月映 3


 ナルトを押し倒した姿勢のまま、スイコウは動きを止めた。






「・・・そなたには物騒な護衛がおるらしい」
 尋常では無い殺気が室内を包んでいた。もちろんナルトが発しているものでは無い。
 ナルトは首を傾げ、とぼけてみた。・・・その気配はあまりによく知った気配だっただけに。
「私には、覚えの無いもの・・・何れのお方でしょう?」
「美しきものには棘がある・・・・動くな。この女の命は無いぞ」
 後の台詞は殺気を放つ相手に向けられたもの。ナルトの首に短刀が突きつけられていた。
 しかし殺気は怯むことなくいっそう濃く、スイコウに向けられる。


「離れろ」


 それだけで相手の心臓を止めかねない殺気を放ちながら、声はあくまで平坦で抑揚が無い。
 ナルトは短刀を突きつけられて戸惑うような表情を浮かべ、スイコウは薄ら笑いを浮かべている。
(イタチの野郎・・・帰ったら半殺し決定)
 ナルトの任務の邪魔をしたのだ。半殺しですむだけ有難いと思ってもらいたい。
「我が命、奪いに来たか」
「そんなものに用は無い。・・・舞姫」
 最後の呼びかけだけが、縋るように恋慕う声音をもって。
「どうやらそなたには熱狂的なファンが居るようだ」
 スイコウは油断なく、短刀をつきつけたままナルトにおどけたように話しかける。
「・・・困ってしまいますわ」
 ナルトは微笑むと、・・・ぼんっと煙をたてて姿を消した。
 かわりに殺気立つ男の隣に影が増える。その姿はもはや歌姫の姿ではなく、暗部の忍服をまとった青年のものに変わっていた。
 スイコウは苦笑を浮かべたまま身を起こし、改めて二人に向き合った。
「その面からすると、木の葉の忍か・・・・それが我に何用か?」
 暗部と対面したというのに動揺もせず、余裕さえ感じさせる。こんな男がただの商人であろうはずが無い。
 スイコウの問いにイタチは何も答えず(何しろイタチの目的は単にナルトを取り戻すことにあったのだろうから)、ナルトは『こいつは・・・』と頭痛を覚えながら代わりに口を開いた。
「貴方を殺しにきた、とは思わないのか?」
 男は薄ら笑う。
「我はそう容易く殺されるつもりは無いが・・・そうであれば、暗部がわざわざ色事の真似などせずとも、出会った瞬間にでも息の根を止めていたのでは無いか?」
 もっともな台詞だ。それだけの実力がナルトにはある。
 それだけに突然現れ、任務を台無しにしたイタチに殺意を覚える。しかし、そんな身内の事情をスイコウに教えてやる義理は無い。

(イタチ・・・)
(依頼人は死んだ)
(・・・・・・それは、お前が殺した、の間違いだろう)

 どっと疲れがナルトを襲う。今回の任務の依頼人は、『水影』。そんな立場の者をあっさり殺したのか。
 殺されるほうもどうかと思うが・・・ナルトは全てを放り出し、天を仰ぎたくなる。

(バレないようにしたんだろうな?)
(当然のこと)

 火影とは違い、たいした指導力も持っておらず混迷のみを招いた水影が死したとしても忍界に小波ほどの影響も無いだろう。問題は、依頼人死亡となってしまった今回の任務をどう処理するか、だ。
 前金を貰っているからには、任務遂行の義務もある。
 だが・・・

「風の噂に聞いた」
 イタチはさして興味も無いように抑揚なく告げる。
「水影には年の離れた弟が居る。水影は弟を厭い、何度も殺そうとした・・・」
「・・・・・・。・・・・・・」
 スイコウが不敵に笑っている。
(おい、それは・・・・オレが単に兄弟喧嘩に巻き込まれたということか?)

「愚者である兄が、賢明なる弟に嫉妬するというのはよくある話。・・・なるほど。己の部下の不甲斐なさに、ついには木の葉に依頼をしたということか」
 スイコウの言葉からすると、水影からの刺客はナルト以外にもこれまで幾度となく送り込まれたのだろう。
 そしてスイコウは、平然と生き続けている。
 ナルトは静かに、ふつふつと怒りが沸いてくるのを感じた。
(クソ水影が・・・弟を殺して欲しいならそうだと周りくどいことをせずにさっさと言えばいいものを!)
 そうすれば、ナルトはわざわざ舞姫などに変装する必要もなく・・・さっさとスイコウを殺していたのに。

       失礼致します」

 緊迫した空気の中に割って入ったのは、霧忍。スイコウの傍により、耳打ちする。
 スイコウは微笑んだ。そして霧忍はナルトたちを気にするでもなく立ち去った。

「なるほど。兄は、・・・」
 答えられることの無い、わかりきったことを質問するほどスイコウは愚かではない。
「愚かな兄ではあったが・・・我は特に殺したいと思ったことも無い」
 愛情を感じていたからではなく。
「殊更相手をするほどの価値も感じていなかったからか?」
 ナルトの問いに、やはりスイコウは笑う。それが肯定。
「やれやれ、里長など余計な仕事が増えるばかりで良いことなど何も無い」
「・・・・」
       そう考えていたのだが」
「「!!」」
 水の刃が、背後からイタチとナルトの間を切り裂いた。
 池の水が生き物のように天高く突きあがり、水弾を飛ばす。それを二人は巧みに避けながら、スイコウの出方を伺った。


