(番外編)
挿話1 初 恋
はじめてその存在に出会ったのは14歳の夏だった。 |
みーん、みーんと煩く蝉が鳴き、じりじりと太陽が照りつける。 じっとしていても自然に汗が浮かび、地面からは熱せられた空気がたちのぼる。 それでもニュースでは今年は冷夏だと報じていた。 中学3年の夏休み。 高校受験があるという理由で大して身になるでもない学校の補修にうんざりしていた焔は、 ”一日ぐらい構わないだろう”と自分を納得させて2つ先の駅にある繁華街をぶらりと歩いて いた。 昼間ということで酔漢の姿も客引きの姿も無かったが、それでも雑多な人々が行き交う 繁華街を焔は眉をしかめて、どこともなくただ歩く。 だが中学生にしては背も高く、幼さの抜けた彫りの深い顔立ちは周囲に埋もれることなくその 存在を際立たせていた。 そのせいか、通り過ぎる間際にちらちらと注がれる視線は多く、中には引き返して声を掛けて くる者までいた。 焔はそれらの視線を黙殺し、声をかけるものには金と青の双眸に身も凍るような鋭い光を 浮かべて刺し貫く。そしてまた、ただまっすぐに歩いていく。 どこまで歩き続けるのか・・・・・・・。 それは焔にもわからなかった。 ただ・・・・この胸にわだかまる思いが何なのか・・・・・それがはっきりするまでは。 『どうしたんだ、焔?何か今日は変だぞ?』 1時間目の補修が終わったところで同じクラスの是音が問い掛けてきた。 『・・・・別に普通だが・・・』 『いいえ、今日は授業にも集中していないようですし・・・・外を5分に一回は眺めてましたよ」 『・・・・・・・・・』 紫鴛の冷静な観察に焔は反論できない。 『何か悩みごとがあるなら言えよ』 見かけによらず世話焼きな是音が焔の肩に手を置きながら言った。 『いや・・・・・』 その言葉に焔は首をふり、是音の手を振り切るように立ち上がった。 『焔?』 廊下へと歩いていく焔の背に紫鴛の声が追いかける。 『・・・・・・・さぼる』 それだけ言うと焔はさっさと学校を後にした。 (悩みごと・・・・・) 焔は是音に問い掛けられた言葉を頭の中で繰り返した。 そして、打ち消す。 この胸にわだかまるのは”悩み事”などではない。 それよりももっと重く・・・・・・・痛むものだ。 ふと、通りがかった公園で足を止めると焔は沈思するように目を閉じた。 思い返すのは今日の朝。 目覚めた焔はバタバタと慌しい家の様子に何があったのかと疑問に思いつつ、朝食の 席へとついた。 いつもならば焔が席に着いた途端にはかったかのようなタイミングで出てくる御膳が出て こない。 どうしたものか・・・と思い始めた焔のもとに、バタバタとエプロンで手をふきながら家政婦の 紗江がやって来た。 『まぁ、焔ぼっちゃま!遅くなってすみませんねぇ』 もう、急なことで・・・と紗江は最近皺の増えた顔で、それでも嬉しげに笑っていた。 『何があったんだ?』 『予定日より少し早いんですが、奥さまが無事に出産されたんですよ』 『出産・・・・』 『はい』 その時、焔の胸をよぎったのは「喜び」では無かった。 「そう・・・喜びでは無かった・・・・・」 紗江のいう”奥さま”は焔の叔母にあたる。 焔の両親は、中学1年の春に事故で亡くなった・・・・・・飛行機墜落という何万分の1という 不幸な確立にあたり・・・・・・。 遺体の無い葬儀を出したのはわずか2年前のことだ。 そして、まだ未成年だった焔を引き取ったのが父の妹・・・・叔母夫婦だった。 叔母夫婦にはまだ一人も子供がなく、養子にと請われた。 だが、焔は自分の姓が変わるのをよしとせず、成人するまでの保証人になってもらうに とどまった。 それでも叔母夫婦は、『焔くん、ここをもう一つの自分の家だと思ってくれて構わないからね』 『ええ、遠慮なんかしないでね。私たち焔くんが来てくれてとても嬉しいのだから』と優しい笑顔 で言ってくれた。 実際、叔母夫婦の焔に対する愛情は実の子にもこれほどとは・・・と思えないほどだった。 溺愛、ではない。 叱るところでは叱り、誉めるところでは誉める。 そのうち焔は本当に自分が、叔母夫婦の子供であるかのように思えてきた。 