Don't cry baby ! 4


「な・・・何ですとぉぉっっ!!!!」





 ドラ将軍の雄たけびが宮殿に響き渡った。
 ウォルは反応を予想し、すでに耳を塞いでいる。バルロも渋い顔をして耳を塞いだ。

 事の始まりは、ソレイルのご機嫌伺いにやって来たドラ将軍が、まずは陛下にご挨拶をとやってきたところにある。待望の世継ぎ誕生に最近とみに機嫌が良いドラ将軍は(何やら舅じみている)途中まではほくほく顔でウォルと話に興じていた。先に来ていたバルロも交えて非常に和やかだった。
 だが、そろそろ皇太子殿下にご挨拶をと御前を辞す挨拶をしかけたドラ将軍に当のウォルが告げたのだ。曰く、

 『ソレイルならリィと家出中だぞ』、と。


「陛下、ご冗談はほどほどになされませ。妃殿下のみならいざしらず、いくら少々常識外れの妃殿下とはいえ、生まれてまだ一年も立たぬ幼児を連れてお出かけなど」
「いや、だが実際書置きがあったし。いつもならば断りの一つも無いのに律儀なことだと感心しているほどだが」
「馬鹿おっしゃい!!」
 さすがリィも母親になったなぁと言おうとしたところでウォルは口を閉じた。
 ドラ将軍の剣幕はそれどころでは無かった。
「陛下。このドラめも揶揄うのもほどほどになされませ。……で、本日は何処にお出かけですか?しばらく西離宮にお戻りではなかったようですが、そちらへ?」
「さぁ……家出中だから書置きには行き先など書いておらぬし、西へ行ったか東へ行ったか……」


「陛下!!」


 ウォルは首をすくめた。
「それが事実であるならば由々しき事態にございますぞ!すぐに捜索隊を編成し、お二人の行方を捜さねばなりませぬ!!ソレイル様の御身に何事かありましたら、このデルフィニアはどうなるとお思いかっ!!」
「どうにかなるのでは無いか……?」
「!!!!」
 慌てる様子も騒ぐ様子も無いウォルにドラ将軍の血管が切れそうになる。
「まぁ、ドラ将軍」
「サヴォア公!」
 おぬしも共犯かとばかりに眼光鋭く睨みつけられたバルロは苦笑する。
「さすがに妃殿下だけでなく皇太子殿下をともなわれたとすれば、陛下もこれほど落ち着かれてはおりますまい。ただの家出ではない、とそういうことと推察いたしますが?」
 曲者のようにウォルに笑いかける。
 バルロは色々なことを腹の中に隠している狸である。大よその事態は掴んでいるのかもしれない。
「・・・どういうことですかな?」
「主公認の家出とは初めて聞きますが」
「公認はしたつもりは無いが…リィは俺の言うことなど聞かぬからなぁ……」
 更に妊娠・出産騒動でウォルの地位は地に落ちている。恐妻家も真っ青なほどにその立場は弱い。
「陛下!!」
 ぐるるる、と唸りそうなドラ将軍にウォルは告げた。

「リィとソレイルの安眠のためだ」







 その頃、家出の書置きをしたリィはソレイルを抱いたシェラとイヴンという一行でパラストまでやって来ていた。いつものお忍びと違い、イヴンがお供なのはソレイルが居るせいだ。要領が良い割に、彼はいつも貧乏くじをひいている。それもこれも全て幼馴染のせいであることは間違いない。

 そして三人(と半分)は城壁にへばりついていた。傍から見れば、明らかに侵入真っ最中。
 ソレイルが行動することは無理なので、リィが背負っている。彼は、状況がわかっているのか、泣き声どころか、うんともすんとも言わず沈黙を保っている。
 何で子連れで城壁登り……イヴンは夜空を見上げた。
 そうして、黄昏ているうちに(もう夜中だが)リィとシェラは城壁をすでに登り終え、早く来いとイヴンを促している。こそ泥気分満載だ。
 登り終えると、見張りがぐるぐる巻きで転がっていた。何という早業か。
 シェラは城壁を反対に下りるためのロープを垂らし、リィの姿はすでに無い。見れば、下で手を振っている。そのまま飛び降りたのだろう。子供を産んでも全く変わることなく化け物じみている。
「では、手はず通りお願いします」
「へいへい」
 シェラの言葉に頷いたイヴンはシェラが下りるのを確認してロープを回収した。イヴンに与えられた仕事は逃走経路の確保である。何しろその道の本職であるシェラには身軽なイヴンといえど、ついてはいけない。ましてやリィはその上をいく。情けないことながら、一番楽な仕事が配分された。
「人外魔境どもめ」
 今更である。




