+就職活動開始! 3
ビクトリアピークの部屋は陽光が燦々と降り注ぐ南向きの良い部屋である。
その部屋は現在暗黒に染まっている。夜だからでは無い。
部屋の中央に陣取る人物からのオドロオドロシイ空気が昼間だというのに部屋の空気を重くしていた。
ビンセント・黒……否、青。彼の空気は暗黒色だった。
眉間には皺が寄り、目の前のTVを今にも粉々に打ち砕きそうな殺気をこめて睨んでいる。
そのTVに映っているのは怪しい黒装束で頭のてっぺんから足先まで隠した男とも女ともわからない人物。その人物の腕には意識を失っている秋生が抱かれていた。
「……で、そいつが秋生を拐したのはわかったけど、どういうこと?」
ビンセントの緊急呼び出しにセシリアとヘンリーが集まっていた。
横抱き(俗に姫だっこ)で秋生を運んでいる相手は慎重で丁寧に運んでいる。危害を加える目的で誘拐した訳では無いだろうというのが唯一の救いだろうか。
「お迎えに上がろうとしたところを一瞬早く先んじて攫われた。それ以降黄龍殿の気が消えた」
「……まさか」
ビンセントは息を呑んだセシリアに首を振る。
「それならば、わかる。恐らく何らかの術で我らにわからぬようにしているのだろう。……前のように」
「あぁ?またあいつらの仕業だってことか?」
「恐らく違う。覆面の背格好体格は四人の誰にも該当しない」
それならばまだ良かった。腹は立っても確実に秋生が無事である保証がある。
「それじゃいったい……」
「ミスター工藤の腕時計にはGPS機能をつけている。それは途中まで追えた」
「途中まで、て……」
「もったいぶらずにさっさと言え」
「レパルスベイのある屋敷で消えた」
「そこまでわかってて……っ」
「その屋敷は英国大使の別邸だ。普段使われることは無いが、本国よりVIPが来た時のみ使われる」
それが使われているということは警備も厳しい。
本国よりのVIPというのが誰なのかが大きな問題だろう。
「怪しい臭いがぷんぷんするわ」
「警備が問題か」
核弾頭だろうと四聖獣は死なないだろうが、記録に残ることは後に面倒を招きよせる。
「ミスター・工藤と我々の関係がどこまで相手に知られているかわからない」
「私は完璧アウトね」
身辺警護も兼ねて最も秋生の近くに居るセシリアだ。
「俺は……微妙か」
このビンセントの屋敷に来るのにも周囲は警戒した。
ヘンリー絡みで秋生にトラブルが起きないように、自分のシマ以外で秋生と親しい姿を見せたことは無い。
「ビンセントも駄目ね」
秋生が否と言わないのをいいことに、青龍はコネとカネをフル活用して秋生を何とか香港に繋ぎとめようと奮闘している。まずは胃袋を掴むべく、しょっちゅう秋生を食事に誘っているのだ。周囲には親戚繋がりと言うことにしてあるが……調べれば赤の他人であることはすぐにわかる。
「英国がどこまで関わっているかによるだろう」
現実世界にありながら夢を夢見る不思議な国だ。
すぐに手が出せないにしても秋生の無事だけでも確認したい。
「白虎」
「応。取り敢えず調べてくらぁ」
ひらりと手を振り、入口の反対の方向に消えていく。
「私も大学行くわ。変わったことが無いか」
ビンセントが厳しい表情のまま頷く。
そして消えてしまった秋生の気配を感じとろうとするように目を閉じた。
白磁の中には琥珀色の紅茶が揺らめいて、白い湯気をあげている。
その横にはスコーンとたっぷりの生クリーム、そして苺のジャム、サンドイッチが置かれている。
空腹を訴えた秋生に用意された食事だった。
それを秋生は遠慮も警戒も無く、口に運ぶ。
片足はベッドの柱に鎖で繋がれているが、両手は自由に動く。
(ん……美味しい)
スコーンに生クリームをたっぷりのせて、大きな口を開けてかぶりつく。
四聖獣が見ればもっと警戒心を持てと涙を流しそうな光景だ。
「お口に合いましたでしょうか?」
仮面をつけた相手が恭しく尋ねてくる。
「はい。美味しいです」
「それは宜しかった」
傅かれることには変に慣れている(ビンセントで)秋生は男の態度にも戸惑う様子も無く返す。
だが秋生とて何も考えていない訳では無い。・・・そうは見えなくても。
(腹が減っては戦は出来ぬって言うもんね!)
