こんにちは、赤ちゃ・・・んっ!? 2


<5>

「退屈だ……」

 王妃の口から漏れた言葉に、傍であれやこれやと世話やら準備やらに忙しく動きまわっていたシェラはぎくりと足を止めた。

 王に始まり、女官長やら宰相やらから『安定期に入るまでは、絶対に大人しく』という頼みに最初こそ渋い顔をしていた王妃だったが、女官長が涙ぐみ始めたのについに折れた。
 診察によると、妊娠二ヶ月。普通ならばまだそうであることも気づかないほどだが、王妃はあらゆる意味で普通の人ではないので誰も気にしない。
 さて、安定期には最低でもあと3ヶ月。果たして王妃にそんな『長時間』大人しくしていることが出来るのだろうか……王はバルロに『俺はもって半月に賭ける。従弟殿は?』ともちかけ、盛大に女官長に雷を落とされていた。
 だがそれほどに、この王妃のことを少しでも知っている人間に王妃が『大人しくしている』ことなど無理ということは明らかなのだ。
 ゆえに離宮に戻った(本宮泊まりは絶対に嫌だったらしい)王妃の冒頭の台詞は、騒ぎから僅か三日後に発せられたものである。

「……リィ、お願いですから山の中を駆け回ってくる、とか言い出すのはやめて下さいね」
 王妃は足元に寝そべったゴルディの黒い毛皮を撫でながら、ちっと小さく舌打ちした。
 どうやらそういうことを考えていたらしい。
「お約束なさったのはリィなんですから、きっちり守って下さい」
「お前が言わなければバレ無いだろう?」
「そういう問題ではありません。ことこれに関する限り、私は女官長の僕ですから」
 強い決意を秘めた紫の瞳がきらりと光る。
「何もそこまで力を入れること無いだろう……お前が生むわけでも無いんだし」
「だからこそです!私はこんな格好をしていますが、生憎出産という経験はしようにもすることができませんから、あなたの身にどんなことが起きるか知識でしかわかりません。妊娠出産という行為は非常に危険なものです。武勇に関しては並ぶものなきあなたでも、何が起きるかわからないんですから!」
「……侍女の鏡だな」
「ありがとうございます」
「いっそ流してしまうか」
「っリィ!?」
「冗談だ」
 王妃なら本気でやりかねないだけに、シェラの肝が一瞬で冷えた。
「冗談にしては悪すぎますっ!!」
「悪かった。ごめん。俺たちの意思がどうあれ、創り出された命だ。ちゃんとこの世に生み出してやるさ。きっちりな」
「リィ……」
「ちなみに力んでも糞と一緒に出てきたりはしないよな?」
「~~~~っ!」

 ぽんぽんと腹を叩いて笑った王妃に、シェラは体中の力が抜けた。






<6>

 王妃の密かなる妊娠騒動から一ヵ月、コーラルにピルグナに居たナシアスがやって来ていた。
 パラストの様子などを王に報告するためにやって来ていたのだが、いつもならば朗らかな雰囲気をかもし出しつつも鷹揚に、けれどしっかりと要点をついてナシアスの報告を聞くはずの王の様子がどうも『いつも』と違ったのだ。
 何が違うのか、具体的に言うことは出来ないが何かが違う。
 王というものはナシアスとは違い砦の守護ばかりでなく、国内外のありとあらゆることを気に掛けていなければならない。その気苦労を思えば仕方の無いこととはいえるが、今までそれを『大変だ』と言いつつも飄々とこなしていた人物である。今更だろう。
 では、いったいどんな『気がかり』があるのか。
 ナシアスがコーラルを離れていた一月の間に何があったのだろうか。
 王宮を辞去したナシアスはその解答を得るために、一の郭のサヴォア邸を訪れた。

「久しぶりだな、ナシアス」
「ああ、久しぶりだ」

 バルロは、企みごとを秘めたような笑顔を浮かべてナシアスを迎えた。
 これはバルロが何か企んでいるわけでは無い。これで普通なのだ。

「王宮に行って来たのか?」
「ああ。……?」
 コーラルに戻ったナシアスがまずは、王宮に出むくのはいつものこと。
 それを何か伺うようにして問うバルロのほうが不思議だった。
 ナシアスはその一瞬の表情に、やはり何かがあることを確信した。

