールと申します」
 立派な体躯の、資産家というより武人を…テオを彷彿とさせるような風貌の男。それがこの家の主のレパントなのだろう。
「レパントです。・・・この度はどのようなご用時で当家に参られた?」
 社交辞令も無く、いきなり用件に入ってしまう早急さも貴族的ではない。最も、ダナはそういう人間のほうが好きなのだろうと察するほどにテッドも付き合いはある。
「率直に申し上げます。この赤月帝国…否、ゆくゆくは共和国となるこの国の大統領をお願いしたい」
 しばらく時が止まり、部屋を沈黙が包む。
「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・は?」
 間抜けな声を出してしまったレパントを責められる人間はここには居なかった。











「帝国の貴族が腐敗し、この国に生きる人々の生活に害を及ぼしていることは、僕のような成人したばかりの子供に言われるまでも無くレパントさんも身に沁みておわかりかと思います」
 沈黙の時はお茶を運んできた使用人によって中断され、ダナとレパントは向かい合って話し始めた。
「・・・・・・・・」
「ご心配なく。僕は帝国の回し者でも間者でもありません。もちろんこの行動は父の関係していません。あくまで僕の独断でのものです。ですから、レパントさんの忌憚無い胸のうちをお伺いしたいんです」
「・・・この帝国の現状について、意見をもたれているのは立派なことと思う。しかし」
 レパントは鎮痛な面持ちで首を振った。
「私は妻のためにも、街の者のためにも帝国に反旗を翻す気は無い」
「別に翻していただかなくても結構です」
「は?」
「すでに翻っているので」
 ぽかんと間抜けな顔を晒すレパントにテッドは同情を寄せずにはいられない。
「赤月帝国にすでに皇帝は存在しません。つい先ごろ、退位していただきました」
「・・・・・・・・・。・・・・・・・・何と?」
 ダナの言葉が理解しきれなかったのかレパントは聞き返す。
 そしてダナも笑顔を湛えたまま繰り返す。
「皇帝は退位して存在しません」
 ダナの言葉がゆっくりとレパントの脳裏に巡る・・・冗談なのか真実なのか…。
 会ったばかりに見知らぬ子供に冗談を言われるほどにレパントは気安くは無く、真実を告げられるほどに信用を得ている理由がわからない。
「信じられぬにも無理はありませんが、これは事実です。数日のうちにその知らせはこのコウアンにも届くことでしょう。ですから一刻も早く、国を纏める人間が必要なのです」
「・・・それが真実であるとして、何故私なのだ。私が選ばれた訳がわからない」
「貴方は公平誠実な方です。街の人たちの信頼も篤い。それにこれから貴族という存在を解体していくためには脆弱な人間であっては困ります。確固たる意思を持ち、それを精神のみならず肉体においても貫いていける人間。今のこの赤月帝国において貴方を置いて他にはありません」
 普段のダナを知っている人間からしてみれば、鳥肌が立ちそうなほどに褒めちぎる。いったいそこにはどんな裏が潜んでいるのかと、疑いたくもなる。
「ダナ・マクドール殿。私と貴方は初めてお会いしたと思う。その私に対して何故そのように断言ができる?実際にはそう見せているだけで、腐りきった人間であるかもしれぬ」
「私は幼いですが、人を見える目はあると思ってます。失礼ながら、貴方は裏表を使い分けるほどに器用な方とは思えません。それに、これが一番ですが」
「?」
「貴方は、アイリーンが夫にと望まれた人です」
「・・・・・・。・・・・・・あれは、私には過ぎたる妻だと思っております」
「アイリーンはそうは思っていないと思います。きっとこれからもレパントさんを支えていってくれます」


「大変ですっ旦那様っ!!奥様が・・・っ」


 血相を変えた召使が、飛び込んできた。










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 クレイズは己が小物だということを知っていた。大した頭もなく、武術の才も無い。
 だから上に諂い、ここまで出世してきたのだ。
 顔色を見ることと、機を見ることには敏だったのかもしれない。
 しかし、ここに来てその立場に有頂天になり過ぎたのだろう。それは決して己で得たものでは無い。

 黒塗りの棍が、顔の横を通りすぎ、固い石床を貫く。
 びくともすることが出来ない。僅かとも視線を反らすことが出来ない。
 一切の感情を省いた冷酷な瞳、断罪する美しい死神。

「覚悟は出来ているな?」

「・・・・・っ!」
 尻餅をついたまま、背に壁がついているというのにクレイズは必死で逃げようとする。
 恐怖に顔色は蒼白で、悲鳴さえ声にはならない。
「さよなら」
「!!!!」
 ダナの最終宣告に、かくりと首を落としクレイズは気絶したらしかった。
「・・・・あれ?やっぱり小者だね」
「お前が脅しすぎるんだよ・・・」
 疲れたようにテッドが肩を落とした。
 
 レパントとの歓談中、使用人が運んできた知らせは『アイリーンが軍政官に連れていかれた』というものだった。他人の妻になったとはいえ、アイリーンは希に見る美女。下種な人間のする行動はわかりきっている。
 ただちに話し合いを中止して、レパントとダナたちは官邸へと乗り込んだ。
 レパントはアイリーン救出へ。
 ダナたちは元凶に仕置きを与えるために。

「ダナ殿」
 振り向けば、アイリーンを連れたレパントが立っていた。
「ご無事だったようで何よりです」
 アイリーンに暴力を振るわれたような形跡は無かった。
「こっちも片付きましたから。二度とこのようなことが無いように憲兵に引き渡しておきます」
「ダナ殿・・・っ」
 レパントは駆け寄ると深々と頭を下げた。
「ありがとうございますっ」
「レパントさん…どうか頭を上げてください。貴方に頭を下げられるようなことはしていません。ただ、帝国の官吏、貴族たちが腐敗しきっているだけ」
「いいえっ!・・・彼らの不正を目にしていながら、何も出来なかった己の不甲斐なさが今回の事態を招いたことはわかっておりますっ!」
 己の行いを恥じるレパントに、ダナは慈しみにも似た眼差しを浮かべた。
「己のためでは無いでしょう。貴方は家族のためにそうしていた」
「・・・っ!!」
 顔を上げたレパントは瞠目し、ダナを見つめていた。
「その優しさと厳しさがあれば、貴方はきっとこの国を良い方向へと導いてくれるはずです」
「・・・・・・」
 改心の笑みを浮かべたダナをしばらく見つめていたレパントは、やおら膝をつき頭を垂れた。

(・・・・・・・・・あれ?)
 何やら予想外の事態にダナは内心で首を傾げる。

「ダナ殿・・いえ、ダナ様!私などより、貴方様のほうが余程、この国のためには相応しい!」
 レパントはダナの手をとるとひしっと握り締めた。
「貴方のためならば、このレパント。粉骨砕身して尽くしましょう!我が忠誠は貴方に捧げます!」
「・・・・・・・・・・・えーと」
 ダナの口元が僅かに引きつる。
 視線が泳いで、テッドにたどり着く。
 テッドは生ぬるい笑みを浮かべて、沈黙を貫いた。

「・・・・予想外、想定外、だね・・・」

 レパントを見下ろしながら、ダナは呟いた。


















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時にはうまくいかないこともあるのです。