こんにちは、赤ちゃ・・・んっ!? 1



「ウォル。ちょっと話がある」



 王の執務室に、いつものように先触れも無く現れた王妃にウォルは手を止めた。
 いつになく真剣な口調だったからだ。
 宰相がその横で、気を利かせたのか一礼してゆっくりと歩み去っていく。
 丁度用事で、王のもとを訪れていたバルロも少々好奇心を覗かせながらも宰相の後に続く。
 その入り口で、また夫婦喧嘩かと慌てて王妃を追いかけてきたシェラとかち合った。

「どうした、リィ?」
出来たみたいなんだ」
 王妃はどこまでも単刀直入だった。
「…は?」
 ウォルは眉をしかめた。出来たとは何だ。
(リィは何か造っていたのか?)
「相変わらず鈍い男だな。こういうとき女の人が出来たと言ったら一つしかないだろう」
「……リィ、すまんがもう少し詳しく。オレにもわかるよ」


「赤ん坊だ」


 部屋を出て行こうとした宰相とバルロ、シェラが足と共に呼吸を止めた。

「……リィ、何か今、俺の空耳ありえない言葉を聞いたような」
「お前、責任逃れをするつもりか?」
 ウォルを覗き込んだ王妃が物騒な殺気を放つ。
「待て!待て待て!!責任逃れも何も……お前、冗談が過ぎるぞ?」
「こんなふざけたことを冗談なんかで言うものか」
「………」
 ウォルの顔から表情が消えた。
 さすがの化け物の大親分(シェラ談)ウォルも、すぐに反応することが出来なかったらしい。
 その間に、いち早く我にかえったのはシェラだった。
 瞬間移動とはかくや、という速さで王妃の元に駆け寄ると……膝をつき見上げて、問うた。
「あの、妃殿下。できたとは、何かその……事前に『何か』なければいけないのですが」
 当然だ。その行為があってこそ、出来るものが出来る。
 だが、今の今までこの王と王妃にその『何か』が存在するなどこの二人を知る者には、想像を絶する未知の領域、馬と狼に子供が出来たといわれたほうがまだ信じられる……くらいに驚天動地の出来事だったからだ。
「ああ、この間宴会やっただろ」
「ええ……」
 そういえば先日、王と王妃で朝まで飲み明かしていたことがあった……とシェラは思い出した。
「その時にな、酔った勢いっていうか」

 ………………。

「兄上!!」
 いつの間にか復活したバルロが、鬼気迫る表情で主君であり従兄でもあるウォルに詰め寄る。
「酔った勢いでか弱き婦女子……冗談のような表現ですがに迫るとは!!」
 ウォルが落ち着けとでも言うように両手で盾を造る。
「いや、待て……俺には」


「うん、酔った勢いでウォルを押し倒したのはオレだけど」


 バタリ、と音がした。
 宰相が目を見開いたまま入り口でぶっ倒れていた。





<2>

「……間違いございません」

 医師の言葉に固唾を呑んで見守っていた王以下一同はこの世の終焉を予感した。



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 王妃の『赤ちゃんが出来た』という衝撃の自己申告から一時。
 蒼白な顔をした宰相が医師を連れて執務室へと戻ってきた。
 医師の服装は、『とるものもとりあえず』連れられてきたとばかりに普段は綺麗に撫で付けられている髪は跳ねて、服も裾がまくれあがっていた。

「早速だが王妃を診てもらいたい」

 と王に言われた医師は、首を傾げた。
 王妃がまだそう呼ばれる前からずっと、王家に忠誠を誓う医師として勤めていた彼だったが王妃が彼を必要とするようになったことなど一度も無い。王自身も無いが、彼の健康管理は定期的に行われている。
 しかも一見した限り、王妃は顔色も良く(不機嫌そうではあるが)怪我をしている様子も無い。
 いったい何を診ろというのだろうか。

「ウォル、俺は他人に体を触れさせるのは嫌だ」
 これがシャーミアンあたりが頬を僅かに染めながら言った台詞ならば奥ゆかしい令嬢よと言われるところだが、王妃に限ってそれは無い。
 有りえない。寒気がする。
 王妃は一流の戦士である上に、野生の獣なので知らない人間を全く信用していないのだ。
「しかし、ここは何としてでも診てもらわねば困る!」
「オレは困らない」
 ウォルの悲痛の叫びを王妃はあっさりと打ち落とした。
「王妃!この後に及んで往生際が悪いぞ!」
「往生際とかそういう問題じゃないだろ」
 第一まだ居たのか、と王妃に睨みつけられてもバルロには痛くも痒くもない。
「だいたい医者の診察なんていらないだろ。俺の言葉を疑うのか?」
「いや、お前の言葉を疑ってなどおらん。だが……その、その」
「はっきり言え」


俺の子供を俺が心配して何が悪い!