「……バルロ」
「……何だ?」

 ナシアスの目が細められ、問い詰めるような呼びかけになる。
 長い付き合いのバルロならば、いったいナシアスが何を聞きたいかなど、とうに予測しているだろう。
 それでもすぐに口を開かない。
 いよいよもって何事かあると確信を深めた。
 というわけで、単刀直入に聞く。

「私がピルグナに篭っている間に何があったんだ?」
「……。……」
 問いかけられたバルロの顔に、非常に微妙な表情が浮ぶ。
 だがそれは決して『不快』や『怒り』を表すものでは無い。

「バルロ」
 いったい何があったというのか。
 ナシアスに名を呼ばれ、観念したようにバルロは溜息をつくと力尽きたようにソファに腰掛けた。
 ……ますます珍しい。
 この男を、こんなに疲れさせ、あまつさえナシアスの目の前でそれを露にするほどとは……
「いいか。ナシアス。よく……よくよく覚悟して、聞け」
「……?ああ」


「王妃に、子が、できた」


「……。」
「……。」
「……。」
「……。」

「……おい、何とか言ったらどうだ」
「王妃、というのは……」
「もちろん、我が国の王妃だ。名はグリンディエタ・ラーデン」
「……バルロ」
「……何だ」
 ナシアスは友の肩に手を置いた。



「いくら冗談でも、そこまでいくと悪質だ」



 ナシアスの目が不謹慎だと、バルロを責め立てる。
 おそらく、ナシアスはそんな反応をするだろうと予測していたバルロはまた溜息をついた。
「いくら俺でも、ここまで命がけの冗談を言うと思うか……」
「……」
 探るようにナシアスがバルロの顔を見る。
 まるで、今にも『ははは、まんまと引っかかったな。ナシアス!』とバルロが言い出すのを待つように。
「……本当、なのか?」
「……ああ」
 バルロは鎮痛な面持ちで頷く。






 どんな戦でも受けたことの無いような衝撃に、ナシアスは気が遠くなった。






<7>


 ナシアスが衝撃を受けていた頃、被害者はもう一人増えていた。

 被害者の名はイヴン。
 ナシアスと同じく、ウォルに用事で王宮を訪れた彼は、王が所用で手が放せないということで先に西離宮のほうへ顔を出した。彼言うところの『王妃のご機嫌伺い』なのだが、その中身はただの暇つぶしである。どこもかしこも煌かしい王宮で、唯一息がつけるのがこの場所なのだ。
 もちろん侍女が作る料理が旨い、という点も欠かせない。
 だが、今回ばかりはそれが禍した。


「お、珍しく居たな」
「来てたのか、イヴン」
「さっきな」
 いつものように先触れもなくひょろりと姿を現したイヴンに慌てることなく、テラスに腰掛けていた王妃は「よう」と片手をあげる。イヴンもそれに応えて肩をすくめた。
 シェラも心得たもので、二人のために料理を用意するために厨房にひっこんだ。
「しかし、本当に最近大人しいんじゃねぇか?全然噂を聞かねぇぜ」
「平和な証拠だろ」
 けろりと応えるリィに、イヴンは向かいに腰掛け、『違いない』と同意する。
 この王妃が動きまわっているときは、大概何かの騒動が持ち上がっている。
 そこで、イヴンはリィの顔を見て……不審そうに首を傾げた。
「……太ったか?」
 自分で言いつつもイヴンはますます首を傾げる。この西離宮では、相変わらず手足を剥きだしにした山賊崩れの格好のリィの体は、以前見たように華奢なままだ。この華奢な手足に、大の男を軽くあしらう怪力があるというのだから、謎だ。
「女の人にそういうこと言うのは禁句じゃないのか?」
「俺はお前を女のうちに数えたことなんてねぇよ」
 木製のカップに入れられたお茶を飲みながらイヴンは笑う。
 リィも笑った。
「ウォルとは会わなかったのか?」
「別に急用って訳でもねぇからな」
「そういえば、朝からバタバタしてたな……」
 本宮には滅多に足を近づけないリィの思い出すような発現に、イヴンは眉をあげる。
「何かあったのか?」
「いや、大したことじゃないけど……」
 いつもずばずば言いたいことを言うリィにしては珍しく口を濁す言い方だ。
「何だぁ?」
「いや、俺が言ってもいいものか……」
「気になるじゃねぇか。言えよ」
 促されたリィは、それならばとあっさりと口を開いた。
「妊娠したんだ」
「……………………は?」
 訝しげにイヴンが眉を潜める。
 幼馴染の王には、今のところ特定の愛妾は居なかったはず……そこそこの遊び相手は居るのかもしれないが、そのあたりヘマはしていないと思いたいが……変なところで抜けた王様である。
 しかし、それならばそれで、『大したことない』どころでは無い。
「イヴンにしては察しが悪いな」
「何だと」
「まぁ、仕方ないか。イヴンにとっては女のうちじゃないんだもんな」
「……。……リィ」
「ん?」
「はっきり言えよ。何が言いたいんだ」
「だから言ってるだろ。妊娠したんだ」
「だから、誰が」
「俺が」


