シンデレラ・カプリッチオ 4
「セシリア」
また乱暴に及んだのかとビンセントの目がセシリアを睨みつける。
「あら、お帰りなさいっ!はいはい、お待ちかねのご馳走が帰ってきたわよ!」
しかし、セシリアも心得たもの。ビンセントの小言が始まる前にとさっさと秋生をビンセントへとバトンタッチする。こうなってしまえば、ビンセントも秋生を脇に置いてセシリアに小言を言うことは出来ない。年の功というものだろう……口にすれば半殺しにされるだろうが。
「お待たせいたしました」
「わっ、ありがとうっ!もうっ本当にお腹ぺこぺこで……」
鳥皿の上に綺麗に並べられた料理たちに秋生は目を輝かせた。ビンセントはそんな秋生を愛しそうに眺めて、いる。いつもならば馬鹿主従……と呆れるセシリアも、今夜ばかりは秋生が仮装ならぬ女装なんてしているものだからバカップルそのものにふつふつと怒りが湧き起こる。
「こんなことなら、サイズなんて教えるんじゃ無かったわ」
「元凶はお前か……」
ぽつりとこぼされたセシリアの愚痴を拾ったのはヘンリーだった。
「いいじゃない。お遊びなんだから!もっと色物になると思ったのに誤算だわ!こうなったら好きに飲んで暴れてやるっ!」
「おいおい待てお前……っ」
セシリアが暴れた日に会場の破壊どころか、この建物事態が破壊される恐れがある。
(何で俺がこんなに苦労してんだ……?)
理不尽な思いを抱えつつヘンリーは、肩を落としてセシリアを追いかけた。
「本当、美味しい……ヘンリーって料理うまいよねぇ」
「あれの数少ない趣味ですから。ミスター・工藤に喜んでいただけて本望でしょう」
ヘンリーが聞いたならば、趣味の一つもないような男に言われてたまるかっと反論しそうなことをさらりと言ってのけて、ビンセントは料理を次々と促していく。
「うぐんぐ。て、ビンセントは食べないの?」
「は、ええ……私は」
元来四聖獣には、人間と同じような糧をとる必要は無い。ただそれでは人間世界にまじって生活するのに不便なため、食事をとるようにしているに過ぎない。
「あ、もしかして僕のせいでビンセントが食べたいものとってこれなかった!?」
「いえ、そんなことはございません」
「でも……」
先ほどから自分ばかり食べていてビンセントは一つも箸をつけようとしない。
ビンセントのほうも箸が止まってしまった秋生に困惑した。ついつい秋生が食べる姿に夢中になっていたため誤魔化しが上手く口に出なかった。
「そうだっ!ビンセントもとってきてよ。それで一緒にここで食べればいい」
名案だ、と笑顔を浮かべる秋生に・……ビンセントは微笑みかけながら内心うろたえていた。
「しかし……」
ヘンリーもセシリアも傍を離れてしまった。ここでビンセントが離れれば秋生を一人にしてしまう。
「僕なら大丈夫だって。ビンセントは本当に心配性だな。ここはヘンリーのお店なんだし……ここでじっとしているから大丈夫。ね?」
「はぁ」
押しに弱い割りに、時に妙に押しに強くなる秋生に促され……ビンセントはしぶしぶと料理が並べられたテーブルまで行かなければならなくなってしまった。後ろ髪をひかれつつ……。
「せっかくパーティなんだから、ビンセントも楽しまないとね」
心配そうに振り返るビンセントに手を振りつつ、先ほどからビンセントに熱い視線を送っている女性たちがそちらに動きだすのを秋生は確認していた。自分のことには全く気づいていないのに、どうでも良いことばかりに気がまわる秋生である。後日、そのことを聞いたセシリアは心底ビンセントに同情を寄せた。
さて、ビンセントを見送って食事の手を再開した秋生は背後から掛かった声に振り向いた。
「麗しの我が君」
「……へ?」
目の覚めるような美青年が秋生を見つめていた。
