+就職活動開始! 2


「あ」
「何よ」
 雑誌を呼んでいたセシリアの手元を覗き込んでいた秋生は、そこに掲載されている写真に小さく声を上げた。
「ちょっと見せて」
「何か面白いことでもあったの?」
「いや、そんな面白いことっていうか……やっぱり」
「何が?ビンセントのスキャンダルでも出てた?」
 きらんっと面白がって目を輝かせるセシリアに苦笑する。秋生が香港に来る前にはしょっちゅう紙面を賑わせていたビンセントだが、最近はぴたりとやんでしまった。……そのせいでついに本命が出来たのでは無かろうかとパパラッチは目を光らせているらしいが。
「ビンセントじゃないよ。この写真に映ってる人」
「ん?ちょっと年齢的には上だけど中々良い男じゃない」
 正確には誰もセシリアより『年齢的には上』とはとても言えないが、そんなことを言えば秋生の命が危ない。
「友達のお父さんだよ。この間会ったんだ」
「へぇ」
 香港総督とにこやかに握手を交わしている男は、かつての学友であったらしい。
 ウォリック伯と書かれている。
「友達?……うちの学校に貴族の息子なんていたかしら」
 セシリアが首を傾げた。
「ほら、この間話したリチャードだよ」
「ああ。ちょっと変わり者で貴族らしくないわよね、あの子」
 だいたいセシリアと秋生が一緒に居れば、大概の男はセシリアのほうに興味を向ける。
 しかしリチャードは会った時からセシリアのことは全く眼中に無い様子だった。それだけで『変わり者』のレッテルを貼られてしまうのは可哀想だ。
「ウォリック伯、て言ったら結構名家じゃない。会ったて言ったけど、どうだったの?」
「うーん、ま、よくわからないけど気に入られたみたい。食事にも誘ってもらって、まだ当分香港に居るから訪ねてきて欲しいって」
「……」
 ほけほけと応える秋生に、セシリアは目を細めた。
「ちょっと、大丈夫なの?」
「何が?」
「何が、て……」
 全く危機感の欠片も無い秋生にさすがに脱力する。
 今まで散々トラブルに巻き込まれてきたのをどう思っているのだろうか。
「ちゃんと断った?」
「就職は香港か日本でするからって言ったけど……リチャードが僕のことをいったいどんな風に話してたのかしらないけど、妙に買いかぶられてるみたいで。至って平凡な人間だって主張しておいたけど」
「……」
 平凡だと思っているそのことこそが、平凡ではないことだ。
 香港総督とも親交があり、本土の裕福な貴族。事業も順調であるらしい。そんな相手に見込まれたならば、例えその評価が誤解であろうと、普通の学生なら自分を売り込もうとするだろう。こんな絶好の機会を見逃すなんてただの馬鹿か余程の大物だ。
「リチャードのパートナーにって、ねぇ。僕が言うのも難だけど大学出たばっかりの社会の右も左もわからないような若造に言っちゃ駄目だよね」
「……」
 そう告げても良いと思うものを秋生に感じたのか。ただの親ばかなのか。
 甘いだけの男ならば、良いのだが。
 雑誌の記事を読みながら「へぇ、凄い人なんだね」と全く他人事のように感心している秋生に頭痛がしてくる。
 ただの馬鹿か、大物なのか。セシリアはその間の紙一重のところに秋生は居る、と確信した。








「何だと」
「私に凄んだってしょうがないでしょ」
 とりあえず報告まで、とビンセントに電話をかけたセシリアは低い怒りを孕んだ声を一蹴した。
「秋生はトラブルホイホイなんだから、眼を離さないで頂戴」
 黄龍としてだけでなく、『工藤秋生』としても四聖獣は慈しんできた。
 それをここでトンビに油揚げのごとく掻っ攫われては、それこそただの馬鹿だ。
 人は年をとり、老いて、死んでいく。幾度もの転生体を四聖獣たちは見送ってきた。一緒に居られるのが例え僅かばかりの間とは言え、その幸せを手放せようか。答えはわかりきっている。
「わかっている」
「本人にその気は全く無さそうなことだけが救いだわ」
 もし秋生がそうしたいと言うのならば、止められはしない。
 四聖獣が命じられたのは、あくまでその眠りを見守ること。介入することでは無い。
 何と歯がゆいことだろう。
「さっさとプロポーズでも何でもして、ふらふらしている秋生を繋ぎとめて頂戴!」
「セシリア!?」
 慌てるビンセントの声を聞きながら問答無用でセシリアは通話を切った。
 ちょっとした冗談のつもりだった。