両親を失った傷はすぐに癒えるものではない、それでも焔は叔母夫婦に両親に寄せるような 愛情を感じはじめていた。 そのころ、だった。 叔母に本当の子供が出来たのは。 「・・・・本当の・・・・・・」 それを知った時、焔の胸に去来した・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・痛み。 何故、痛いのか? どこが痛むのか? そのわけは? わからない。 『焔くん、妹か弟かわからないけど可愛がってあげてね』 『・・・・・・・・・はい』 叔母の言葉にその痛みを押し殺して平気な顔を装い頷いた。 だが、痛みは鋭さを増し、焔を蝕み続ける。 「・・・・・・何なんだ・・・・・この痛みは・・・・・っ」 胸に当てた手を握りしめる。 その時。 ゴォォォォ・・・と空から音がし、焔が何気なくふりあおいだ。 そこには。 焔の両親の命を奪った・・・・・・・・・・・・・・飛行機が飛んでいた。 (ああ・・・・・・・・そうだ) この痛みは父と母を無くしたときの痛みに似ている。 何か、例えようもなく大切なものを失うときの痛みに・・・・・・・・・・。 では、今。 自分は何を失おうとしているのか・・・・・・。 叔母が妊娠したとわかった夜。 叔父は叔母のお腹におそるおそる手を触れて、それは幸せそうに笑った。 『僕たちの子だね』 『ええ、私たちの子供よ』 ・・・・・・・・・・・・では、自分(焔)は・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・? ズキッ。 「・・・・・っ」 自覚された痛みはますます強くなる。 「・・・・っそう、か・・・・・」 自分は今さらながらに思い知ったのだ。 所詮、自分はどこまでいっても叔母夫婦の子供ではない。 どんなに暖かい家でも、自分だけは『うち』ではない。 『ただ一人』だということに・・・・・・・・・。 そして一週間後。 叔母が我が子をつれて家に帰ってくる日。 痛みを自覚した焔はすでに何も望んではいなかった。 ただ普段どおりに振る舞い、日々を送る。 是音や紫鴛あたりは何かおかしいと思っているようだったが焔が問い掛けるのを許さな かった。 『何も望まなければ、何も失わない』 焔の口元には諦めとも、皮肉とも言われる笑みが浮かんだ。 (だから、オレは何も感じることなく”普通”に叔母を迎えられる・・・・) そして、叔母夫婦の声が聞こえた。 「ただいま、焔くん。風邪なんかひかなかった?」 叔母が出迎えた焔に向かって開口一番そうたずねてきた。 焔はただそれに首をふると、叔母の腕にあるおくるみに視線を注いだ。 真っ白なおくるみから赤ん坊の小さな手が出ていた。 「ふふふ、はじめましてね。焔くん、この子の名前はね『悟空』というのよ」 「悟空・・・・」 「ほら、悟空。お兄ちゃんにご挨拶して」 はい、と叔母が焔のほうへおくるみを向けた。 そこには焔が予想した以上に小さな生き物がいた。 まだ、目が開いていないのか・・・・・・・・小さな唇からは舌がのぞいていた。 「焔くん、名前を呼んであげて」 その生き物を見て固まってしまった焔に叔母が優しく微笑み促した。 ずきんっと再び痛む胸。 ・・・・・・俺に呼べるのか・・・・・・・その名前が・・・・・・・・・。 『何も望まなければ、何も失わない』 頭によぎる言葉。 そう、ここで躊躇することは、まだ”何か”を己が望んでいるということ。 平気で、呼んで・・・・・そして・・・・・・・・・・・。 それでもその名を呼ぶのは・・・・・・・・・・・しばしの時がかかった。 「焔くん?」 再び叔母が呼びかける。 赤ん坊の手が・・・・・・・焔のほうへ伸びてきた。 その手を注視しながら・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・名を口にした。 「・・・・・・悟空」 そして奇跡は起こった。 閉じられていた瞳がゆっくりと開いていく。 そこに現れたのは一点の曇りもない・・・・・・・・・・・・・金色の瞳。 