ローマの休日 1


「おめでとうございま~すっ!!」


 旧正月の祝いで賑わうデパートの抽選会場で秋生は目をぱちくりと瞬いた。
「おめでとうございますっ!一等イタリア旅行券ですよ!」
 両手を捕まれぶんぶんと振り回される。
 秋生はされるがまま。まさかそんなものが当たるなど思いもよらなかったのだ。何しろ秋生が今日ここに来たのはただ切れてしまっていた歯磨き粉を買いに来ただけ。出口でおばちゃんに『余ったからお兄ちゃんあげるよ』と券を渡されたので『それなら……』と引いただけ。
 周囲の視線をひしひしと感じながら(軽く羞恥プレイだ)秋生は受領証にサインしてよくわからないまま旅行券を渡された。

「良い旅を!」

 満面の笑顔でおじさんは秋生を見送ってくれた。





「……というわけなんだけど」
 どうしようか、と翌日大学で顔を合わせたセシリアに秋生は一番に報告した。
「あらいいじゃない。丁度大学も休みに入るし。当然ペアなんでしょ?」
「ペアだけど、セシリア行く気?」
「他に秋生に誘う相手なんて居る?」
「……」
 あっさりと言い、自分もついて行く気満々だ。
「そうだけど……大丈夫なのかな」
 一番に反対しそうな顔が秋生とセシリアの脳裏に浮かぶ。
 秘密にして黙って行くなんてことはもちろん出来ない。香港を出た途端速攻で追いかけられるに違いない。
「無理ね」
「無理だよ」
 しかし、言えば当然のことながらビンセントは難しい顔をして反対しそうだ。
 前回のチベットの時のことがあるから今度こそ『私が』と一緒に来ると言いかねない。そして団体ツアーなどお構いなしにファーストクラスを予約して、ホテルのランクを上げるだろう。いや、もうそんなもの関係なく秋生が『安全に』かつ『何不自由なく』過ごすことが出来るようにありとあらゆる手を打ってきそうだ。
「どうせ行くなら皆も一緒に行きたいよね」
 そのほうが楽しそうだし、とのほほんと秋生は言ってくれる。
「……」
 秋生の言葉は嬉しいが、セシリアは素直にそれを喜ぶことは出来なかった。どう考えても四聖獣が揃えば『いったいどういう関係のグループなのか』と不審に思わずにはいられない共通点の無さだ。
「ローマっていったらやっぱり美術品だよね。食事は美味しいかな?」
 うきうきと想像を膨らませている秋生にセシリアは溜息を飲み込んだ。秋生のこの調子では、ビンセントは反対したくても反対は出来ないだろう。何のかの言っても結局は秋生に甘いビンセントなのだ。
「とりあえずビンセントに話してみるよ」
「……それがいいわね」
 団体ツアーにしろビンセントが用意するにしろセシリアの懐は痛まないのだから。
(楽しんだ者勝ちよね)
 セシリアも開き直った。気をもむだけ馬鹿らしい。


 大学を午前中で終わって秋生は東海公司にやってきた。
 いつものように社長室へ直通のエレベーターに乗ろうとしたところで秘書の廖に出会った。
「ミスター・工藤」
「こんにちは、廖さん」
 呼び止められた秋生はエレベーター前で立ち止まる。第一秘書である廖の丁寧な物腰に周囲の視線がちらちらと向けられている。
「社長のところへ行かれるのですか?」
「そのつもりなんですけど……」
 来客中なのだろうか。
「社長は会議のために出られてますので、4時以降になりませんとお戻りになりませんが」
「あ、そうなんだ……」
 いつも特にアポイントメントなんてとらず着の身着のままで東海公司にやってくる秋生はビンセントが不在である可能性など頭の片隅にも無かった。
「お戻りになるまでお待ちになりますか?」
「うーん……いえ、帰ります。ビンセントによろしく伝えておいて下さい」
「ミスター・工藤」
 さっさと出て行く秋生を止める間も無い。ビンセントに秋生が来たことを告げたなら伝えるも何もそれだけでビンセントは秋生を探して飛び出していくだろう。
 午後のビンセントの予定を思い出して、それらを果たしてどう断ろうかと廖は算段し始めた。