 大学から帰り、自宅でのんびりしている秋生の携帯が鳴り、液晶の表示を確認して首を傾げた。

「はい、秋生です」
『お忙しいところを申し訳ありません』
 相変わらず低姿勢な相手はビンセントだった。
「大丈夫だよ。どうしたの?」
『明日の夜は何かご予定がございますか?』
「明日?……ん、特に何も無かったと思うけど?」
 セシリアに買い物に付き合う予定も、大学の友人との飲み会も無い。
 トラブルに巻き込まれる予定だけは立てられないが。
『では、一緒にお食事は如何でしょうか?美味しいトルコ料理の店を見つけまして・・』
「トルコ料理?へえ、どんなのだろう。行く行く!」
 ビンセントに完璧に餌付けされている秋生は何も疑うことなく、嬉々として了承した。
 頭の中は想像の『トルコ料理』で埋め尽くされている。
『それでは明日6時にお迎えに参ります』
「うん、待ってるよ」
 にこにこ笑顔を浮かべた秋生は、その行為が所謂『エスコート』と呼ばれるものであることなど知る由も無い。
 最初こそビンセントの低姿勢っぷりに引いていた秋生も今ではすっかり慣らされている。
 傅かれていることさえ普通になってきた。慣れとは恐ろしいものだ。



 朝からトルコ料理のことで浮き浮きしていた秋生は呆気なくセシリアに白状させられ、嫌味を言われた。
 一応『一緒に来る?』と誘ってみたが『冗談じゃない!』と何故か拒否された。
 馬ならまだしも龍に蹴られたくないわ、とのこと。意味不明だ。
 浮き浮きした気分のまま、約束の時間に現れるビンセントを自宅で待つ。特にドレスコードの指定はされなかったので、普通の服装で問題無いだろう。
 まあたとえそうであったとしても、きっちり秋生の服を用意するのがビンセント・青という男であるが。
 そして、ふと親しい気配が近づいた気がして秋生が立ち上がった。それと同時にドアホンが鳴る。
「はーいっ!」
 ビンセントだっ!と浮き立った気分のまま秋生は扉を開けた。

           あ、違う。

 反射的に扉を閉めようとするが遅く、秋生の意識は暗闇に落ちていく。
 (ああ……セシリアに怒られる……)
 そんなことを思いながら。








 目を開けると薄暗い。
 ああ、まだ夜か……と再び瞼を下ろしかけて、いや待てよ。と何かが秋生の覚醒を促す。

「お目覚めですか?」

 英語でそう声を掛けられ、秋生は周囲を見渡す。
 丁寧な口調はビンセントに似ているが、ビンセントが英語で秋生に話しかけることは滅多に無い。
 薄暗いと思ったのは当然で、部屋にある明かりは蜀台一つのみ。
 ゆらりゆらりと複数の炎が揺れている。
 事態がよく飲み込めない秋生は起き上がろうとして足に何かが引っかかった。
「え・・」
 薄暗い中、目を凝らすと秋生の足には鎖らしきものが纏わり付いていた。
「……鎖?」
 何で鎖?
 覚醒したばかりの秋生の頭は危機を把握するほどに回復していなかった。
「お御足に無粋なものを申し訳ございません。ですがこれも貴方様のため、どうぞお許し下さい」
 いつの間にか近づいてきた相手が恭しく頭を下げる。
 上げた顔の上半分には仮面をつけている。

 えーと……これはもしかしてとっても不味い状況なのかな?

 もしかしなくても明らかに不味い状況なのだが、相変わらず秋生は鈍かった。
 しかし秋生が思うのはセシリアに続いて、ビンセントにも怒られる、どうしよう……という二人が聞けばもっと警戒心を持って欲しいと落涙しそうなことだけ。
 この秋生の無防備さも四聖獣が過保護にしすぎた弊害と言えるのかもしれないが……。
 きっと四人がどうにかしてくれるだろうという絶対的な信頼感でもあった。
 これまた別な意味で聞いたならビンセントが落涙するだろう。
 そして秋生の体は思考ばかりでなく、お腹もマイペースだった。
 くぅぅっと空腹を訴える音が静まりかえった空間に響きわたる。
「……」
 さすがにこれには秋生も頬を引き攣らせた。
「お食事がまだでございましたね。すぐにご用意致します」
「……お願いします」
 恐らく誘拐犯だろうという相手に秋生は律儀に頭を下げのだった。







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