+就職活動開始! 4
ヘンリーと目が合った秋生は反射的に手を振っていた。
ヘンリーの目が大きく見開かれ、がくりと首を落とす。
それだけで何となく申し訳無い気分になる。四聖獣の中で一番苦労しているのは確実にヘンリーだ。
窓には鍵がかかっていて開くことは出来ない。割れば、物音で誰かがやってくるだろう。
どうするのだろうとヘンリーを見ていると、周囲を伺い窓まで跳躍した。
普通の人間には到底無理なことも四聖獣にとっては朝飯前。僅かにあった窓の飾りに手をかけて秋生に下がっていろと手を振る。
大人しく部屋の奥に下がった秋生は、どうするんだろうと思ったら拳が繰り出された。
え、と思う間なくガラスに皹が入り、ミシミシと音をたてる。あっさりと壊れなかったとこをみると強化ガラスだっただろうが、ヘンリーの拳?の前には意味を成さなかったらしい。
しかしこれほど派手にやったのにガラスの割れる音がしない。
超常現象なんて日常茶飯事の秋生は、あまり気にはしないが。
「無事か?」
「あー……うん。これ以外は」
秋生は足につけられている鎖を指差した。
ヘンリーの眉間に皺がより、虎が啼くように唸る。
ぽりぽり、と頬をかいた秋生はへにゃりと眉を下げる。
素早く秋生に近づいたヘンリーは鎖を掴むと、あっさりと引きちぎった。紙でも破るかのうように。
「さすがヘンリー」
褒めた秋生に何故かヘンリーは大きな溜息をついた。
「怪我はしてないか?」
「大丈夫だよ」
「えーと、ビンセントには黙っていて欲しいなぁなんて……」
「無理だろ」
「……ですよね~」
ヘンリーとは悪友ポジションだが、黙っていると酷い目に遭うのはヘンリーだ。秋生に直接ビンセントが何かするわけではないが、そのビンセントの不機嫌の余波を受ける周囲に申し訳なくてたまらない。
主にヘンリーとか、廖さんとか。廖さんとか……ああ、今もちゃんと仕事しているかな……してないよね。
今更ながら焦りだした秋生だ。
「とっとと帰るぞ」
「うーん、大丈夫かな……」
「誰に遠慮しているんだ、馬鹿」
さすがのヘンリーも我慢ならなくなってきたらしい。
全くもってその通りなので、秋生も口を噤んだ。
「どこから帰るの?」
「そこしか無いだろう」
庭に続く破壊された窓を顎で示される。
もちろんロープも梯子も階段も踏み台になるものも無い。何も無い。
「行くぞ」
背中を向けられる。
秋生は覚悟を決めた。
ヘンリーに助けられた秋生はビンセントの屋敷ではなく、ヘンリーのシマにある小さな家の中……更にその地下室に連れて来られたらしい。「らしい」というのは、相手を霍乱するためなのか、出鱈目に走らされて到着したからだ。
「ここで暫く待機しておいてくれ」
「ビンセントのところには戻らないの?」
秋生は聞くとヘンリーは大きな溜息をついた。
「お前を拐した相手がどこの誰だかわかってない。それが判明するまでは姿を隠したほうがいいだろう」
「そっか……大学どうしよう」
「セシリアがどうにかする。とにかく秋生はじっとしていてくれ、頼むから」
懇願するようにヘンリーが頭を下げる。
秋生は頬をかきながら、視線が逸れる。秋生として好きで危険に首を突っ込んでいるわけでは無い。
今回のことだって不可抗力だ。
「すぐにビンセントの奴が顔を出すはずだ」
「心配してるよ……ねえ」
「まあ、あいつが心配してないほうが異常だろ。それがあいつの仕事でもあるしな。気にするな」
秋生は乾いた笑いを漏らす。
心配するのが仕事は無いだろうに……まあそう言われても仕方ないくらい心配をかけている秋生が言えたことでは無い。
申し訳なさそうな秋生の頭をがしがしと手荒に撫でるとヘンリーは出て行った。
秋生、というか黄龍がトラブルメーカーなのが一番の問題なのだろうが、トラブルを呼び込むのは四聖獣たちに原因が無いわけでは無い。自分たちを自分たちの本性と込みで受け入れてくれる秋生という存在と離れがたく、傍に居る。
そのことで見た目凡人のそのものの秋生が悪目立ちして、余計な注目を浴びている。
日本に居ればこんなことは無かったはずだ。
それでも……
「……申し訳ありません、黄龍殿」
そっとヘンリーが呟いた。
秋生がヘンリーに保護された頃、堅い表情で来客を迎えているビンセントの姿があった。
予定に無い来客はイギリス副領事だった。イギリスから中国に返還された香港だが、イギリス文化は色濃く各所に残り、その存在は無視できるものでは無い。
「急な訪問申し訳無い、ミスター・青」
「いえ。わざわざお越しいただかなくともこちらから参りましたのに」
東海公司が香港有数の企業とはいえ、やはり民間の一会社でしか無い。そこへ公人である副領が出入りしては痛くも無い腹を同業者に探られることになるだろう。東海公司を大きくしすぎて何かと拘束されることの多いビンセントにとって、これ以上東海公司を大きくすることは望んでいない。縮小しないまでも現状維持。それが望みである。
そしてゆくゆくは引退し、秋生の傍に四六時中侍るというのが青龍の希望というか、決心している。
秋生が知ったら顔を引き攣らせそうだが、反論しても流されるのが秋生クオリティ。懐は宇宙のように広い。
「時間も無いことだ。率直に申し上げよう」
それはビンセントも望むところだ。
ここで余計な腹の探りあいをして余計な時間をとりたくは無い。
むしろ今すぐにでも秋生のもとに飛んでいきたいのだ。文字通り。
「この写真の青年なのだが」
副領事が胸元から取り出した写真、そこに写っていたのは秋生だった。
どうやら大学構内で撮影されたものらしい。なかなかいい角度で秋生の笑顔を盗撮している。
「ミスター青はご存知だろう」
「……存知上げていますが。彼が何か?」
副領事は60近い白髪も目立つ英国紳士で、穏やかに微笑んでいる。それだけ見れば人柄の良さそうな英国人だ。
だがこの香港がイギリス領だった頃からの総督府の古顔でもあり、一筋縄ではいかない相手であることは香港政財界の誰もが知っている。
「彼を東海公司には就職させないで貰いたいのだよ」
キラリ、とビンセントの銀縁眼鏡が鋭く輝いた。
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