Don't cry baby ! 3



「あの……失礼致します」
 シェラが遠慮がちに声をかけた。
「ん?」
 その時、王妃は熊(=国王)をソファがわりにして、国境付近でキナ臭い動きを見せていたパラストについての報告を読んでいるところだった。一度は西離宮に戻ったものの、一週間ほどしてまた本宮に戻ってきていた。お披露目についての打ち合わせやら、出産のために控えられていた報告やらでそのたびに西離宮から顔を出すのが面倒になってきたのだろう。そしてもしかしたらわが子のために、世話は乳母に任せてはいたが傍に居てやろうと思ったのかもしれない。
 まぁ、何にしろ王夫妻は王の執務室で、それはそれは他の人間が見たならば『ご馳走さまです』と言うしかないような体勢で、本人たちは全く無自覚にほのぼのしていたのだ。
「ソレイル様が……」
「ソルが?」
「……手に持たれていた遊具をへし折られました」
「へし……」
 シェラの言葉と赤ん坊の行為が結びつかず国王は一瞬呆けた。
「?投げつけたとかじゃなくて、自分で折ったのか?」
「はい」
 在り得ない。普通ならば。
「これは参った。俺似だと思ったが、中身は王妃だったか」
 国王はこの異常事態にも動じず朗らかに笑い声をたてた。……ちょっとどついてやりたくなったシェラを誰も責めることは出来ないだろう。
「それで、被害はそれだけなのか?」
「今のところは……」
 しかしまだ自我の確立しない赤ん坊のこと。今回は遊具でよかったが、王妃譲りの怪力で世話をする乳母や侍女の骨をへし折らないとも限らない。
「リィ。お前はどうだったのだ?」
「俺?……俺のまわりは遠慮がいらない奴らばかりだったからな」
「そうか。しかし、困ったな。どうやって他人を傷つけてはいけないと心得させる?」
 王妃は読み終わった書類を国王に返すと軽く立ち上がった。
「今まで大丈夫だったから心配ないと思うけど、一応言い聞かせてくる」
 そのまま王妃はすたすたと出て行ってしまう。

「……言い聞かせて聞き分けるものなのか、最近の赤子は?」
「……」
 国王の呟きにシェラには答えを持たなかった。
 




「大夫表情が出てきたな」
 シェラも王妃を追って王子が寝かせられている部屋に戻ると王妃が王子を抱き上げてあやしていた。
 手つきもなかなか様になってきている。女官長が必死に教授した甲斐があるというものだ。
「お母上様がおわかりになるのでございましょう。ご機嫌がよろしいようです」
 控えている乳母は穏やかに笑っている。女官長が選んできた幾人かの候補の中から王妃が『この人にしよう』と決めた女性だ。
「へぇ」
 貴族とはまた違った意味で、『母親』としての仕事はしない……というより出来ない王妃だ。何故か母親というよりわが子の成長を喜ぶ父親の風情さえある。
「ソルが何か無体を働いたりしてないか?」
「いいえ。遊具は驚きましたが、他にそのようなことをなされたことはございません」
「なら大丈夫だな。ソル、女性には優しくしろよ」
「「……。……」」
 ちょっとずれた言葉にシェラと乳母はかくりと首を傾げる。
「うー」
「ああ、わかってるのか。なら大丈夫だな」
 赤子と会話を成り立たせた王妃は寝台にわが子を戻した。

「……鉛球でも与えておくか」

「おやめ下さい!」
 ぼそりと呟いた王妃の言葉にシェラは即座に反対した。




 平穏な夜だった。
 ソレイルは夜泣きをすることはほとんど無く、育てるほうには全く手のかからない赤ん坊で、隣室で乳母もぐっすりと休んでいた。


「子供の部屋を訪ねるには少々時間が遅すぎないか?」

「!?」
 今まさに庭から入り込もうとした黒ずくめの不審者たちはふって沸いた声に頭上を見上げれば、宙に張り出した獅子のレリーフに腰掛ける人影が一つ。
 人影がひらりと身軽に下り立つと、雲間から一瞬顔を出した月がその姿を明らかにした。
「王妃!」
 誰かが小さく叫んだ。
 王妃は腕を組んで、にやりと笑う。
「オレの息子に祝いをくれるなら、もっと明るい時刻にするべきだな。それとも……」
 王妃に向かって放られた短剣を、慌てることなく……その二本の指で受け止めた。細く白い指には掠り傷の一つも無い。
「祝いにくれるには安物だ」
 返すぞ、と指をしなっただけに見えたが……その威力は先ほどの比にはならない。
 ドス、と肉に突き刺さる音がして不審者の一人の腕に突き刺さった。
「くっ」
「……お前たち始末しろっ!」
 指示を出した男は、仲間と別れソレイルの部屋へ向かう。
「ここから先へは行かせません」
 シェラが立ちはだかった。
「貴様っ」

 国内には、ソレイルが生まれたことで色々と都合が悪い者たちが居る。
 当然のこと刺客は想定内。王妃が西離宮に戻らないもう一つの理由がここにある。

「シェラ、殺さずに捕まえろよ」
「はい」
 5人に囲まれようが、10人で囲まれようが王妃の敵では無い。自害させないように、目にも留まらぬ速さで男たちに拳を見舞い、白目を剥かせる。百獣の王たる獅子を一発で大人しくさせる拳だ。形は小さくともその威力は言うまでも無い。
 命をとっても良かったが、ウォルから『色々聞きたいことがある。生かしておいてくれ』と頼まれた。
 王妃は、持ってきていた麻縄で男たちをぐるぐるに締め上げると口の中にも乱暴に布を突っ込んだ。

「リィ、こちらも片付きました」
 シェラが同じように拘束し男を転がした。
「毎晩よく来るもんだ」
「……」
 ここ数日、連日のように刺客が放たれていた。下手な鉄砲も数打ちゃ当たる、では無いがいい加減にうんざりする。
「大元を締め上げるべきなんだろうな」
 刺客は、全て『ファロット』では無い。現在彼ら一族は、デルフィニアに関わることを出来るだけ避けている。デルフィニアに……というよりはこの王妃に関われば関わるほど、今まで完璧を誇っていた『仕事』は失敗ばかりを重ねて、その名も地に落ちる。鬼門と言えるだろう。

「お疲れ様です」
「お前もな」

 ひっそりと、二人は闇に身を溶かした。






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