こんにちは、赤ちゃ・・・んっ!? 3


10



 いよいよ臨月になり、王妃の出産は漸く国民に知らされた。
 街に下りればどこもかしこもその話題で一杯で、とにかく喜んでいるのだということが伝わってくる。

「きっと王妃様似の美人なお姫さまだよ!」
「何言ってんのさ!王様似の賢い王子さまだよ!」
 何にしろめでたい!
 ――と何かと口実をつけては、乾杯する。


「いいな、俺も混ざりたい」
「リィ」
 咎めるような声で制したのは街に下りると言ってきかない王妃についてきたシェラだった。
 彼の役目は一重にお目付け役だ。
 目を離すとすぐに嵌めを外そうとする王妃を監視しているのだ。
 普段は恐ろしくてそんなことはとんでもない!と思っているシェラだったがこと出産が掛かっているとなるとそうも言ってはいられない。
 出産とは、生死と隣り合わせのとても危険な行為なのだ。
 どんなことが災いするとも限らない。
 もし万が一……億が一でも、リィが出産によって命を失ってしまったら……とシェラは想像するだけで、底なしの深い沼に沈んでいく気分がする。目の前が真っ暗になる。
「一杯ぐらいでどうにかなるか」
 だが、リィは不満らしい。底なしの酒豪ともいえる王妃は妊娠がわかって以来、シェラが目の届く範囲においては一滴も酒と名のつくものは口に入れてない。
「一杯といって収まる方ではないでしょう?」
 シェラが正しい。
 よって、酒場に居るというのにリィは葡萄を絞っただけという代物を口に運んでいるのだ。
「……理不尽だ。何故俺だけがこんなに苦労しなくちゃいけないんだ?」
 元凶はあの馬鹿だっていうのに…ぶつぶつ…ぶつぶつ。
「リィ、そう言うあなたを思って陛下も禁酒なされているではありませんか」
 おかげで何故かイヴンまで付き合わされている。
 彼こそ『何で俺が!?』と言いたいところだが、王妃に『連帯責任だ』と言い渡された。
 不幸な人だ、とシェラをして同情させた。
「そろそろ戻りませんか?……体に障ります」
「俺は妊娠して、どんな軟弱な女の子になったんだろうな」
 体型的にはほとんど変わっていないので、王宮の王妃を知る人の中には『…冗談かもしれない』と半分以上本気で思っている人たちも居る。
「確かに、あなたがとんでもなく丈夫なことについては他の追随を許さないことはわかっています。……それでも心配なんです」

 リィは、大きな溜息をついた。






11


「いっそ全てが夢でした、なんてな」

 北離宮にやってきた王を出迎えてイヴンも交えながら、酒なしの宴……というよりは食事会。
 よくまぁあの華奢な体に入るもんだ、と感心するくらい食べる王妃は妊娠してから更に量が増えた。
 曰く。
「二人分だからな」
 いったいどんな子供が生まれてくるのか、今から楽しみやら恐ろしいやら。

「リィ、今更それでは大変なことになる」
「さすがに冗談じゃ済まないよな」
「……まさか冗談なのか?」
「それこそまさか。冗談でここまでやるかってんだ」
 もっともだ。
「ところでよ」
 夫婦のやりとりが一段落して、イヴンが口を開いた。
「赤ん坊は誰が取り上げることになったんだ?」
 姫か王子か定かではないとはいえ、このデルフィニアの未来そのものと言ってもいい子供である。
 生半な相手では信用して任せられない。
「それがな」
「そんなもの要らない」
「……と王妃が言うんだ」
 出産時は一番に無防備になる。野生の獣である王妃にはそんな状態の時に誰かが傍に居る……しかも他人が……我慢ならないことであるらしい。
「何とか俺の同席は認めてもらったんだが……」
「お前がぁ?」
 この世界において、男が出産に立ち会うことはまず無い。
 そこは男にとって神聖にして犯すべからざる……女性のみの聖域であるはずだ。
「仕方なかろう?最初は一人でいいと言い張っていたのを何とかシェラが自分だけでもと納得させたが……それも心配だろう」
「シェラは心配いらない」
「いや……」
 そういう問題じゃねぇだろうが、とイヴンは思う。
 侍女は侍女でも、シェラは元暗殺者の上、本当の性別は『男』である。
 最近誰もそれを気にしなくなりつつあるが……
「それにシェラも出産の経験あるもんな」
「「は?」」
「誤解されるような言い回しはやめてください。私は、出産に立ち会った経験があるだけです」
 なるほど。




12


「いつ何が起こるかわかりません。お願いでございますから王宮へおいで下さいませ!」
 聞き届けていただかなければ命も惜しまない!と言わんばかりのカリンに、王妃は『やれやれ』と溜息をつくと、西離宮からの引越しに漸く同意したのだった。


