体験就職 1


 晴れ渡る青空の下。
 秋生はリクルート用にと準備したスーツに身を包み東海公司、本社ビルの前に立っていた。
 お迎えを、と言ったビンセントに慌てて首を横に振ったのは昨日の夜のこと。 
 いくら鈍い秋生だって社長であるビンセントわざわざ出迎えるにくる非常識さはわかる。

「よしっ」
 頑張るぞと気合を入れた秋生はすでに何回も通ったことのある正面玄関をくぐった。
 受付嬢は秋生の姿を見るとすぐに笑顔を浮かべて立ち上がったものの、”あら?”と言った風に 首をかしげた。
(仕方ないけどね・・)
 いつもビンセントを訪れる秋生の姿はTシャツにGパンというラフすぎる格好だ。
 スーツ姿の秋生が不思議だったのだろう。

「あの、体験就職で・・」
 秋生の言葉にやっと納得のいった受付嬢は、いつもとは違うエレベーターを示し五階の会議室の 方へと案内してくれた。よく考えると東海公司に来るのも慣れたものだが、ビンセントの居る社長室 以外は入ったことがないので新鮮だ。
 五階に着いた秋生は案内表示に従ってたどり着いた会議室の中に入ると、先客がすでに到着して いた。秋生と同じように着慣れないスーツを着ている人間も居る。
 視線が秋生に一斉に向いたがすぐに逸らされた。
 秋生も手持ち無沙汰に髪を整えながら並べられた椅子の一つに座った。

 待つこと10分。
 会議室に見知った資料を手に入ってきた。
 秘書課長の廖だった。

(いつも忙しそうにしているのにわざわざ廖さんが出てくるなんて)
 余程この体験就職という企画は重要なものなのか。
 軽い気持ちで参加した秋生は何だか申し訳ない気分になる。もっとも秋生の相手を務めるのに 信用ならない相手は選べないと半ば強引にビンセントが廖を推薦したと知ったらそんな思いは 抱かなかっただろう。

「この度はわが社の体験就職にご参加いただきありがとうございます。私は今回、皆さんのコーディ ネーターを勤める”廖”と言います。これから皆さんにはわが社にあるそれぞれの課を見学して頂き 興味を持った部署に今日を入れて1週間そこで働いてもらいます。ですがその前に各人自己紹介を してもらいましょう」
 誰に対しても丁寧な口調を崩さない廖は左端に角刈の男性を促した。

「香港大学、経済学部に在籍している、アレックス・李です。東海公司の実際の現場を体験できるなんて滅多に 無いことで参加させてもらいました」
 次に立ち上がったのは顔立ちの整った映画俳優でもいけるような美青年だ。
「ダニエル・呂、です。中文大学、法学部に在籍しています。東海公司は香港でも有数の企業であり そこで実際の現場を見ることは自分にとってプラスであると思い参加しました」
 爽やかな笑顔を振りまきながら着席する。
 次に立ち上がったのは女性だった。黒のパンツスーツ姿で艶やかな黒髪をアップにしている。
 かなりの美人だ。
「クリスティー・陳です。香港大学に在籍しています。東海公司社長の青氏の経営手腕は素晴らしい ものがあり、じかに接し少しでもその手法を学べればと参加しました」
 ・・と、彼女が着席した後は秋生の番だ。
「工藤秋生です。香港大学の留学生です。卒業した後はこちらへ就職したいと思っていたんですが なかなかこちらの事情もよくわからなくて、東海公司で体験就職をしていると聞いて何かの参考に なればと思って参加しました」
 以上、秋生を含めて4人が体験就職に参加する学生たちだった。
 
「それでは一通りの課を案内しましょう」
 廖に促されて秋生たちは会議室を出た。


 東海公司は様々な方面で活動しているため大小あわせるとかなりの数の部(課)がある。
 その中でも総務部、第一~第三営業部、企画開発部、海外事業部、商品開発課、秘書課、広報課の 主要な九つの課に廖は4人を案内した。

 秋生は悩む。
 どこの部署も東海公司だけあって皆忙しく、けれど生き生きと働いていて”できる男(女)!”という 雰囲気をかもし出している。残念ながらのんびりやの秋生にはちょっとついていけそうもない 雰囲気だった。

(困ったな・・・途中棄権、てわけにはいかないよな)
 ビンセントに言えば全く問題ないだろうが、困るのは廖だ。いつも黄龍がらみで苦労をかけている と常々申し訳なく思っている相手にこれ以上迷惑をかけるわけにはいかない。

(どこにしようかなぁ・・・)

 第一営業部なんてとんでもない。企画開発部も面白そうだが、香港に居たいがためにこちらで 就職しようというのにどこかに飛ばされたら大変だ・・・いや、体験就職でそこまでは無いだろうが。
 悩む秋生が視線をあげると、ふと廖と目があった。
 静かで知性を感じさせるその目は・・・しかし、秋生に何かを訴えているようだった。

(・・・?やっぱり迷惑だったのかなぁ?早く帰ってくれとか?それにしては・・・)
「ミスター・工藤」
「は、はい!?」
「どこにするか決めかねてらっしゃるようですね」
「あ・・・はい」
 廖に言われて秋生は素直に頷く。
「もし良ければ秘書課に来ませんか?」
「はぁ!?」
 秋生は驚きに目を丸くした。まさか秘書課に誘われようとは・・・。
「他の課のように華々しい表舞台には立てませんが、やりがいだけは保障できます」
「は、はぁ・・」
 実のところ、秋生は秘書課だけはやめておこうと思っていたのだ。いつも自分のことで迷惑を かけている(秋生だって反省するのだ)秘書課にこれ以上の迷惑をかけたら悪いだろう、と。
 だが、秋生は黄龍の転生体とはいえ、典型的な日本人でもあった。
 誘われると断れない・・・断りにくい。別に”嫌だ”というわけではないのだから。


 かくして秋生はなし崩し的に秘書課へと体験就職が決定したのだった。




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