 叫ぶ王に、医師は漸く事の次第を把握したのである。
 そして、鬼気迫る王に根負けした形で王妃は診察を受け入れ……上記となった。







<3>

 王宮は、上へ下への大騒ぎとなった。

         とはならなかった。
 なぜならば。


「従兄上。事は慎重に運ばねばなりません」

 いよいよ王妃の妊娠――喜ばしいことなのに限りなく悪夢に近い気もするのが不思議で仕方ないのだが……が確定的となり、普段のバルロが嘘のように真剣な顔でウォルに詰め寄った。
「ああ、うむ。確かになぁ」
 視線の先では『お腹を冷やされてはなりませんっ』とシェラがどこからか調達してきた毛布を王妃の腰に巻きつけている。
 それを鬱陶しそうにしながらも、容認している王妃……有りえない光景だが、現実だ。
「従兄上」
「う、うむ」
 どこか意識を飛ばしがちな王に、バルロは同情を寄せる。
 自分なら間違いなく、すでに狂っているはずだ。未だに正気を保っている従兄に改めて畏敬の念を覚える。
「ここ最近は周辺諸国も比較的大人しいですが、王妃が妊娠していると知られればまた何を仕掛けてくるかわかりません」
 王妃に煮え湯を飲ませられた武将はそれこそ山を成す。
 今ぞ好機と徒党を組んで来られれば、負ける気は無いが面倒ではある。
 ましてや王妃は妊娠初期。一番に気をつけなければならないときである……にも関わらず、この王妃ならば絶対に、もう目に浮ぶように出陣すると言い張り、突き通すだろう。



 黒馬に乗った妊婦が、武将をバッタバッタと打ち払う―――……



 俺は夢を見ているのかもしれん……バルロは痛み始めた額を押さえた。
 悪夢だ。紛れも無く悪夢だ。
 絶対にそんな光景は、己の精神の安寧のためにも阻止せねばならない。
 バルロは決意した。
 そして、そうならないためには何が何でもこの王妃のに……を隠し通さなければならないのだ!

「従弟殿…」
 バルロの背後に燃え上がった何かにウォルをして『苦労をさせるな……』と忸怩たる思いを抱かせた。
「確かに、知っている人間は少ないほどいい」
 医師には元から守秘義務がある。ことに彼は口が固いことでは有名だ。
 宰相は言うまでも無い。
「イヴンはどうするか……」
「ナシアスもです……」
 互いの友人の顔を思い浮かべる。
 黙っていたと知られれば、間違いなく恐ろしい目に遭わせられる。
「頃合を見て、告げるとしよう」
「そうですね……」
 声に力が無い。
 一軍を率いて敵にあたるより、彼等は疲労していた。
 






<4>

 さて、一方の女性陣といえば。


「妃殿下。しばらくは本宮にお留まり下さいますように」
「何で?堅苦しいから嫌だ」
「私からもお願いします、妃殿下。何かあったときに私一人では……あまりに不安です」
 シエラが毛布を捜しに行ったときに一緒に連れかえった女官長も加わって説得にあたる。
 さすがに女官長もシェラに『妃殿下に由々しき事態が…』と言葉を濁して引っ張ってこられたときにはいったい何事かと(今度は何を仕出かしてくれたのかと)不安満杯だったが、『妊娠』という単語を耳に入れて、男性陣とは反対に腰が落ち着いた。
 何がどうあってそんなことになったのかは、本当に謎ではあるが…喜ばしい祝福すべき事柄である。
 それは違いない。
 
「妃殿下、おめでとうございます」
 だから心から女官長はそう祝福の言葉を捧げたのだ。
 リィはその言葉に優しい微笑を浮かべて『ありがとう』と穏やかに返す。
 この人でもこんな顔が出来るのかと、シェラは口をぽかんと開けた。
「何しろ、俺が妊娠したとわかって祝いの言葉をくれたのは女官長が初めてだからな」
 シェラは、あ、と己の不明を恥じた。
 有りえない事態にそれどころでは無かったとはいえ、喜ばしいことなのだ。
 そして女官長は目を吊り上げた。
 ふくよかな体には似合わぬ俊敏さで姿勢を正すと、あーだこーだとバルロと共に今後の計画を立てていた王の元に歩み寄り…

「失礼いたします、陛下」
「ああ、女官長。すまないが話は後で…」
今、す ぐ に。お願い致します」
「……」
 何故か尋常でなく怒っている女官長の気配を察しウォルは口を閉じた。そうすると母親に叱られている少年そのものだ。
「陛下。陛下はまことに誠実でお優しく、鷹揚で全ての者に分け隔てなく接して下さいます」
 ウォルは背筋がむずがゆくなった。
「ですが、そのお優しさをまず真っ先にお与えになる方がいらっしゃることをお忘れになっておられませんかっ!」
「は……?」
 ウォルには生憎心当たりが無い。
 反応の鈍い王に、女官長は歯噛みした。
「何と殿方として不甲斐ないことでございましょうっ!!」
 王大事の女官長にしては珍しくも厳しい叱責である。

「妊娠された妃殿下に祝福のお言葉一つもなさらないなど男として……いいえ、人としてあまりではございませんかっ!!」

 ぽかん、とウォルは口を開けたままで長椅子に横たわった王妃に視線を流すと『そうだぞ』とばかりに頷いてる。だが、大して気にしている様子は無い。
 しかし確かに、事態が事態だけにそれどころは無かった……とはいえ、今からでも声を掛けるに遅くは無い。
 しかし、果たして何と言葉を掛けたものか。

『おめでとう』?―――本当にめでたいのだろうか?
『よくやってくれた』?―――生憎ウォルに記憶は無い。
『責任はとる』?―――すでに形式上は夫婦だ。

 考えながら、傍まで近寄り膝をついて渋面になったウォルに王妃が悪戯っぽい笑みを浮かべた。

「驚いたか?」
「……驚いた」
「夢かと思った?」
「頬をつねって、ついでに腿をつねった」
 王妃は手を伸ばし、ウォルの黒髪をくしゃりとかき混ぜた。
「悪いな」
「……謝るな」
「生んでもいいか?」
「当然だっ!」
 王妃の顔が綻んだ。

「「ありがとう」」

 二人の口で言葉が揃った。





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