Don't cry baby ! 5



 オーロンの居城に忍び込んでから数日後。
 家出した時と同じようにこっそり戻って来ようとしたのだが……西離宮で床几に腰を下ろして据わりきった眼差しで待っていたドラ将軍に見つかってしまった。

「お待ちしておりましたぞ……妃殿下」

 おどろおどろしいドラ将軍の言葉に、さすがの王妃も顔が引きつっていた。
 いったいいつからそうして待っていたのだろうか。
「ご無事でのご帰還。重畳にございます」
 普段とは違う押し留めた静かな物言いが、ドラ将軍の怒りがどれほどのものか知らせた。
「しかし、我らの心労如何ばかりか!妃殿下におかれては……っ!!」
 このままでは休むまもなく始まりそうだったドラ将軍の小言は、わかっているのかいないのか。グッドタイミングとしか言いようの無いタイミングで泣き出したソレイルによって一時中断となった。
 ……生まれてこの方、普通の赤子のようにまともに泣き声を聞いたのは初めてでは……とシェラは呆然となった。



 
「おぉ、戻ったか」
「……疲れた」
 王宮に顔を出した王妃の疲労困憊した表情に、王は驚愕した。
「どうしたのだ?」
「お前、ドラ将軍にはちゃんとバレないようにしておけよ」
 その言葉に事と次第をしっかりと認識したウォルは笑い声をたてた。
「それはお前に返すぞ」
「ちゃんと書置きしただろ」
 いつもは黙って出て行くのに。
「せめてソルは置いていくべきだったな」
「俺が連れてるのが一番安全だ」
 確かにどんな難攻不落の砦より安全だろう。
「ソレイルはどうした?」
「シェラが預かってる」
「そうか」
 王妃はソレイルが生まれて以来ずっと、己の視線の届かない場所から離さなかった。
 それがシェラに預けたとはいえ、こうして別行動をしているというのは万事上手く収まったということなのだろう。
「不甲斐ない夫でもすまんな」
「全くだ」
 腹いせにぐしゃぐしゃとウォルの頭を掻きまわす。
「……」
 熊と栗鼠がじゃれているような光景に、何故かこの場に居てしまったイヴンが遠く視線をやった。
 仲良きことは良いことだ、とそう己に言い聞かせて。



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「何故、お前がここに居る……?」


 シェラは苦々しく呟いた。
 ソレイルを預かり、与えられた部屋に寝かしつけようとしたら……その部屋の中にオーロンの部屋で出会ったレティシアという男が居たのだ。
 すぐさま不審人物として始末するか捕縛するべき対象だ。
「え、だって。赤ん坊を守るって契約したからな、王妃さんと」
 当然のように言いやがった。
「お前などに守られるまでも無く、私が王太子殿下はお守りする!」
 行者の言葉など信用できるものか。
「へぇ」
 男は面白そうに、シェラを見下している。
 明るい場所ではっきりと目にした男の姿は、やはり華奢で……恐らくシェラと同じような役割を与えられていたのだと想像できる。
「いったい何が目的だ……?」
 そんな何の得にもならない仕事をするだけで近づいてくるわけが無い。
 そう思うと、全てが作為的に思えてくる。
 ソレイルが狙われたのも。オーロンをそそのかしたのも。
 全て王妃に近づくためだとしたら……?
 シェラの警戒心は否が応でも高まった。
 そんなシェラを知ってか知らずか人を小馬鹿にしたような薄笑いを浮かべてレティシアは佇んでいる。
「王妃さんは?」
「妃殿下には妃殿下のお仕事がある」
 何となく。シェラは王妃とこの男を関わらせることに不安を感じた。
「ふーん。せっかく明るいところで三国に名高い美貌を見物させてもらおうと思ったのにな」
「なっ・・・」


「別にそう大したもんじゃないぞ」


 シェラの気づかぬ間に王妃が部屋の入り口に立っていた。
 その姿は西離宮に居る時より少しばかり「マシ」なだけで、初めて出会った人間が王妃を『王妃』なのだとまず認識するのは無理だろう……良くて従者だ。最早、周りも見て見ぬふりをすることに慣れてきた。
「帰って早々顔を出すなんて勤労精神に満ち溢れているな」
「王妃さんとの契約を破ったらどんな目に遭わされるやら、現世の戦女神の名は伊達じゃないだろ?」
「周りが勝手に呼んでいるだけだ。自分でも思ってないことを口にするな」
 王妃はシェラの腕に抱かれているソレイルに目をやり、首を傾げた。
「どうするかなぁ。いかにも怪しげな奴が増えたら女官長が驚くだろうし・・・いっそのことお前、シェラの同じ格好して侍女になるか?」
「リィ!」
 王妃は本気だ。この人に常識は無い。
「いやいや、さすがに俺の体格じゃ無理だぜ・・・」
「ウォルに比べれば全然問題ない」
 比べる対象がおかしいということに気づいて欲しい。
「リィ!そもそもこんな男を傍に置くなんて反対ですっ!いったい何を企んでいるか……」
「だからこそ傍に置いておいたほうが安心できるだろ。ソレイルを守るって契約を俺と結んだからにはそのぶんは働いてもらわないとな」
 そう言うわけで、侍女決定と楽しげな王妃にシェラの目の前が真っ暗になる。

