Don't cry baby ! 2
夜会の準備に慌しい気配を醸し出している王宮からそろそろ北離宮へ戻ろうとした王妃はウォルに『じゃあな』と手を振って扉からでは無く、バルコニーから飛び降りて出て行こうとした。
ふっぎゃ~ぁ゛っ!!!
その途端、鳴り響いた泣き声というよりは、ほとんど叫び声。
ウォルは何事かと目を見開き、ベランダに足をかけていた王妃は危うく躓きそうになった。
外に待機していた護衛や乳母まで顔を出す。
「何事ですかっ!?」
「いや、何事も何も無いが……」
ウォルは途方に暮れた顔で泣き続ける赤ん坊を見つめている。
乳母もあやすが全く泣き止む様子が無い。
「へぇ、ソルもちゃんと泣くんだな」
そこへ出て行こうとした王妃が戻ってきた。顔を覗き込まれた赤ん坊はぴたりと泣き止む。
「……泣き止んだな」
「何か癇に障られることでもございましたのでしょう」
「ふーん」
乳母にあやされている赤ん坊を不思議そうに眺めていると、女官長が王の支度を促しに現れた。
「ご歓談のところ失礼致します。陛下、そろそろお支度をお願いいたします」
「うむ」
「妃殿下は……」
「不参加」
あっさり即答された女官長は半ば諦めていたので小さくため息をついたのみ。
そして再びバルコニーに向かう王妃を引き止める。
「妃殿下、そちらはお出口ではございません」
あの王妃に注意を促す女官長に、護衛も乳母も尊敬の眼差しを向けた。
さすが王宮の影の首領(ドン)。
「それじゃ、頑張れよ……」
ふっぎゃ~ぁ゛っ!!!
「「「「……。……」」」」
騒音をバックグラウンドに、大人たちは互いに見つめあった。
自然と、視線は王妃に向けられる。王妃は扉にかけていた手を引いた。
ぴたりと泣き止む赤ん坊。
王妃は嫌そうな顔になった。
「……リィ」
「冗談じゃない」
ウォルの言いたいことはリィで無くともわかっただろう。
「妃殿下」
「嫌だ」
「しかしだな、リィ」
「い や だ」
ウォルはほとほと困った顔になった。
子供のお披露目とはいっても、泣き止まない子供をさすがに連れてはいけない。
「泣いて困るなら連れていかなければ良いだろう。どうせ子供なんて口実なんだから」
「いや、そうは言うが……」
「妃殿下。ここはお母君としてきちんとなされませ」
「……。……」
くそっと悪態をついた、王妃は王と共に支度準備に追い払われた。
◆
出来るだけシンプルに。ごてごてしいのはご免だ。飾りも最小限に、動きやすいもの。
そんな無理難題を侍女たちに押し付けて混乱の渦に突き落とした王妃に、ため息をついて用意をしたのはシェラだった。もしかすると、万が一……億が一、たとえ無かったとしても……それでも誰よりも見栄えのする主のためにと何着がドレスのデザインを考えていたシェラである。急ぎということでありあわせのもので作るしかなかったが、何とか王妃の及第点を得ることは出来た。
子供を産んでも全く体型が変化しなかった王妃の体にフィットする光沢のある素材はシャンデリアの光で様々な色を見せる。胸元を大きく開けてはいたが『母親』という立場を慮って胸元を隠す白い毛皮のショールを肩にかけていた。長い金髪は下ろしていると邪魔になるという理由で、編んで結いあげられている。その見事な黄金は冠などという無粋な飾りは全く必要としない。
国家で一番尊く、人妻であるとも……その神々しい美しさは言葉が無い。
恍惚とした表情を浮かべて間抜けに口を開いている貴族どもの口の中に、王妃は鉛球を突っ込んでやりたいと思ったが、にこやかに微笑しているその姿からそんな物騒なことを考えているなど想像もつかない。察しているとすれば不穏な気配にひそかに冷や汗をかいている王ぐらいなものだ。
「このたびは御子の誕生、真におめでとうございます。従兄上」
「おめでとうございます、陛下。妃殿下」
筆頭公爵であるバルロがロザモンドと共に祝辞を述べる。
「ありがとう。……何やら恐ろしくもあるがな」
二人にだけ聞こえるようにそっと国王は囁いた。
「先ほどお目にかかって参りましたがお健やかな様子でした」
「全く目覚める様子もなく眠っている様子は大物を予感させましたぞ。しかし目を開けられぬのではっきりとは申し上げられませぬが、王妃には全く似ておりませんな」
おい、とバルロの言葉にロザモンドが睨みつけた。
「良いんじゃないのか。ウォルにそっくりで」
俺に似てどうするんだよ、と貴族の視線があるために淑女の微笑を湛えながらいつもの口調で返す王妃は、美しいのに違和感があり、何とも言えず不気味だった。
「しかし、珍しい。いったいどういう風の吹き回しです?貴方がこんな場所に出てくるなど」
「ソルのせいだ」
「王妃が傍を離れようとすると今日に限って泣き出すものだからな」
「それはまた……」
この王妃を今から泣落としとは、尋常でない大物になりそうだ。
「将来が楽しみな王子殿下でいらっしゃいますな」
ふん、と扇で顔を隠しながら王妃は鼻を鳴らした。
しかし、祝宴のさなかに不穏な会話を交わす連中も居る。
「出産の翌日には歩きまわっていたという。そんな女が居るだろうか?」
「妃殿下が産んだというのは、嘘で……どこぞ違う者に生ませたのでは?」
「ここだけの話。ある筋から王妃は石女だと聞いたが……」
「全く、親が親ならば子も子でありますな」
「いかにも」
「しかし、もし本当にどこの馬の骨ともわからぬ輩に産ませたとあらば国家の恥ですぞ」
「そのような者が我らの主君となるなど……」
バルロあたりの耳に入れば、その眼光だけで殺されそうな会話をかわしている貴族たちをそっと物陰から観察している者が居た。
シェラはその貴族たちの顔を脳裏に焼きつけた。
◆NEXT