その視線は先ほどの男たちのように何かを狙っているような目では無く、どこか尊いものを慈しむような視線だった。
最初、秋生はそれが自分に対して言われたものと思わず、つい周囲をきょろきょろと見渡してしまったのだが、美青年の視線は秋生に留められたまま、笑いまじりに「どちらをご覧になっていらっしゃいます?我が君」と繰り返されるに至って、自分のことに間違い無いと自覚した。
「あの……」
「そのお召し物も大変似合っておいでです」
美青年は秋生の手を取ると、甲に口付けた。
先ほどやられたときには嫌悪感を感じたのに、不思議と今回は無い。
どうしてだろう……?と不思議がっている秋生の無防備な表情に青年は愛しくて溜まらないと言わんばかりに目を細めていた。
美青年は深蒼の艶のある素材のチャイナ服を纏い、長い黒髪を無造作に背中に垂らしている。中国王統の末裔と言われても納得してしまいそうな高貴さ気品に溢れ、周囲を圧倒する。
「え、と、貴方も凄く似合ってると思います」
褒められたので褒め返す、というわけでは無いが秋生は慌てて言い返した。
美青年はそんな秋生にたまらず噴出した。
「え……?」
「我が君……本当に貴方は……」
秋生の頬に手を滑らせた青年は、うっとりと秋生を見つめている。
「あの、こんなこと聞くと失礼かもしれないんですけど……どこかでお会いしました?」
秋生の中で喉に何かが詰まったように、思い出せそうで思い出せない。
「覚えていて下さいましたか?……私は」
耳元で囁かれた名前に、秋生は大きく目を見開いて青年をまじまじと見つめた。
「……ミスター・工藤?」
その数分後、すぐに戻ってくるはずが何故か女性に囲まれて……漸く振り切って戻ってきたビンセントはそこに居るはずの秋生の姿を見つけることが出来なかった。
ビンセントがその姿を見失って呆然としている頃、秋生は青年に誘われて、屋上に最近作られた空中庭園にやって来ていた。
「こちらのほうが落ち着かれるでしょう」
「まぁね…服は窮屈だし、人は話かけてくるし……わいわい騒ぐの嫌いじゃないけど」
秋生は苦笑して青年の言葉に頷いた。
「どうぞこちらへお掛け下さい」
青年はベンチにどこからか取り出した白い布を敷き、秋生を促した。ちょっと困った顔を浮かべつつも秋生は笑顔でゆする青年に負けて、腰掛けた。
「んードレスって動きにくいし、座りにくいね」
「でもよくお似合いです。うっとりと見惚れてしまいそうに……」
普通の女性ならば美青年に間近でそんな台詞を囁かれれば頬を染めて一発で恋に落ちそうだが、生憎秋生は男である。似合っているなど言われても複雑なだけだ。
「でも、どうしてこんなところに?しかもその姿……」
「せっかく御前に罷りこすのですから、相応しい姿をと思いまして」
「びっくりしたよ。だって、男装じゃない、よね……?」
「はい。少し陽の気を強くして性別を変化させました」
「へぇ……そんなことも出来るんだ」
純粋に便利だなとしか思っていない秋生は、その感覚がすでに常人では無いことに気づいていない。
「でも女の人でも男の人でも、美人なことに変わりないんだ……」
羨ましい、と見つめられて青年は艶やかに微笑した。
「我が君にお褒めいただき光栄にございます」
傅(かしず)くことが、至上の喜びと言わんばかりに秋生の座る前で膝を折り、頭を下げる。
その姿はどこかの誰かを彷彿とさせる。さすが……
「ツェリンさん、て呼んでいいのかな……?」
「どうぞ、ツェリンと呼び捨てに。あちらの青龍のことはそうお呼びでしょう?」
「まぁ、うん……ツェリン」
「はい」
非常に喜んでいる。そこまで喜ばれることでもないだろうに、と秋生は首を傾げた。
「ところで、他の皆は?元気?」
「お気遣いありがとうございます。残念ながら他の者は本日罷りこすことが出来ませんでしたが……」
