日出る国にて 1
いつものごとく、騒動は秋生の一言から始まった。
「ビンセント、明日からちょっと日本に帰って来るよ」
あまりにもかる~く言われ、ビンセントは持っていたグラスを取り落としかけた。
ちなみにビンセントと秋生は昼食をとるためにペニンシュラに来ている。
「・・・・・・今、何と?」
人間では無いビンセントに老化現象も無いだろうが、秋生に聞き直す。
「だから、明日から日本に帰ってくるから」
「ミスター工藤。常々申し上げておりますが、あなたは黄龍のうんぬん、かんぬん、であって
そのように突然に香港を離れるなどと・・・」
玲瓏と流れ出るビンセントの小言を秋生は右から左へと聞き流す。
きっとそんなことができるのは世界広しといえども秋生だけだろう。
「でももう飛行機のチケット取っちゃったし。大丈夫だよ、一週間くらいで戻ってくるから」
「ミスター工藤、失礼ながらあなたの”大丈夫”ほどあてにならないものはありません」
「そんなことは・・・・」
「無いと言い切れますか?」
問われて秋生は言葉につまった。
さんざんビンセントたちに迷惑をかけてきたという自覚は・・・残念ながらある。
秋生は食後のデザート、各種盛り合わせの一つ、黒ゴマアイスを口に含んだ。
さっぱりした甘みが絶品。
「・・・でも、日本は20年以上住んでた場所だし、治安も悪くなってきたといってもよその国に
比べれば数段マシだろうし。第一、僕もう父さんに帰るって連絡いれたから」
それでは事後承諾に等しいでは無いか。
秋生も馬鹿では無い・・・鈍くはあるが。
日本に帰るとビンセントに言えば当然反対するだろうとうことは目に見えている。早くに
言ってしまえばあれこれと手段を講じて阻止される可能性もなきにしもあらず。
ならばぎりぎりまで隠して、ダメだとは言いにくい理由を作ってしまえばいい。
この場にセシリアが居たならば『秋生も成長したわね』と感激してくれたかもしれない。
「では、どうしてもお帰りになるというのですね?」
「うん。でもほんの一週間だから。日本のお土産楽しみにしててよ」
「・・・・仕方ありませんね」
笑う秋生にビンセントはしぶしぶと頷く。
珍しくもそれ以上に帰国のことは言われず良かった、と安心した秋生だったが。
ビンセントはやはりビンセントだった。
翌日、秋生はそう思い知ることになる。
「ミスター工藤、空港までお送りしましょう」
「え、そう?ありがとう。お願いするよ」
在り難い申し出に準備した荷物をロールスロイスのトランクに積むと、空港を目指す。
目がまわりそうに忙しいビンセントに送らせるというのは少々心苦しいがどうせ断っても諦め
るわけが無いので好きにさせておく。
「ところでミスター工藤。今回の日本へのご旅行は何が目的なんですか?」
「え、いやそんな目的っていうほど大げさなものは無いけど・・・もう随分向こうの友人とかにも
顔をみせていないし」
「そうですか」
秋生の言葉を信じたのかそうでないのか、ビンセントは素直に頷く。
それにしても、と秋生は思う。
いつもなら護衛の一人でもとセシリアあたりを同行させると言い張るのに秋生一人で日本に
帰ることを許すなんて珍しい。
(僕もちょっとは信用してもらえるようになったのかなぁ・・・)
そんなことはまず無いだろうが秋生はやはり今一歩のところで詰めが甘いのだった。
空港のロビーまで、荷物を持ってついてきてくれたビンセントと搭乗手続きを終えた秋生は
まだ時間があるからと喫茶店に腰をおろした。
「一応一週間の予定なんだけど、もしかしたら2,3日ずれるかもしれない。それ以上に遅く
なるようだったら連絡いれるね」
心配性のビンセントに取りあえず先手を打った秋生。
「その必要はありません」
「え」
だがそう返されて秋生は素で驚いた。
「こちらに連絡を入れていただいても、おそらく繋がらないでしょうから」
「どうして?ビンセント居ないの?」
「ええ、私も少々出張が入りまして」
「あ、そうなんだ・・・」
(なるほど。なるほど・・それでビンセントがうるさく言わなかったのか。何てグッドタイミング。
神様は僕を見放してはいなかった!)
今さら神様も無いだろうが(自分が黄龍だということを完全に忘れている)秋生はこんな
偶然もあるものなのだ、と一人喜んだ。
自然に浮かんでくる笑みをオレンジジュースで誤魔化して、秋生はビンセントに尋ねた。
「仕事か、大変だね。気をつけて行ってきてよ。ところでどこに出張?」
「日本です」
秋生は笑顔のまま固まった。
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