「・・・・・・っ!」 焔はその瞳に言葉を無くした。 ―――------同じだったから。 焔の右目と”同じ”色だったから。 「まぁっ!今まで自分では一度も開かなかったのに・・・」 叔母が驚きの声をあげた。 しかし悟空はその母親の驚きも知らぬげに焔を見つめ続ける。 赤ん坊は生まれてしばらくは目を開けていても何も見えていないに等しいという。 しかし、焔を見つめる悟空の眼差しはどこまでもまっすぐで美しかった。 その金色の瞳に映る自分・・・・・。 そして、悟空が・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・笑った。 いや、そう見えただけかもしれない。 でも焔には確かに悟空が笑ったように思えたのだ。 その笑みとともに――------―------―------------―――聞こえてきた。 『一人じゃないよ、オレがいる』 『何も望まなければ、何も失わない』 確かにそのとおりだ。 けれど。 『何も望まなければ、何も得ることはできない』 それもまた、対極にある真実なのだ。 どちらを取るかは己次第。 (俺は・・・・・・望んでもいいのだろうか?) その焔の心の声に答えるように悟空の小さな手が焔の顔に触れた。 ・・・・・・・まるで許しを与えるように。 「・・・・・叔母さん、抱かせてもらってもいいですか?」 「ええ、まだ首がすわってないから・・・こうして、ね」 叔母に抱き方を教えてもらいながら、恐る恐る悟空を腕に抱いた。 腕に伝わる心地よい重みとぬくもり。 痛んでいた胸のうずきが消えた。 それなのに・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・涙が出そうになった。 (俺は一人じゃない・・・・・・・そうだよな、悟空?) そんな焔の呼びかけに答えるように悟空が身をすりよせてきた。 「あらあら、悟空ったらもうお兄ちゃん子なのね・・・・お母さん寂しいわ」 叔母が自分と悟空の様子を見ながら笑う。 後ろにいた叔父も安心したように笑みを浮かべた。 「もう少し抱いていてもいいですか?」 「ええ、いいわよ!・・・・あ、でももうすぐミルクの時間だから、それまでね。悟空ったら食事の 時間はきっちりわかってるみたいで・・・・すごい食欲なのよ。しかも少しでも遅れようものなら 大泣きして大変なんだから」 今、ぐずりもせずじっとしている悟空がそれほど泣くのだろうか・・・と少々焔は疑わしげに 思いながらも(・・・・すぐに本当のことだとわかるのだが)、焔は腕の中の悟空の存在を確かめ るようにわずかに力をこめた。 「・・・悟空」 俺の悟空。 ・・・・・・望んでもいいのだろうか、お前を・・・・・・・・・一人ではないことを。 悟空は答えず、ただ金色の瞳で焔を見つめていた。 思えば、それが俺の初恋。 「一人ではない」と知った瞬間だった。 俺は感謝せずには居られない。 この世に俺を生んでくれた両親に。 我が子とわけへだてなく愛情を注いでくれた叔母夫婦に。 そして。 悟空に出会わせてくれた全てのものに。 |
† あとがき † サブタイトルを見て甘々だと思いました? どこまでも予想を裏切る御華門です(笑) いえ、本当は当初、御華門もそんな感じにしようと思ったんですが 設定上、焔の両親に生きてもらってたら困るなぁ・・と お亡くなりになっていただいたら、さぁ大変!!(笑) まるで、本編とは別人のように焔さまシリアスに走る走る(爆笑) なりは立派でもまだ中学生。 焔さまもまだ青かったとうことで(笑) 疾風怒濤の時間経過ではたぶん、これが一番最初の 出来事のお話になると思います。 またの名(タイトル)を「悟空登場!」(笑) 挿話1は予想外に早く書き終わりましたが挿話2はしばらく 後になるかもしれません・・・・(-_-;) ま、予定は未定、決定にあらずということで・・・(←逃げてる/笑) さて、いかがでしたでしょうか?(←聞くの遅い/爆) 少しでも楽しんでいただけたら幸いです♪ ご拝読ありがとうございました(^◇^) |