秋生の内心はきっと四聖獣の誰も同意はしてくれないだろう。
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一晩ぐっすり眠った秋生は、爽やかな朝の光で目が覚めた。
「おはようございます。朝食をお持ちしますので、どうぞお着替えをなさって下さい」
相変わらず仮面の人物は秋生に不自然に普通に語りかける。
まるでそれが日常のように。
何だかなと思いながらも秋生はベッドから起き上がり、服が揃えられているワードローブを開く。
そう、そこには秋生のために用意されている服が並んでいるのだ。
昨日見て、さすがの秋生も絶句した。
明らかに計画的だろう。
「どれにしようかな……」
そのことについてどうこう言ってもしょうがないので、秋生はいつも着ているようなシャツとスラックスを選ぶ。
ごてごてした服ばかりで無くてj本当に良かった。
鏡の前で寝癖で跳ねている髪の毛を押さえつけて、どうにもならないことに、まあいいかと溜息をつく。
それと同時にノックの音がして、仮面の男が入ってきた。
「失礼致します。朝食をお持ち致しました」
「ありがとうございます」
「恐れ入ります。お口にあえば宜しいのですが」
物腰柔らかく、あくまで丁寧な口調を変えない。足に鎖さえついていなければ、どこの高級ホテルに迷い込んだのかと勘違いするところだ。
一応窓から外の景色を見てどこなのかわからないかと努力してみたが、見えるのはこの屋敷についている庭ばかりで、綺麗だとは思うが香港の景色は見えない。
いくら鈍い秋生でも香港から離れればさすがに気がつくとは思うのだが……。
「あの~」
「はい」
「あなたの名前は何と仰るのですか?」
そういえば聞いてなかったと今更尋ねる。
「申し訳ございません。無礼を致しますが今しばらく名乗りはご容赦下さい」
まあ顔を仮面で隠すくらいだ。簡単には名乗ってもらえないだろう。
「ご不便でしたら、どうぞ私のとこはマスクとお呼び下さい」
「…………」
そのままやん!と突っ込めばいいのかどうなのか。
困惑しつつ、恭しく入れられた紅茶を口に含んだ。
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ヘンリーは街を歩けば誰もが目をやるか、逸らす。それだけ目立つ男だ。良い意味でも悪い意味でも。
ただし意識すれば気配を殺し、驚くほど俊敏に動くことが出来る。
そんなヘンリーは英国大使の別邸である屋敷に忍びこんでいた。トレードマークになっているサングラスもはずしただけでもがらりと印象が変わる。
いったいどんなVIPが香港を訪れているのか、それは青龍が調べればよい。
ヘンリーがするべきことは秋生の無事と居場所を確認することだ。
最善は取り戻すこと。
幾度もの黄龍の生と死を見つめて生きてきた四聖獣でも、秋生が死ねば正気で居られるとは思えない。
それほどに秋生という存在は、ただ黄龍だというだけでなく掛替えのない存在になっている。
ただ傍で笑ってくれたらいい。いつものように。
「……面倒だな」
ヘンリーはぼそりと呟く。
普段使っていない別邸という割に監視カメラがあちこちに設置されている。
公然とは使えない場所だからこそ、なのかもしれないが。
小動物を使いながら、監視カメラが反応した隙をついてヘンリーは英国庭園へと忍び込む。
ここまで近づいても黄龍の気配は感じ取れない。
監禁されているだろう部屋自体か、秋生自身に何か仕掛けられているのかもしれない。
無事で居てくれよ、とキレた青龍を想像しながら、ヘンリーは屋敷を見上げた。
そして。
秋生と目が合った。
おいっ、と声を上げそうになったのを留めてガラス扉を隔てて小さく手を振っている秋生を見つめる。
安堵に脱力しそうになる。
無事でよかった。
元気そうでよかった。
…………しかし、何故そうも暢気そうにしているのか。
理不尽なものを感じてヘンリーは拳を握り締めた。
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