憂愁のセレナーデ 6
もう、限界だった
その日、東海公司本社ビル最上階にある社長室に、女子大生が殴りこみをかけた。
―――セシリアである。
「秋生が大学に来ないのよっ!」
入ってくるなりの、このセリフに、ビンセントは眼鏡の縁をあげ、眉間に皺を寄せた。
「セシリア、お前には礼儀という言葉は……」
「何うだうだ言ってんのよっ!」
ビンセントは溜息を吐いた。
「一日や二日、ミスター・工藤が大学に来ないからといって何をそう騒ぎたてる?」
「……本気で言ってんの?」
「もちろんだ」
「この……馬鹿っ!」
「馬鹿とは何だ。ミスター・工藤とて成人された大人だ。今まで我々があまりに口出し過ぎて些か窮屈に
感じていらっしゃったのだろう。あまり行動を制限するようなことは……」
ビンセントの言葉を遮り、セシリアがマホガニーの机に拳を打ちつけた。
美しい木目調に、罅が入る。
「どうこしてこう・・・男って馬鹿ばっかりなのかしら!勘違いもいいところよ!!」
最近、秋生がビンセントの誘いを断っているのを、この男は何故そうなったのか、『親離れ』の一種で
あると思っていたらしい。
「秋生は黄龍殿の気が消えたことを気にしてたのよ!?」
「それは、私もだ。当然のこと、異変があればすぐに駆けつけるようにしている」
「・・・そうじゃないでしょ!もうっ本当に・・・っ!秋生はね、絶対勘違いしてるわよ。今まで煩いくらい付き纏って
いたあなたが全然構ってこないのは、自分が黄龍じゃなくなったせいだって」
「何を……ミスター・工藤が黄龍で無くなったなどと」
そんなことがあるわけが無かろう、と言おうとしたビンセントを、机を打つ手が止めた。
「あなたはそう思ってなくても、秋生はそう思ってんのよ!何が原因かはわからないけれど、今まで普通に
わかっていた広東語もわからなくなって、凄く心細くなってるところへ、手のひら返したみたいにあんたは
秋生に関わらなくなる。秋生が何を考えてるかなんて、考えなくたってわかるわよ。もう自分は黄龍じゃない。
だからあたしたちが、自分に関わる理由も無くなったんだって……そう思ってるの!」
「それは、お前がそう思って……」
「あーそう。あくまであたしの思い込みって言うわけ。……ふん、後で慌てふためいたって知らないわよ!」
捨て台詞を吐いたセシリアは、入ってきた時と同様に荒々しく出て行った。
大層丈夫なはずの、扉の蝶番が僅かに歪んでいる。
「……。……」
その背を無言で見送ったビンセントは、僅かに遅れて傍らの受話器を手に取った。
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内線で外出を廖に告げたビンセントは、秋生が住むマンションの部屋までやって来ていた。
ここまで来ても、黄龍の気を感じ取ることは出来ない。
黄龍殿のされることは時に我らの理解を超える。
胸中で嘆息しながらも、何か理由あってのことだろうとビンセントは思っていた。
そして、ゆっくりとインターホンに手を伸ばして押してみる。
……が、反応はかえらない。
「ミスター・工藤?ミスター?……ミスター・工藤!」
声を大きくして扉を叩くが、やはり反応は無い。
眠っているにしても、これだけ騒げば何か反応がありそうなものなのに……もしや、何かあったのでは。
ビンセントは最終手段と、スペアキーを取り出し扉を開けた。
「失礼致します」
声を掛けながら、リビング・キッチンダイニングと足早に姿を捜してみるがどこにも無い。
最後に二つある寝室の秋生がいつも使っているほうの扉の前に立つと気配を探った。
もし居るのだとすれば、いくら黄龍の気が今は感じられないとはいってもわかるはずだった。
だが、部屋は静まりかえり、『人』の気配というものが無い。
どこかにお出かけか……
そう思いながら、一言断って寝室の扉をビンセンは開けた。
「っミスター・工藤……」
不在かと思われた秋生はベッドの上に横たわっていた。
お休み中だったのかと、声を潜めて近寄ったビンセントだったが、ふと何かが意識にひっかかった。
あまりに静かすぎる。
まるで、息さえしていないような……。
「失礼を……」
手首を掴んだビンセントは脈拍を確認する。
トクン・・・トクン・・・・・・・・トクン・・・・・・・・・・・・・
「……馬鹿な」
いくら睡眠中といえど、拍が少なすぎる。
呼吸も止まっているかのように、ゆっくりだ。
「ミ……ミスター・工藤……ミスター…………秋生っ!!」
躯を揺すり、名を呼ぶが秋生の瞼が開かれることは無い。
秋生は……
「秋生……っ!!」
外界を一切遮断し、穏やかに眠りつづけ……どれほど呼びかけようと応えることは無かった。
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