月映(つきばえ) 1


 春の月は、地上に生きる有象無象をせせら笑うような形をしている。
 この小さな世界の中で、諍いあう愚かな人間たちを。

「ナルト」

 雲ひとつ無い夜空を見上げていたナルトの背後から声が掛かる。
 そっと目を閉じて、振りむいたナルトの顔に…月と同じような笑みが浮かんでいたことを、果たして本人は気づいていただろうか。



















「久々にまともな任務そうだな」
 火影の呼び出しを受けて執務室に現れたナルトは、任務書にさっと目を通して笑った。
 イタチと知り合ってからというもの、『常軌を逸した』依頼ばかりやらされてストレスが溜まっていたのだ。
「これにはターゲットの名前が書いてねぇけど?」
 暗殺任務にとって、最重要事項だ。これが無ければ始まらない。
 しかし任務書には『水の国。その商人を纏める者』としか書かれていない。
「こんな書き方してるあたり、組合の頭がターゲットじゃ無いんだろ」
「うむ」
 火影は重々しく頷いた。
 通常の依頼とは違い、暗殺依頼の場合には依頼人の身元確認はもとより、そのターゲット、暗殺を依頼する理由…そこまで調べる必要があるのか疑問なほど細部にわたり調査が行われる。
 その調査を受けて、火影が『妥当である』と判断して初めて任務遂行となる。ゆえに曖昧な暗殺任務など普通ならば有り得ないのだ。
「依頼人もそれが『誰』であるのかわからぬそうだ。こちらの調査でもついに探ることが出来なかった」
「へぇ…」
 青年に扮したナルトの顔が楽しそうに歪んだ。
「ただの商人組合じゃないんだな。なに、国家転覆でも狙ってんのか?」
「それに近いかもしれぬ」
「ふーん」
「霧隠れの里、ここしばらく落ち着かぬことを知っておろう」
「ああ。水影の統率力不足だろ」
 一刀両断したナルトに、三代目は苦笑した。
 細部に事情があろうとも、確かに結果としてはそうなるのだろう。
「国力が均衡してこそ、仮初の平和は保たれる。とっとと水影の首をすげかえたほうがいいな」
「そうじゃ。お前と同じように考えた者がおったらしい」
 ナルトは顎に手を置いた。
「商人は商人でも…死の商人か?…だが、あいつらにとったら平和なんかより戦争が起こっててくれたほうが嬉しいだろうし…」
「いや、まさしく相手は死の商人じゃ」
 ナルトは半眼になり、考え込む。脳裏では恐ろしい速さで仮定が組み立てられているのだろう。
「そいつの狙いは…水影のみならず、水の国そのもの、というわけか」
「おそらくは」
 水影を排除し霧隠れの里が混乱するのに乗じて、国力の弱った水の国を取り込む。
「しかし水の国も五大国の一つ。そこらへんの商人がどうこう出来るもんじゃない。かなり国主に近い人間…相手も忍を雇っている可能性大か」
「余計な混乱を招くのは木の葉としても望むところではない」
「理由はどうでもいい。依頼人は誰なんだ?」

「水影殿じゃ」










* * *

 水の国入りしたナルトは、変化で年若い女性の姿になっていた。
 湯治客で賑わう街の中を歩く。黒く艶やかな髪を背中に流した美しい顔立ちに、通りすぎる人間が立ち止まり、振り返っていく。
 目立ちすぎるのは害でしか無い。普段は気配も押さえ気味で人の記憶に残らない平凡な姿をとるナルトだが、今回ばかりは『極上の女』を演出しなければならなかった。
 何故ならば。任務と共に与えられた仮初の職業が『舞姫』だったからだ。 潜入任務をこなすとき、忍はそれをカムフラージュするために様々な職業の人間へ姿を変える。そのための訓練も受けているので踊り子だって問題ない。ただ、自分の元の性別は男で・・・そもそも暗殺専門部隊に身を置くナルトには滅多に潜入任務はまわってこないために・・・不可解なものを感じるだけで。
 まぁ、いい。
 ナルトは内心の思いを隠し、形の良い唇に微笑を浮かべた。





 何層にも重ねられた淡い桃色の薄絹が、ナルトが両手に持った鈴をシャラシャラと音を立てながらゆるりと手足を動かす度に篝火の焔を受けて彩為る色を創り出し、隠されていた躯の線を露にする。
 一つ間違えれば下卑た視線を集めそうな妖しい舞いは、ナルトが纏う静謐な空気ゆえに、微妙なバランスを保ち、観衆に息を呑ませ、言葉を失わせ、恍惚たる表情を浮べさせる。
 月を背に即席で作られた台の上で、ナルトは捧げるように舞いを舞う。
 天に掲げられた両手にある鈴が、光を受けて輝き、まるで月光が降り注ぐよう。

 動きを止めたナルトに、周囲も一つの物音さえ立てなかった。
 ただ、彼等は魅入られていた。

 ゆっくりと下ろされた手が、胸の前で組まれ……何の感情も浮かべていなかったナルトの顔に、鮮やかに麗しい笑顔が浮かべられた。
 そして。

 観衆は夢から覚めたように、熱狂的に歓喜の声をあげ、手足を打ち鳴らした。

 ナルトは、名も無き舞姫だったが、さすがにこれだけ注目を集めれば物好きな貴族、有力者などから声が掛かるだろう。細い細い、あるか無いかわからない糸を辿りながら、標的に近づいていく。
 手間はかかるが、どこか狩猟に似ていて、悪くは無かった。退屈はしない。
 一つ気がかりがあるとすれば……

(サポートの顔ぶれにイタチが紛れ込んで居なかったな……)

 舞姫一人ではさすがに無理がある。こういう場合は旅の一座などの名目でサポートメンバーが付くことになっている。任務ランク上、サポート人員とは言っても全員が暗部である。
 今までナルトの任務とあらば、イタチは自分が任務に出ていたとしてもどこからか嗅ぎ付けて、さも自分の任務のような顔をして紛れ込んでいるものだった。

(鬱陶しくなくて、いい……けどな)

 そう思いながら、ナルトは自分でも気づかないほどに、『落胆』していたのだ。


       長。客人が参られました」


 部屋の外から声が掛けられる。
 ナルトは舞姫にして、この一座の座長も兼任している……ことになっている。

「お通しして」

 ナルトはゆるりと物騒な笑みを浮かべた。
 子兎が罠に掛かる。

 ナルトの評判を聞きつけて、是非にも我が主人が館へ招き、その舞いを披露してもらいたいと仰っていると伝えてきた下人に、ありがたいことですと、心に欠片も無い言葉を吐いて承諾した。





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