月映 2


 商人の家というには少々大き過ぎ、大名の城というには小さい…そんな屋敷に招かれたナルトは案内の人間の後ろに大人しく従って歩いていた。

「失礼致します」
 障子がそっと開けられ、ナルトは入るように促される。
 一段高い所、御簾の奥に座った人物に三つ指をついて挨拶した。
「この度はお招きいただきありがとうございます」
 頭の上…体中に観察する視線が注がれているのがわかる。
 主は無言で、何も示さない。
 別にそれは構わない。舞姫たる『自分』は舞うためにやって来たのだ。
 ゆるりと立ち上がると、腕を差し上げる。

 シャラン…っ

 鈴の音が、宴の始まり。
 仲間は居ない。ナルトだけが、舞うことを許された。
 観客もただ一人。
 館中がひっそりし、人が居るはずなのに、人の気配が感じられない。
 まるで。
 そう・・・

 まるで忍の館、のようでは無いか。


「見事」
 舞い終えたナルトに声が掛った。
 初めて聞いた相手の声は、想像していたより若々しい。
「恐れ入ります」
 座して顔を伏せていたナルトは頭を下げる。
「こちらに」
 僅かに衣擦れの音がした、御簾の奥から手招かれたのがわかる。ナルトは小さく応えを返し、しずしずと御簾の傍までにじり寄り、『失礼いたします』と声を掛けて御簾を少し上げ、中に入った。
「見事な舞いを見せてもらった礼に、盃を取らそう」
「ありがとうございます」
 差し出された盃を受け取り、捧げ持つ。
 ちらりと視界に入った手先は労働を知らぬ美しいものだったが、不思議と頼りなさは無かった。
「では、いただきます」
 ナルトの体は毒物を受け付けないようにアルコールもその効用を示さない。口元に盃を当てると、一気に飲み干した。
 ふ、と相手が笑った。
「呑みっぷりも見事だな」
「恐れ入ります」
 ナルトは口元を拭い、相手に返し、初めてその顔を視界に入れた。

 青い髪。青い目。ただし、ナルトのものとは違い、それは水面のような透明度があり、瞳孔との区切りがはっきりしていないせいで感情が読み取りにくい。聞き取った声のように30代前半ほどの年齢の外見。

「美しい舞姫だ」
 ナルトは微笑した。
「旦那様も良い男にございますね」
 男も笑った。
「我が名はスイコウ」
「スイコウ、様」
 さて、何者だろうかとナルトは思案する。
 ただの商人というには世俗臭さがあまりに無く、落ち着きすぎている。ナルトを前にしても下卑た視線など寄越してこない。では、大名・・・というには気配が。
「そなたの名は?」
「カスミにございます」
 目の前にあっても、決して手に掴むことは出来ない。それは在りて在らざるもの。
「そなた、何ゆえに我が前に現れた?」
「私は舞姫、舞うのが仕事にございます。一夜の夢を旦那様に差し上げるために」
「そうか」
「はい」

 隙が見えない。       スイコウ、何者なのだ。



 そして、ナルトが正体不明の男と接している頃。
 黒い暗部装束の影が一つ、霧隠れの里から現れ、消えた。







* * * 

「カスミよ」
「はい、旦那様」

 庭に続く正面の障子を開け放ち、夜空に浮かぶ月を愛でながらの贅沢な宴。
 スイコウはナルトが次々に酒を注ぐ杯を、間断なく口に運んでいく。顔色が変わる様子も無く、口調や呼吸に乱れも無い。酒に酔わない体質なのか、用意されている酒がそのようなものなのか。

「もったい無いと思わぬか」
「何をでございましょう?」
「相応しき者が在るというに、ふさわしき場所にはふさわしからぬ者が在るということが」
「そうでございますね」
 ナルトはあっさりと肯定する。
 スイコウが何を指してそう言っているのかはわからないが、客観的に見てそれは肯定しうる事柄だったからだ。深い意味など無い。あくまで、ナルトは招かれた一夜の舞姫に過ぎない。
 庭を見ていたスイコウの視線がナルトに向けられた。

「そなたは美しい」

 ナルトは無言で微笑んだ。そう見えるように変化しているのだ。否やも無い。
 謙遜もする必要は無い。ただ、受け入れるのみ。
 頤に手をかけられたナルトは、引き寄せられるままにスイコウに寄りかかる。
「あの月のように・・・そなたは美しいまま、姿を変えるのであろうな」
 意味深なスイコウの言葉だった。
「姿は変われど、心は変わりませぬ」
 そうではありませんか、とナルトは逆にスイコウに問いかけた。
「そうだな。美しきものは美しいまま、か。その内面の本質までは変えようも無い」
「旦那様は美しいものがお好きですか?」
「厭う者はおらぬだろう。だが・・・そう、好きであろうな。特にそなたのように並ぶもの無きほどのものが」
「過分なるお言葉を頂戴し、光栄にございます」
「ならば、わかるであろう」
「何を、でございます?」
 微笑ながらナルトは問いかける。
「手を伸ばせば届くものが目の前にあり。手に入れようと、思わぬ者がおろうか?」
「それが真に届くものであれば、伸ばすのもよろしいでしょう。ですが、見極めを間違えれば二度と見ることも適わぬことになりましょう」
「・・・嫦娥」
 月の女神の名を呟く。
「貞淑でありながら、気まぐれで、猜疑に満ちた愚かなる美しき女・・・およそ理想たりえぬ月の女神。いっそ、『かすみ』と名を改めたほうが良いかもしれぬ」
「恐れ多い」
「賢く、真を持ち、神秘の帳に包まれし美しき女」

 ナルトはゆっくりと、その身を押し倒された。









 心臓に突き立てたクナイを引き抜き、無表情でイタチは崩れ落ちる躯を見下ろした。
 死を前にしても、イタチの心が乱れることは無い。
 思うことは、ただ一つ。これでナルトの憂慮が一つ減り、喜んでもらえるだろうということだ。

(私からナルトを引き離そうとした・・・)

 老境・・・というにはまだ早いだろうが、忍としては寿命を迎えるだろう40がらみの男。
 イタチに傷の一つもつけることが出来ず、この世を去った。

「ナルト」

 イタチは夜の闇を見上げ、天に煌煌と輝く月を見た。
 男の死など、その脳裏に一かけらとして残ってはいまい。

(迎えにいく・・・)

 イタチの姿が瞬時に消えた。






NEXT