「服用意してやってね」

 


   


「リィ……気のせいで無ければ、なのが増えている気がするが……?」

 ウォルの言葉に、次々とシェラの料理を胃袋に収めていた王妃は顔を上げてあっさりと頷いた。
「うん。シェラの元同僚」
「……」
 そんなことをあっさり言うからドラ将軍やバルロを怒らせるのだ。
「オーロンのところに行ったら、命を助けるかわりにソルのお守りするって言うから雇った」
「ほぅ」
 王妃とウォルの視線の先ではソルをあやしているシェラが、レティを牽制している。
「あまり仲が良さそうでは無いな」
「真面目な優等生と不良は気が合わないってパターンかな?」
 だが、王妃は特に気にしていないらしい。
「しかしあの格好はどうにかならんのか?」
「え、可愛いだろ?」
「……。……」
 レティシアの侍女姿はいくら細身とは言え成人しきった男のものであるので、シェラと違い……無理矢理感に溢れている。
 さすがのウォルも、王妃の正気を疑った。
「どう見ても男だろう」
「まぁ急造だし、多少詰め物して化粧すればちょっと骨太なお姉さんで通るんじゃない?」
「何故そこまで侍女に拘る。普通に侍従として雇えば良かろうに」
「だってオレの傍に男を置くのをお前たちが嫌がるだろ」
「……」
 一応、気を遣ってくれているらしい。
「それにそのほうが面白い」
 それが絶対に本音に違いない。
 王妃はレティシアとシェラに歩み寄った。
「あやす姿も結構様になってるな」
「若い頃はお嬢ちゃんと同じようなことしてたしね。だいたいこの王子様、全然泣かないけど大丈夫なのかよ?」
「危ないことも悲しいことも無いのに何を泣くって言うんだよ」
「まぁ、それもそうか」
 それで納得するな。
 シェラは王妃とレティシアの会話を耳にしながら頭痛を覚えた。
「とりあえず、寝たら置いておけよ。女官長に抱き癖がつくって怒られるからな」
「……普通使用人に王妃が怒られたりするもんか?」
「だったらお前は子供産んだことがあるのか?自分が体験したことも無いのに偉そうに言えるか。その点、女官長は力強い経験者だ」
「変な王妃さんだな」
「よく言われるんだ。オレとしては普通にしてるつもりなんだけど」
 王妃の普通は断じて『普通』では無い。
「ま、いいか。面白いし」
 口調の粗雑さとはうってかわってソレイルをべビーベッドに寝かせる仕草は丁寧だ。
「ちょっと来いよ、うちの王様に紹介するからさ」
 レティシアは妙な顔になった。その王様は少し離れたところでにこやかに遣り取りを見守っている。
 知らない人間が見れば、ちょっとどこか頭のねじが取れているのかと疑うところだ。
「ウォル。シェラの元同僚の暗殺者。レティシア」
 レティシアが顔をひきつらせた。いったいどういう紹介なのだ。
「ああ、ソレイルの守護を引き受けてくれたとか。よろしく頼む」
 何の疑いも無い顔で右手を差し出してくる。
「……よろしく頼まれて良いんですかね?いつ裏切るともしれないのにねぇ」
「裏切る予定でもあるのか?」
 そういうことを真顔で聞かないで貰いたい。
「無いです、けど……」
 レティシアがシェラに視線を流した。それを咄嗟に逸らす。
 言いたいことはわかる。『何なんだこの生き物?』という新種を発見した気分に近いのだろう。
「そもそも王妃を交わして逃げるのは至難の業だぞ?うちの戦女神は怒らせると、それは恐い」
「怒らせるようなことをしなければ大人しいもんだ」
「物騒な拾い物は時々してくるがな」
「……」
 茶目っけ溢れる嫌味に、王妃は少しばかり罰の悪そうな表情で視線を逸らした。
 少しは自覚があるらしい。
「今回はちゃんと報告しただろ」
「事後報告だが」
 もちろんシェラの時もそうだった。
「女官長を驚かせないようにな。余計な気苦労をさせて暇乞いなどされては困るのは俺たちだぞ」
「はーい。そういうわけだから、女官長の前では猫被れよ」
 それで良いのか。
「それからドラ将軍と従弟殿にも内緒にしておいたほうが……」
「見つかったら大目玉だぞ」
「しかしなぁ……だが、言っおいても怒られそうだぞ?」
「確かに」
 暗殺者を雇うことになりました、と言えば反応は明らかだ。
「じゃ、二人には保留にしておこう」
 その後、二人は見つかった時の罪のなすりつけをしていたが、人が呼びに来たのでウォルは部屋を出て行った。

「妙な王様。あれ、本当に王様?」
「正真正銘、デルフィニア国王だぞ。あいつ以外の夫を持った覚えも無いし」
「類は友を呼ぶ、ていうことか」
 同意を求めるようにシェラに視線が投げかけられたが、必死で沈黙を守った。
 確かに思ってもいるし、口に出したとしても王妃が気にすることは無いだろう。

 それでも認めたく無いこともあるのだ。

 そこに己も含まれている可能性を考えれば考えるほど。