「前に来た場所と違うけど?」
「あの後、オーロン王は自室の場所を変えられたそうです」
 呆気なく侵入され脅された場所で、安心して過ごせというのが無理な話だ。
「ふーん」
 リィはさして気にした風でもなく、背負っているソレイルを振り返った。彼はすやすやと熟睡中。
 今から大物の予感を感じさせる。一番危険に満ちた場所だが、世界で一番安全な場所であることも確か。……デルフィニアは末永く安泰だろう。
「それでオーロン王に会って何をなさるんです?」
「話し合い」
「……。……」
 これほど白々しい台詞も無い、とシェラは思った。
 そもそもリィたちがパラストまでわざわざ出向いたのも、裏で糸を引いていたのがオーロンだったからだ。デルフィニア国内に未だ根強く残っている反現王制派の貴族にコンタクトをとり、次々と刺客を放っていたらしい。捻りの無い顛末に「またか」と王と王妃が揃って溜息をついたのは、ほんの数日前のことだ。
 そして、ここに来るまでにその貴族についてはパラストと遣り取りしていた書面を証拠として突きつけて、処分してきている。
 ソレイルを背負ったリィに処分を読み上げられた貴族は、己の身の破滅への絶望より、そんな相手に処分される絶望に打ち震えていたように思える。
「オーロンもなぁ……」
 『絶対にバレないようにするから始末してもいいか?』と尋ねたリィにウォルは渋い表情で『駄目だ』と許さなかった。今、三国で丁度良いバランスを保っている。オーロンが倒れれば、ゾラタスも黙って居無いだろうし、デルフィニアもまた戦火に巻き込まれるだろう。
 『んじゃ、ちょっとお灸をすえてくる』というリィに、まぁそれならばと許したウォルもウォルだが。

 こんな相手と敵対していなくて良かったとシェラは幸福をかみ締めた。







「っ!!!!」


 オーロンは突如として襲った腹部への衝撃に、目を見開いた。
 だが一緒に飛び出すべき叫び声は、音となることは無かった。

「おお。ソルの丁度良いトランポリン代わりだな」
「リィ……」
 一国の王の腹をトランポリンとは……そして、ソルはわかっているのか、いないのか。楽しそうに跳ねている。
 当のオーロンは、己の両脇に立っている影に脂汗やら冷や汗やらが一気に流れ出す。
 信じられぬと、その視線は訴えていたが相変わらず声を出すことも体を僅かとも動かすことも出来なかった。
「やぁ」
 とりあえず軽くリィは挨拶してみた。
「……」
 オーロンの顔には恐怖が色濃く現れている。己の腹をトランポリン代わりにしている子供さえ気にならないくらいに怯えていた。そんなに恐いのならば端から手を出さなければ良いのに、否。だからこそその恐怖の根源を断ち切りたくて仕方が無いのか。
 手を出さなければ襲われることは無い。そう言われても猛獣を目の前にして平気でiいられる者が幾ら居るだろうか。
「俺がここに居る訳はわかるよな?」
 オーロンは必死で首を振り、視線を徘徊わせる。
「無駄ですよ。護衛の方にはゆっくりお休みいただいてますから」
 シェラにとっては殺してはいない、という親切のつもりだったのだがオーロンにとっては更に恐怖を煽るものでしか無かった。醜く泣き喚きそうになったオーロンの顔面に、トランポリンを楽しんでいたソルが足を滑らせ、見事な蹴りが入った。
 ソルは、一国の王を足蹴にしたことも気にせずご機嫌だ。
 ある意味、リィより酷い……とシェラはほんの僅かにオーロンに同情した。
「ソル」
 母の呼びかけにソレイルはオーロンの顔を容赦なく踏みしだいて手を伸ばした。
 リィもその手に応えて抱き上げてやる。
 初めの頃は首を抓んでみたり、ぶらぶらさせてみたりとシェラを大いに不安と恐怖に陥れてくれたものだが、今ではさすがに様になっている。
「俺はともかく。ソレイルまで狙われたとなると野放しには出来ないからな。何も出来ない子供を守るのが親の役目。そうだろう?」
 強い碧玉の瞳で見据えられたオーロンはこくこくと頷く。……顔と胴がくっついていてどこが首なのだかわかりはしないが。
「わかるなら。――― 殺しても良いか?」
 瞬時に顔を蒼白に変え、ぶるぶると高速で顔を振る。
 リィは顔色も変えず、オーロンの眼前に短刀を翳した。

「ストップ」

 脇からの声に、シェラは鉛球を構えて身構えた。
 今までその気配に全く気づかなかったのだ。
 隣室との間仕切りに使用している分厚いカーテンに寄り添うように立っている華奢な立ち姿。
 灯火の陰になるように顔ははっきりとはわからない。
「是非とも王妃様にはそこまでにして欲しいんだけど?」
「……お前、妙な匂いがする」
 素っ頓狂なリィの言葉に相手が苦笑したのがわかった。
「黒いのの仲間か?」
「そっちの白いのともね」
 シェラはぞわりと総毛立ち、殺気を露にすることを止められなかった。
 己と同じモノ。

 王妃は翳していた短刀をオーロンの枕に突き刺した。
 すでに失神してしまっているオーロンに反応は無い。
 リィは油断なく男に視線を定めている。こちらもぴりぴりと気を張り詰めていた。

「あんたらに、というか。その赤ん坊には手出しさせないようにするからさ。ここは引いてくんない?」
「意思の無い腕一つにそれが出来るのか?」
「出来るさ。これは俺と王妃さんの契約。今回見逃してくれるわかりに、その子供を狙う奴は俺が片っ端から片付ける、ていうね。損な取引じゃないだろ?」
「馬鹿なっ!」
 軽薄な男の物言いに信用が出来るわけが無い、とシェラは鉛球を今にも打とうとする。
 それを視線で抑えて、リィは闇夜でも変わりなく輝く翡翠の瞳で男を見据えた。
「お前の名は?」


「レティシア。レティで良いよ」


 表情は見えないのに、間違いなく男が楽しそうに笑っているのが想像できた。








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