実のところ情報を掴んだツェリンが一人、主とのひと時を独り占めしようと抜け駆けしたのだがそんなことを素直に言う人間では無い。何しろ青龍だ。
「会いたかったなぁ……」
しみじみと秋生は言う。訳もわからず振り回された過去があるというのに、秋生にとって目覚めの四聖獣はいつも傍に居る四聖獣と同じように慕わしい。
「我が君……何とお優しいのでしょう」
ツェリンは恍惚の表情で膝をついたまま秋生の手をとり、見上げている。その熱のこもった眼差しは恋しい相手に愛を告げるがごとく。反応に困った秋生の視線が微妙に泳ぐ。これでツェリンがいつもの美女のままだったならば、でれっと鼻の下あたりを伸ばしたかもしれないが……
どうしようかな、と途方にくれた秋生はちっという舌打ちの音を聞いた。
「……もう嗅ぎ付けられたか」
「ツェリン、さん?」
つい敬称をつけてしまう。
「大丈夫です」
ツェリンはそう言うと、秋生を背後へ隠すようにその面前で立ちふさがった。
「ミスター・工藤!」
少し焦ったような声は、あまり聞くことのないビンセントのものだ。
余程慌てたのか急いだのか(たぶん両方)、せっかく綺麗にセットされていた髪が一筋額に垂れている。しかしそれさえも美貌を彩る演出となりえる。
ビンセントは、立ちはだかるツェリンに厳しい眼差しを注いだ。
「貴様、何をしている?」
「見てわかるだろう?我が君との親交を深めていたまで。眠りを守る四聖獣とは違い、我ら目覚めの四聖獣はお傍に侍ることもままならない。このような機会も無くば、御前に罷りこすことも出来ぬ。黄龍様もご容赦くださるに違いない」
その背後で秋生が困ったように頬をかいた。
「ひと時程度、その座を譲る寛容さを見せては如何か?眠りを守る四聖獣筆頭、青龍」
ぴくり、とビンセントのこめかみが脈打ち、銀縁の目がねがきらりと光った。
「我ら守りの四聖獣は黄龍殿の眠りを守るが勤め。その勤めに横槍を入れようとするは、いかに黄龍殿とはいえ、ご不快に思われるだろう。ましてや何の断りも無く、ミスター・工藤を連れ出されるなど」
ツェリンは微笑した。
「それこそ出すぎた真似であろう。ミスター・工藤の行動を制限する権利が貴方にあるとでも?」
「くっ……」
ビンセントは憎憎しげに口を閉じる。
険悪極まりない空気に、秋生は小さく吐息をついた。
「あのー……ビンセント、ツェリン、さん……」
「「はい」」
秋生の呼びかけに、すかさずどちらの青龍も返事をかえす。
「二人とも、せっかく久しぶりに仲間と顔をあわせるんだし……僕もツェリンさんに会えて嬉しいし・・・」
ツェリンが顔を輝かせ、ビンセントが苦虫を噛み潰したような顔になる。
「黄龍とか四聖獣とか、今日だけは忘れて一緒に楽しもうよ」
黄龍が夢見る幻の世界。
けれど、確かに秋生はこの世界に生きて、楽しみ……様々な出会いをして、満足している。
新しい年を、皆と楽しく迎えられて満足だ。
何故、二人が険悪なのか……その原因が自分にあることなど全く気づいていないにぶにぶ秋生だったが、仲間同士楽しく過ごしたい。
「申し訳ございません……」
「ミスター・工藤のお心も弁えず、愚かな真似を致しました」
「「どうぞ、お許し下さい」」
「……」
態度から言葉遣いから、息も見事にぴったりだというのに……どうして仲が悪いのだろう?
(まさしく同属嫌悪というやつなのだろうが)
秋生は首を傾げつつ苦笑して、張り合おうとする青龍二人に平等に笑いかけた。
「それじゃ、皆が待ってるだろうし……会場に戻ろうか?」
「「御意」」
「……」
もう少し態度が柔らかくなってくれたら言うことなしなんだけどなぁ……と秋生は思った。
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