 不審げに眉を寄せたイヴンの顔から表情が抜けていく。
 

「おい、妙な冗談はよ……」
「冗談じゃなくて、本当だって。妊娠三ヶ月だってさ」

 だってさ。
   だってさ……だってさ……
  
          ……だってさ……だってさ…………だってさ………………



 リィの言葉が、イヴンの頭で木霊する。

 そして、彼はテラスの丈夫な石のテーブルに思いっきり頭を打ち付けた。





 後に彼は幼馴染に、『あのとき、俺はマジに天国が見えた』と語ったらしい。






<8>


 妊娠5ヶ月。
 誰の?         恐ろしいことに、『王妃』のだ。


「おお、元気そうだな」
 本宮に現れた王妃に、ウォルは気さくに声を掛けた。
 王妃は軽く溜息をつく。
「?どうした?」
「皆もウォルみたいならいいのになぁ…妙に気を遣われて肩が凝るったらない」
 そろそろ安定期。
 相変わらず華奢な王妃の体だったが、気にして見れば確かに下腹部あたりが膨れている・・・か?
「ははは、仕方あるまい。出産というのは、人生の一大事だからな」
「本当だよ。まさかオレが妊娠するなんてな」
 王妃は執務室に置かれているソファに腰を下ろすと、己の腹を見下ろした。
「こいつも何でオレなんかに生んで貰おうなんて思ったんだか」
 台詞のわりに、腹を撫でる手は優しい。
「うーむ、オレも未だに信じられん心地だ……二月前ほどまで起きる度に夢ではなかったのかと自問自答するのが日課になっていたくらいだからな」
「お前が生むわけじゃないから無理も無い。男って自分の子供が出来ることがなかなか自覚できないっていうし……て何だ?」
 椅子から立ち上がり、寝そべる王妃に歩み寄ると跪く。
「その、触ってもいいだろうか?」
「構わないんじゃないか?」
 他人事のように返され、ウォルは恐る恐る王妃の腹部に手を当てた。
「どうだ?」
「うむ。温かいな」
「当たり前だろう。イキモノには体温があるんだぞ」
 わかりきったことを、と王妃の視線が冷たい。
「おっ」
「今度は何だ?」
「い、今……動いた、ような……」
「ああ、ちょっと前から動いてるな。なかなか暴れん坊らしい」
「そうか、暴れん坊か……あまりお前に似すぎては困るが……」
「どの口がそれを言う」
 お互い様だ。
 ウォルは朗らかに笑った。
「おお、そうだ。丁度良かった。相談しておかねばらならぬことがあったのだ」
「何だ?」
 ぽんっと手を打つウォルに目だけ向ける。
「そろそろお前の妊娠のことを皆に知らせようと思うのだが」
「却下」
 王妃は不機嫌そうに速攻で拒否した。
「何故だ?」
 王妃の身の安全のためにも今まで側近中の側近にしか王妃の妊娠については知らせてはいなかったが、安定期に入ってそろそろ良いだろうと判断したのに。
「冗談じゃない。せっかく静かに暮らしてるっていうのに、毎日付け届けやら祝いの言葉やらカードやら 受け取らなくちゃいけなくなるんだぞ」
 心底不快だと、王妃の顔は顰められる。
「うーん、それは致し方ないことだと思うが……」
 王妃の気持ちもわかるだけにウォルも苦笑する。
「何が致し方ないだ。とにかく、絶対にやめろ。もしそんなことやりやがったら、オレは即刻この王宮を出て行くからな」
「そっそれはまずい!困るっ!駄目だっ!」
 頼むからやめてくれ、とウォルが縋りつくのに王妃は呆れた視線を注ぐ。
「お前ならば大丈夫だとは思うが、万が一ということがある。そんなことになれば後悔してもしきれん。 頼むから王宮に留まってくれっ!」
 はぁぁと王妃は深く溜息をついた。


