体験就職 5
さて、体験就職も残すところ本日1日。
あっという間に過ぎ去った体験就職は改めて、『東海公司て凄いところだなぁ』と秋生に思いを
新たにさせた・・・色々な意味で。
何が凄いって、社員の質がとんでもない。
社長のお茶の時間を把握しているというのは序の口で、ビンセントの急遽な予定変更にもすぐに対応。
まるで慌てた様子もなく、まるでそれを予想していたかのように新たなスケジュールが組まれている。
また天気についても百発百中。1週間後が雨になると、確実に当てるのだ。
東海公司には、予知能力者が居るに違いないと秋生が思ったのも無理からぬところ。
そして、秋生はがっくりと肩を落とした。
こんな所に平凡な自分が就職するなんて、やっぱり夢物語なのだ、と。
「ミスター工藤?如何なさいました?」
はぁ、と何やら大きくため息をついた秋生に、デスクから視線をあげてビンセントが問いかけてくる。
二人が居るのは、東海公司社長室。体験就職中、秘書見習いの秋生は秘書課長の廖に言われて
ビンセントに判断を仰ぐ書類を持ってきた。所謂『使いっパシリ』という奴だが、”適材適所の鬼”と影で
噂される廖は、秋生が傍に居ればビンセントが大人しく仕事をするという法則を最大限に利用していた。
「僕ってさ、やっぱりこういう大企業には向かないよね・・・全然役に立ってないし」
「とんでもございません!何を仰るのです、ミスター工藤!そう思われるのはきっと東海公司がまだまだ
未熟であるからです。そんな会社にミスター工藤が見切りをつけられるのは至極当然のこと。
私は、一からやり直すべきかもしれません」
「!!それこそとんでも無いっ!十分だよっ!東海公司は十分魅力的だって!香港だって有数の大企業
なんだから・・・」
冗談を知らないビンセントは、本気でやりかねないので注意が必要である。
「ですが・・・」
「あー、もう。どうしてビンセントって有能なのに、僕の平凡さがわからないのかな・・・。それは確かに
黄龍はビンセントの仕えるべき主だよ、でも・・・僕は、ただの人間で、学生だ。これといった特技も
才能も無い・・・本当、ビンセントにそこまで評価してもらうだけの価値は無いんだよ」
「それは違います、ミスター工藤」
ビンセントは思いのほか、はっきりと断言した。
「あなたは公明正大な方だ。私は政財界に顔がきき、ヘンリーも裏社会ではそこそこの顔です。二人
ともあなたのためならどのようなコネでも喜んで差し出すでしょう。ですが、あなたは一度としてそれを
しようとしたことは無い。利用しようと思われたことも無い。あなたの清廉な性は学習して身につくもの
ではありません。もって生まれたもの。それだけで、あなたの価値は誰よりも高いのです」
「・・・・・・」
言葉をなくした秋生は、うつむいて両手で顔を覆った。
「ミスター工藤?」
「ビンセント、それ・・・褒めすぎ・・・」
秋生の顔は赤い・・・照れている。
「いいえ、足らないほどです。私がどれほどあなたを尊く思っているか・・・私はあなたが望むのならば
どんなことをしても後悔いたしません」
「もう、いーから・・・ビンセント、そこまでにしておいて頭にのっちゃうだろ・・・」
「構いません。望みのままに・・・」
いつの間にか秋生の隣に瞬間移動していたビンセントが、顔を覆っていた秋生の片手を取り、額へ<
押し当てた。
「ビンセント・・・」
「ミスター・工藤」
トントン。
「失礼します、先ほどの・・・社長?」
ノックをして入ってきた廖は直立不動の秋生と、その後ろで額を押さえて膝をついているビンセントに
不審な表情を浮かべた。
「いや、何でもない。どうした?」
立ち上がったビンセントの白皙の顔の額だけが赤く色づいている。
ノックの音に驚いた秋生に裏拳をかまされたらしい。
世界広しといえど、青龍に裏拳をかませるのは秋生くらいのものだろう。
ある意味で誰よりも『凄い』秋生は、自覚が無いぶん更に最強なのだ。
秘書課長の廖は、心の中でこっそり本番の就職試験に秋生が来たら課長特権で一発合格、即採用
する決心をしている。
ビンセントが突然の予定で出奔することが無くなるというだけでなく、実際、秋生は優秀だった。
新人らしい慣れない部分があると思えば、時折はっとするほどの威厳を感じるときもある。
語学も堪能で、廖が想像するところ中国国内で使用される言語はほとんどしゃべることが出来るの
では無かろうか。それが不思議なことの一つでもあるが・・・。
そして、何よりビンセントという最大のコネを持ちながら、それに奢ることが無い。
「えーと、それじゃ・・・あの、僕は失礼します」
日本人らしい曖昧な笑顔を浮かべつつ、秋生はそそくさと社長室を後にした。
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