「おう、居たのか」
「ああ、邪魔してる」

 以上が、夕食の席で出会って王と王妃の会話である。
 給仕についている人間の半分ほどが目を白黒させているが、残る半分は見てみぬふりだ。
「カリンがな、どうしてもって言うんで。今日から世話になることになった」
「なるほど。さすがのお前も女官長には敵わなかったか」
 椅子に腰掛けながらウォルが笑った。
「……全く、面倒なことになりやがって」
「まぁ、そう言うな。偶にはいいではないか。お前が居てくれると食事が温かくていいな」
 王の食事には必ず毒見役がつく。
 しかし、王妃にとってそんなものは邪魔でしかないのでとっとと追い出した。
 料理も『早くしろ』の一言で、いつもより1時間早い。
 この状態が、王妃が出産を終えるまで……もしかしたら終えてもしばらくは続くのだろうと予測されて、王宮内はちょっとしたパニックとなっている。
 王妃に言っても、『そんなの知ったことか』と切り捨てられるだろうが。
「それにしても変わらんな」
「そうか?腹が出ただろう?」
 ぽんぽんと王妃が己の腹を叩いてみせる。
 言われてみればそんな気がしないでもない……という程度の膨らみはある。
「どんな子が生まれてくるか楽しみだな」
 ウォルはわくわく、とでも表現しそうな顔で王妃の腹部を見た。
「……お前は暢気でいいな。羨ましいよ」
 はぁ、と王妃が溜息をつく。
「ん、うむ……」
 よくわかってなさそうな返事だ。
「いいか。よく考えてみろ」
「うむ」
「もしお前が逆の立場になったらどうする?」
「……ふむ。元気な子を産まねばな、と思うが?」
「……お前に聞いた俺が馬鹿だったよ」
 全くだ。
 精神的にも肉体的にも男(のはず)の王妃が出産だ。普通の人間の男ならば気が狂う。
(……あいつが知ったら……いや、やめよう)
 『うわっ楽しみ!僕が取り上げてあげるね!』と嬉々とした顔が王妃の脳裏に浮かんだ。
 却下だ。

「何にしろ無理……しすぎず、頑張ってくれ」
「ああ。ここまで来たら覚悟してる」
 腹の据わり方、肝の太さでは王妃は折り紙つきだ。
「あの、その・・な、リィ。気を悪くしないでもらいたいのだが……」
「何だ?はっきり言え。お前がもじもじしても気持ち悪いだけだ」
「うぐ」
 丁度、料理を運んできたシェラがその光景を見て……またか、と視線をそらした。

「でははっきり言おう!」
「さっさとしろ」
「な……」
「な?」


           名前はどうする?」


 がく、と王妃が肘を落とした。
 




13



 デルフィニア王宮は常には居ない王妃を迎え入れたことと、その王妃が出産を間近に控えているとあって静かな緊張感の中にあった。本人たちは全く気にしていないのだが、周囲が本人たちのぶんまで気を揉んでいる。
 ドラ将軍は布告があったときに初めてそのことを知り、王宮へ飛んでくるや(まさにそんな勢いで)、何故今まで黙っていたのかっと王に詰め寄り(ウォルが後日語ったところによると生きた心地がしなかったらしい)、王妃には丁重に祝いの言葉を述べた。
「あー、まぁおめでたいのかめでたくないのかわからないがな」
「何を仰いますっ!おめでたいに決まっておりますっ!!」
 だいたい妃殿下そのお姿は妊娠された夫人としてあまりに軽装に過ぎ御腹の御子にうんたらかんたら・・・説教モードに突入したドラ将軍に王夫妻は揃ってうんざりした顔を晒した。
 また宰相も各国から届く祝いの言葉や贈物や使者の対応にと、日常の執務もこなさなければならないとあって眼の回るような忙しさの中にあった。
 隣国であるタンガ・パラストはもちろんのこと、名だけしか知らないような小国からも今や飛ぶ鳥も落とす勢いのデルフィニアにあやかろうと祝いが舞い込んだ。
 その一方で、きな臭いことも裏では起こっているわけで・・・

「妃殿下、少々失礼致します」
「ああ」
 王と王妃が歓談中、給仕をしていたシェラが突然そう言うと部屋を出て行ってしまった。
「……何だ?」
「刺客だ」
「ああ、刺客か……っしかっ!?」
 納得しそうになったウォルは目をしばたいた。
「俺が動けない今のうちにってところだろ」
「卑怯な!」
「作戦としてはいいんじゃないのか?」
「リィ!」
「大声を出すな。別にたいしたことじゃない。今までだって散々刺客なんてやって来ていただろう。心配するな、日常茶飯事だ」
 それもどうなのだ。
「そんなことより国境線の小競り合いはどうなっている?」
 王妃の妊娠が発覚してからというものパラストとの国境沿いに『山賊』が出没することが多くなった。近隣の町や村を襲って金品を強奪……やっていることは確かに山賊らしいのだが。あまりに統制がとれすぎて領主抱えの騎士たちでは対応できない。その報告に裏を感じたウォルはラモナ騎士団に命令を与えた。
「穏やかなラモナ騎士団がティレドン騎士団のように活躍しているらしい」
 このめでたい時期に何と言う愚か者であろうか……王に命令を受けたナシアスはすぐさま騎士団に戻るや部下たちに『徹底的に懲らしめろ』と指示を出したらしい……あのナシアスが。

「皆、大変だなぁ」
「そうだな」

 周囲の慌しさも何のその、王夫妻はほのぼのと毎日を送っているのだった。







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