「ローマだぁ?!」

 ビンセントが居なかったので、ヘンリーの経営するレストランに秋生は顔を出していた。いい加減店の顔馴染みになってしまっている秋生はその姿を認められるやすぐにVIPルームに案内された。
「そう。抽選で当たったんだ」
「抽選っておい……」
 料理を自分で作って運んできたヘンリーはそのまま椅子に座る。薬膳スープをよそってもらって秋生は蓮華ですくって口に流し込んだ。濃すぎず薄すぎず絶妙の味付けに秋生はうっとりする。
「一応ビンセントには報告しとかなくちゃと思って。やっぱり黙って行くのはマズイよね?」
「マズイも何も……本気で行くつもりか?」
「だってせっかくタダで行けるんだよ。行かなきゃ損だし」
「……」
 秋生が行きたいと言うならばビンセントは喜んで世界一周でも宇宙旅行でも用意するだろう。もちろん秋生に負担など一切させず。
「ペアだから、セシリアが行くって言ってたけど……」
 ヘンリーの脳裏にもまた渋る男の表情が浮かんだ。
 青龍はこと秋生に関することになると呆れるほどに過保護になる。もし東海公司の社長という立場に無ければきっと一日中秋生の傍にくっついて離れないに違いない。気持ちはわからないでもないが『見守る』という立場からは大きく逸脱しつつある。…黄龍が何も言わないのは秋生自身がそれを邪魔だとか嫌だとか思っていないせいだろうが……そもそもビンセントに秋生の行動を制限する権利は無い。
「ローマか……遠いな」
「飛行機で何時間くらいかかるかな…」
「天候にもよるだろうが14時間てところだ」
「うわ、そんなに飛行機乗ってるの大変だろうな。大丈夫かな」
 乗ってるだけだ。大丈夫だと答えてやりたいのは山々だが生憎秋生は自他共に認めるトラブル体質。まず有り得ないことが起きそうだ……たとえばハイジャック……エンジントラブルで緊急着陸……などなど色々と思いつく。
「ヘンリーも行かない?」
「は?俺か?どうも俺はあの窮屈な箱に閉じ込められるのが好かんな」
「飛行機が恐いとか?」
「おい」
 くすくす笑う秋生を睨みつけるが効果は無い。
「だってせっかく皆と一緒に居るんだし、偶にはちょっと遠くに行って遊ぼうよ」
 四聖獣である彼らと、黄龍の転生体とはいえただの人間の秋生と……恐らく一緒に過ごせる時間はそう長くは無い。いずれは彼らと別れなければならない日が来る。
 思い出づくりがしたいなど言い出せばきっと気を遣わせてしまうだろうから言わないけれど。

「まぁ……考えておくぜ」
「うん♪」
「とりあえず、ビンセントの奴に許可を貰ってからだな」
「……それが一番の問題かもね」





 そしてやはり、ビンセントは想像通りの反応をしてくれた。

「ローマ、ですか」

 ヘンリーと昼食をとった後、ビンセントから不在にしていたことへの謝罪の電話が入った。特に予定もしていなかったこちらが突然行ったのが悪いのだが。そしていったいどのような用件だったのかと問うたビンセントに電話ではちょっと、と濁した秋生にビンセントは夕食の約束を取り付けた。
 そこで秋生は、前振りも何もなく『ローマに行くことになったんだけど……』と切り出した。
 セシリアが居たなら盛大に膝を蹴り上げられていただろう。
「突然ですね」
「うん。今日決まったから」
「……事情をお伺いしても?」
「事情ていうか……ただ籤引いたら当たっただけなんだけど」
 ほらこれ。と渡されたチケットをビンセントに手渡す。そのチケットを受け取って、ビンセントはそこに何か罠でも仕掛けられているのでは無いかと穴が開くほどにじっっっと睨みつける。手配している会社は香港では中堅どころの旅行会社だ。
「行っても大丈夫かな?」
 お伺いをたてる秋生にビンセントは小さくため息をついて苦笑を浮かべた。
「私としては反対をさせていただきたいところですが……ミスター・工藤は行かれたいのでしょう?」
 秋生は素直に頷く。
「ペアとなっていますが、セシリアがご一緒すると?」
「うん、まぁ。でも本当はビンセントたちとも一緒に行きたいんだけど」
 ヘンリーや玄冥はいいとしても、ビンセントを連れ出したとなれば東海公司は大変なことになるだろ。そうでなくとも廖さんには迷惑をかけているのだ。秋生の心が痛む……申し訳なさに。
「ありがとうございます。出来れば私もそうしたいのですが……」
「冗談」
「さすがにそういうわけにも参りませんので」
 ……で?
「旅程は5日ほど、向こうに滞在されるようですので何とか都合をつけて参ります」
「……は?」
 普通に、同行するつもりなのか……秋生は何故か嬉しそうなビンセントを見た。
「ミスター・工藤に、そのように思っていただいているとは光栄です」
 秋生は己の墓穴を掘った。
 まさか秋生の発言がそれほどビンセントを喜ばせるとは夢にも思っていなかったのだ。
 セシリアに『馬鹿』と罵られるのが想像できてしまった。





「二日ほど後から参ります。セシリア、それまでくれぐれもミスター・工藤を危険に晒すような……」
「はいはい。わかってます」
 見送りにやってきたビンセントの最後まで小言なのか説教なのかわからない言葉をセシリアは受け流す。
「うん、待ってるから……でも、廖さんにはあまり無理させないようにね」
「わかっております」
 どうだか。
 
 ちなみにヘンリーは、行くときまで一緒でなくてもいだろうが……とのことでさっさと先に旅立った。





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