        君よ。我がものにならぬか?」

 スイコウの薄い水色の瞳が、熱を帯びていた。






 スイコウの視線はナルトを向いている。
 その目には打算と欲望と執着が浮かぶ・・・支配する者の目だった。

「次の里の長は我だ。今以上の待遇と地位を約束しよう」
「だからお前のものになれ、と?」
 ナルトではなく、イタチからの殺気がスイコウを突き刺す。
 ナルトは、ただ笑っていた。暗部面で隠れた向こうで。
「笑えるな。俺が何たるかも知らず、待遇と地位だと?        自惚れるな」
 スイコウの表情にす、と亀裂が入った。
「俺の上に何もなく、俺の行動を束縛するものなど何も無い」
 火影の指示で動いていても、従っているわけでは無い。例え木の葉に所属していようとナルトは常に孤高であり、何者にも束縛されない。本来ならば、火影でさえ頭を下げる立場だ。そんなナルトに望みのままの地位と待遇だと。これが笑止でなくて何だというのか。


 美しく、魅かれずにはいられない・・・けれど、決して手の届かぬもの。
 『嫦娥』       月の女神。


「己を弁えろ・・・その命、長らえたくば」
 天へと突き上げていた水が、見えぬ糸から切断されたように元の場所へと戻っていく。
 屋敷を巡っていた結界が、圧倒的なチャクラに圧されて内側から崩壊した。

「さて、どうしたものかな」
「!?」
 耳元で聞こえた声に、スイコウは身を固くした。頚動脈には鋭い刃が触れている。
 まるで気配もいつ動いたのかさえ察知できなかった。
「お前を殺すことが、俺の任務だったわけだが・・・」
「・・・水影である我を殺せば、里同士の均衡が破れ、混乱を招くぞ」
「弱体化した霧隠れ程度、今更どうなろうとうちにはさして影響の無いことだ」
 生かすも殺すもナルト次第。護衛として張り付いていたらしい水忍もイタチの牽制で近づいて来れない。
「何が・・・望みだ」
 掠れる声に、ナルトが笑った。
「さすが賢明なる水影殿。話が早くていい。・・・何も木の葉の風下に立てと言うわけでは無い。ただ・・・」
 小さく耳元で囁かれた声に、スイコウは怪訝そうに眉を顰め・・・ナルトに問いかける眼差しを向けた。










 闇の中、木々に紛れて二つの影が木の葉へと向かう。

「ナルト、・・あの男に何を告げた?」
 スピードを緩めることなく並走しながらイタチが尋ねる。結局、ナルトの要求にスイコウは不可解そうな顔をしながらも『わかった』と頷いたのだ。
「お前には関係ない」
 いつも以上に冷酷にナルトは吐き捨てた。
「・・・ナルト」
「イタチ。俺と共にあろうとするなら、邪魔をするな」
 公私混同したあげく、任務に支障をきたすような真似をこれ以上続けるならば離れろ、と。
「たとえ、影を名乗るもおこがましいほどに脆弱であろうと・・・里の長だ。今度勝手な真似をしたら、火影の了承を得るまでもなく、たとえお前が血継限界の血筋であろうと、消すぞ」
 ナルトの怒りがひしひしと伝わってくる。それが怒気であり、殺気ではないことが救いなのか・・・。

「・・・すまない」

 謝ることなど知らない男の謝罪に、ナルトは足を止めた。
 相変わらずの無表情で、叱られた犬のような空気を醸し出すイタチに肩を落とした。
「謝罪はいらない」
 必要なのは、『二度としない』という確約だ。
「・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・」
 だがイタチは口を開かない。いや、開けない。
 任務でならば・・・否、相手がナルトでさえなければどのような虚言さえ弄する男は、ナルトの前だからこそ真実しか口にすることが出来ない。不器用にもほどがある。

「お前は、         俺にお前を殺させたいのか?」
「そう、したくは無いと思われていると・・・自惚れても良いか?」

 自惚れても良いかと尋ねる割に、イタチの目は揺れている。
 本当にこの男は・・・、と頭痛を覚えて額に手を置いた。
「・・・鈍い」
 本当に何て鈍い男なのだろ。このうちはイタチという男は。
 ここまでナルトの任務を邪魔しておきながら、無視されるでもなく、殺されるでもなく、こうして話すことさえ許しているというのに。

 これが『特別』でなくて、何だというのか。


「さっさと、帰って寝る」
「ナルトっ」














 月だけが見ていた。
 ナルトの口元に、悲しむような嘲笑が浮かんでいたことを。