さわやかな風が庵を吹き抜けた。

「おや、これは珍しいお客様ですね」
 しわがれた・・・けれど人を安心さえるような声の、この道灌の主に客は浅く頭を下げる。
「まぁまぁ、この老人のお相手はしにいらしていただくとはご危篤な。お茶でも出しますから
 お座りくださいませ。・・・・おや、茶よりはお話がよろしいと?よろしゅうございます。ですが
 まず喉を潤わされて・・・・いただきものの茉莉花茶ですが・・・」
 客は焼き物の湯のみに手をのばし、口へ運んだ。
「いい香りでございましょう?・・・では、早速ご所望の話をいたしましょう。・・・・そう、あれは
 もう十数年も前のことでございましたでしょうか・・・。我が寺院は檀家の功徳により
 このあたりでは大層立派な寺でございます。そして、その寺院へ僧の最高の地位に
 あられる三蔵様がご着任なされたのは・・・・」

 老人はゆっくりと言葉を紡いでいった。




































 最高僧であられる玄奘三蔵さまは、既存の慣習には縛られない自由なお方でした。
 酒は飲む、煙草は吸う、気に入らなければ発砲するという何とも闊達な、型破りな
 お方で、はじめのうち寺の者どもは本当にあれが噂に聞く三蔵法師なのかと大いに
 疑ったものでございました。
 けれど、三蔵様はその最高僧の名に恥じぬ働きをなされるお方でもありました。
 右も左もわからぬ着任したばかりの寺院で三蔵さまは責任者として扱われ、日々
 激しい政務をこなしておいででしたが、そのお働きは目を瞠るばかりのものがござい
 ました。いつしか、誰もが三蔵様に尊敬と崇拝の念を持つようになりました。
 
 そんな三蔵様がある日、外出された先から一人の幼児をお連れ帰りなさいました。
 それはもう、寺院は大騒ぎとなりました。
 何しろ、その幼児というのが吉凶の証と言われる金晴眼を持っていたからなのです。
 僧たちは三蔵さまにどうしたことかと問いただしました。
 けれど、三蔵さまはただ一言、『拾った』・・そう言われただけで幼児を連れて部屋へと
 お隠れなさいました。

 あのときの騒ぎときましたら・・・・思い出すだけで笑いが止まりません。
 会議という名目であの幼児をどうするべきか・・・と当事者である三蔵様不在のまま
 議論されました。
 結果は見えております。
 すでに寺院にとって三蔵様は無くてはならぬお方になり、そのご機嫌を損ねることは
 寺院の損害になる・・・とそんな言い訳をつけて幼児を寺院へ置くことに無理やり
 納得させたのです。

 幼児は・・・2,3日は知らぬ場所で大層静かに過ごしておりましたが、あの年頃の
 子供は遊ぶのが仕事でございます。
 すぐに寺院に慣れた子供は三蔵様がお相手を出来ない時間、寺院の色々な場所を
 探検し、本堂に忍び込んで供え物を手にして僧たちに追いかけられる・・・さすがに
 貴重な仏具を壊したときは三蔵様に叱られておりました。
 いつしか口さがない僧たちは、幼児の金色の目と過ぎる元気の良さに・・・
 『金色夜叉』と影で呼ぶようになっておりました。

 少々、お茶を飲ませていただきます。
 あなた様はおかわりはいかがでございますか?




 失礼いたしました。
 お話しを続けることにいたしましょう。

 
 幼児が育つ環境として、寺院は決して良い場所とは申せません。
 しかし、幼子はいつしか童子になり、少年になり・・・それはもう素直にお育ちに
 なっている様子でございました。
 
 おそらく年のころ13,4の頃のことでございます。
 私はその御子が寺院の広い庭の角でうずくまっているのを発見いたしました。
 丁度、三蔵様がご法会で留守になさっていたときでございます。
 もしや体調でも悪くしたのかと、近寄れば・・・・そこにはぐったりと・・・おそらくもう
 息は無かったでしょう・・・犬を抱きかかえた御子が涙を流しておりました。
 思えば御子が泣く姿を見たのはそれがはじめてのことだったのでは無かったでしょうか。
 御子は私の姿を見つけると腕の子犬を更に強く抱きしめ、さっと素早く後ろへ飛び
 すさりました。
 そして・・・

「来るなっ!!」

 そう、金色の瞳を輝かせて私を睨みつけたのです。
 いったい私は何がそれほど御子を怒らせてしまったのかと悩みました。
 確かに私は今まで御子と話をしたことはございませんでした。
 けれど、他の僧たちのように御子をやたらと意味なく忌み嫌っていたわけでもありません。
 私が頭を悩ましていたとき、御子はさらに言葉を続けました。

