エルフの逆襲 ≪ギルドール編≫



――― フロド?」

 ぼんやりと椅子に座って噴水の流れを見ていたフロドは掛けられた声に静かに振り返った。

「……お久しぶり、というほどでも無いかな。ここ、いいかい?」
「あ……はい」
 彼はエルフだった。
 だが、ここ『裂け谷』に居るはずのないエルフでもあった。
「ギルドール?」
 フロドが不思議そうに首を傾げる。
「良かった。どうやら忘れられてはいないようだ」
 おどけた言い方に、森の中で初めて出会ったときを思い出してフロドは笑った。
「忘れるわけがありませんよ。でもどうして、ここに?」
――― 君を、追ってきた」
「え?」
 陽気なギルドールの暗く影を落とした表情に、フロドはこくりと首を傾げる。
「私は後悔していたのだよ」
 癖の無い真っ直ぐな金色の髪が視界にさらさらと落ちてくる。
「君たちを・・・・君を置いていってしまったことを」
 エルフは他種族に必要以上に干渉しない。放浪のエルフである彼等ならばさらに。
「どうしてですか?あなたたちは僕たちに安心した眠りを下さいました。恵の食物も置いていかれた。十分以上 のことをしていただきました。後悔されることなどありません」
 本気でそう思っているフロドは、麗しの青でじっとギルドールを見上げた。
「そう、普通ならば私もそれで納得しただろう。けれどね、フロド」
 ギルドールはそっと手を伸ばし、フロドの頬に触れた。
「出会った頃より痩せたね、君は。それにとても辛そうだ」
「それは……でも、あなたのせいでは決してありません。少し臥せっていたので痩せただけで元気になれば また元に戻りますよ。この傷も・・・自分が招いたものですから」
「違うよ」
「え?」
 ギルドールは、ちょんとフロドの小さな胸を突付いた。
「ここが、辛そうだ」
「……。……」
 何か言おうとしたフロドは、言葉にならず口を閉じた。
「過ぎ去ってしまったことを思い煩っても仕方ない。けれども、私は君を裂け谷に着くまで導くべきだったと 思われてならないのだ。その思いはずっと胸に蟠り、消えることが無い」
 秀麗な顔に苦悩の表情を浮かべるエルフから視線を逸らし、フロドはぴょこんと立ち上がった。
「ギルドール」
 くるりと振り向き、正面からエルフを見据える。
 こうしていても、まだ彼のほうが視線は上だ。
「フロド?」
 フロドは笑顔を浮かべている。
「あなたらしくありませんよ、ギルドール」
「……」


「しっかりしなさい」


「っ!?……。……」
 まさに呆気に取られた表情でフロドを眺めるギルドールに、ぷっと吹き出した。
「エルフの方のそんな表情を初めて見ました」
「……」
「お気を悪くされたら、ごめんなさい」
「いや……いや、参った」
 俯きがちだった顔をあげたギルドールの口元には微笑が浮んでいた。
「まさか、こんな反撃をされるとは……ホビットとは油断ならないな」
「ええ、油断ならない生き物なんです。だから……もう、後悔はしないで下さい。貴方のそんな顔を見るのは 悲しいから。森で出会ったときのように……笑っていて下さい」
 優しすぎるホビットの言葉に、ギルドールは目を閉じた。
 他人に優しくすることは、己が満たされているときならば易い。だが、今のフロドは誰よりも重い枷を背負い そんなことに気を回す余裕など無いはずなのに、こうして気遣う。
 小さく華奢で、すぐにも壊れそうなこの目の前の体の中には、こんなにも強い心が生きている。

「……フロド」
 ギルドールはフロドの小さな手を取り、その甲に口づけた。
――― 祝福を」
「ギルドール……」
「君が、無事旅を終え、帰ってくることを祈っている」
「……はい」
「そのときは―――
 フロドの唇にそっと綺麗な指が触れる。
「こちらに、祝福のキスをしよう」
「―っ!?」
「ね?」
「っギルドール!」
 ずずっと後ずさったフロドに、今度はギルドールが笑い声をたてた。
「では、そろそろ退散するとしよう……君の騎士が怖い顔で睨んでいるから」
「え?」
 ギルドールの視線を追ったフロドは、少し離れた場所で柱に寄りかかってこちらを見ているアラゴルンを 発見した。確かにちょっと睨みつけているように見えないでも無い。
「旅立ちの日は近い。それまでここで十分に養生するんだよ」
「はい」
 ギルドールは立ち上がり、フロドを置いて去っていく。
 その彼と交替するように、アラゴルンがフロドのほうに近づいてきていた。

「ギルドール!」

 去っていこうとしたギルドールが、フロドの呼びかけに振り返る。
「森でのこと、お礼がまだでした。――― ありがとうございました」
「まったく……ホビットが退屈だ、などと言った言葉は撤回するよ」

 フロドは嬉しそうに笑っていた。




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