 やはり、男は結婚すると保守的になるらしいが……妻が妊娠すると更に輪をかけるらしい。






<9>



「これは如何でしょう?」
 意気込むシェラに王妃はうんざりした表情を浮かべた。



 王妃の妊娠騒動で誰が一番喜び、かつ意欲的だったかといえば誰あろうその侍女であるシェラだった。
 彼女…いや、彼は衝撃の告白を受けた翌日……否、その数分後には慌しく動き出していた。
 各所の侍女を勤め上げてきた経歴を持つ元暗殺者はどうやら妊娠に付き添った経験もあるらしい。
 ゆえにこれから準備しなければならないものについてもぬかりない。
 女官長と共に目録を作り、目を離せばすぐさま姿を消してしまいそうな王妃に目を光らせ、体型が変わって来るだろう王妃のために大量の布を買い込んだ。

 もちろんマタニティドレスを製作するために。

「ふざけるな。誰が女装なんかするかっ」

 最初、水浴びをした王妃に完成したマタニティドレスを着替えとして出したら……真っ裸の仁王立ちでそれをシェラへと投げつけた。
 王族貴族などは侍女の前で裸をさらしてもさして気にする人種では無いが、シェラは侍女の格好はしていても男である。それを王妃も知っており、また王妃はもともと王族でも貴族でもない。あんたに羞恥心という言葉は無いのか、との抗議はすでに遠い。
 今更、だ。
「リィ。体が冷えます。さっさと着替えてください」
 そして投げつけられたドレスを差し出す。
 この王妃にこんな態度を取れる侍女は王宮……いや世界広しといえどシェラだけだろう。
「だからそんな服は着ないって言ってる!」
「仕方ないでしょう。他に服が無いんですから」
 王妃は疑わしげにシェラを睨みつけた。
「他にも服はあるだろう」
「全て洗濯しました」
 もちろんわざとである。
「お前……もういい。このままで寝るっ」
「いけません。お腹を冷やしますよ……御子に何かあったらどうするんですか?」
「………」
 通常であればシェラも王妃に対してここまで強くは出られない。
 シェラは侍女として傍に仕えてはいるが、基本的に王妃は自分自身のことは自分で処理してしまうから本当は必要ない。『王妃』として最低限……かなり譲歩も含みつつ……の体裁を整えるためにシェラは付けられているに過ぎない。だから、注意はしてもそれを王妃に聞き入れてもらえるかどうかは、その王妃の気分次第なのだ。
 だが、こと腹の中の赤ん坊となると自分の腹の中とは言っても完全に『自分』とは言い切れないものがある。ましてや本人『自分は男だった』と言い張るだけあって、妊娠なんて未体験である。
 大丈夫、なんていう訳にはいかない。
 そのあたり無茶をしかねない王妃に、赤ん坊と王妃自身の体のためにもシェラはいつも以上に強気で気合が入っているのだった。

「リィ……」
「っあーっわかったわかった!着ればいいんだろっ!」

 シェラの手からマタニティドレスを奪いとった王妃は乱暴に頭から突っ込み、ずるずるとした裾に睨みをきかせて……膝までその怪力で切裂いた。
 はぁ……とシェラの溜息がでる。
 しかし文句は言わない……これが王妃の限界だろうから。

「では、おやすみなさい」
「……おやすみ」




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