「また、おまえらこいつのこといじめるつもりだろっ!!」

 その御子の言葉を聞いたときの衝撃。
 私は生涯忘れはいたしません。
 不殺生、すべての生きるものに慈愛を注ぐべき僧たちが・・・その子犬を・・・また母の
 乳から離れてまもないだろう子犬をあのような目にあわせたというのです。

「・・・・すまないことを致しました」
 謝ってすむような問題では無いことはわかっていました。
 それでもすでに息をひきとっている子犬と御子に頭を下げずにはいられなかったのです。

「え・・・」
「本当に・・・何ということを・・・・」
 御子の敵意を剥き出しにしていた表情がとまどいを浮かべました。
「せめて丁重に弔ってやりましょう」
「??とむらう??」
「その子犬はもう・・・亡くなって・・・・死んでしまっています。せめて来世に幸せに
なるように大地へ還してやりましょう」
「大地へ・・・・?オレ、やり方わからない・・・」
「一緒に弔ってやりましょう」
 御子は真っ直ぐな視線を私に向け、小さく頷きました。

 そして、私と御子は寺院の庭の隅に小さな穴を掘り、そこへ子犬の体を埋めてやりました。
 小さな木の墓標には御子のたどたどしい手で「シロのはか」と書かれて・・・・
 私たちは手をあわせたのでございます。

「・・・おじいちゃん・・・ありがとう」
「私のほうこそ、ありがとう」
 その純粋さを失わずにおられたことを感謝いたしました。
 誰がこの御子を金色夜叉などと申したのでございましょうか。
 これほど誰よりも優しく痛みを知っている御子を・・・。




 その夜。
 私の庵に訪ね人がございました。
 このような時間に誰が・・と不思議に思いつつ外からかかる声に扉を開けると
 そこには、本日の午後お帰りになった、しかつめらしい顔をされた三蔵様が立って
 いらっしゃったのです。

「深夜に悪いな」
 他の者にはわからなかったでしょうが、三蔵さまは本当にそう思っておいでの様子でした。
「外は寒うございましょう、中へ」
「いや、いい。・・・・礼を言いに来ただけだからな」
「お礼・・・・?」
 そのようなものを三蔵様からいただく覚えは全くありませんでした。
「悟空が世話になった」
 それでようやく、私は三蔵様が昼間のことを仰られているのだと気づいたのです。
「いいえ、私のほうこそ・・・・まさかあのように無慈悲なことをする僧が居るとは思っても
 おりませず。御子にはつらい思いをさせてしまいました。改めてお詫び申し上げます」
「・・・・あなたが頭を下げられる必要は無い」
 罰せられるべきはその僧たちだと三蔵様の目が仰っておられました。

「三蔵さま、何卒ご自分で犯人をお探しなさいませんよう」
「なに?」
「すでにその者たちは私からきつい罰を与えておきました」
「・・・・・・・」
「今日のところは御子さまのお傍にいらしておあげになってください。御子さまはお強く
 素直にお育ちになったようですが・・・まだ子供であることには変わりありません。
 きっとお寂しい思いをしているはずです。それは三蔵様が何より知っておられるでしょう」
「・・・・・・。・・・邪魔をしたな」
「いいえ。遅くまでのお勤めご苦労さまでした」
 深く腰を折った私が頭をあげた時、三蔵様の姿はすでにございませんでした。



 その日から、私の元には時折御子が遊びにいらしてくださるようになりました。
 明るく輝かしい、御子の姿を見ることは私にとっても喜びでした。
 ああ・・・その机の上に載せてある鶴も御子が折ってくださったものです。
 三蔵様に教わったのだと嬉しそうに仰っておいででした。








 おや、夕暮れの鐘が鳴りはじめましたね。
 もうそんな時間ですか。
 老い先短い、老人の戯言にお付き合いいただきありがとうございました。
 ああ、そのようにお礼など。
 またお話を聞きたいと・・・?
 それはありがとうございます。
 では、またお暇なときにでもお訪ね下さい、お待ち申しております。





























「大僧正さまっ!」
「おや、これは騒々しい」
 にこやかな顔を崩さずに大僧正と呼ばれた目の前の老人は客へ辞すことへの詫びを
 言いながら席をゆっくりと立った。
「では、お勤めに行って参りましょうか・・・」
 老人は三蔵様がいらっしゃらなくなって仕事が多くなり困ったものです、と愚痴を笑顔で
 言いながら道灌を後にした。



 庵の扉から、さわやかな風が吹き抜けた。








































■ あとがき ■
こんな風に伝聞調で書くのは・・・初めて、ですかねぇ・・??
ほとんど三蔵さまは出番無しでしたが(笑)
これでも御華門は三&空のつもり(おいっ)
何だかこれでもう1本くらい話が書けそうですが・・・まぁ、それは
御華門が覚えていたら・・・ということで(笑)
・・・大僧正さまはひそかなお気に入りです・・(苦笑)




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