「・・・・・光秀、様?」
 背後からかかった声に振り向くと、なつかしい過去が立っていた。



















「・・・藤吉郎・・・いや、木下殿か?」

 そこに居たのはかつて、共に主君の代わりに将棋を打ったことのある相手。
 しかも、それが少しも変わらずにそこに居るのだ。
 あれから十数年経っているというのに・・・記憶の中の顔と藤吉郎は少しも変わる
 ところが無かった。

「ご無沙汰しております、光秀様」
 にこにこと笑顔で歩み寄ってくる。
 男というには小柄で己を見上げてくる大きな瞳が印象的だった。
「ああ・・・本当に久しぶりだ」
「光秀様がこちらにいらっしゃると信長様に聞いていたので、お会いできるのを楽しみに
 していたんです」
「俺も・・・噂は聞いていた。御所警備役を任じられたそうだな」
 墨俣城の建設から、竹中半兵衛の取り込み・・・目覚しい活躍の数々で藤吉郎は
 織田軍の中でも目を見張るほどの出世を遂げていた。
 しかも織田信長の苛烈な性格を知っていながらも、時には敵の武将の命乞いをし、
 叶わなければ己の身さえ盾にして、信念を通す・・・と情に厚く信に値する人柄として
 よく知られていた。
「はい、色々とご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いいたします。何しろ元が
 農家の出なんで失礼なこととかしてしまうと思うんです・・・だから色々と教えて下さい」
 もう光秀と同じかそれ以上の立場になっても、そんな素振りも見せずぺこりと素直に
 頭を下げる。
「いや、こちらこそ・・・よろしく頼む」
 これが・・・木下藤吉郎。
 あの信長の・・・・・・・掌中の珠。

 そのとき、強い視線を感じて藤吉郎の後ろに目をやると・・・藤吉郎と瓜二つの顔の
 人物が立っていた。
 顔に申し訳程度に生えている髭が違いといえば違いか。
 ・・・いや、雰囲気がまるで違うな。
 藤吉郎が春の日差しだとするなら・・・あれは冬の凍てつく太陽。
 己を見定めるような視線が・・・強すぎて殺気さえ感じさせる。

 その視線に気づいたのか、藤吉郎もそちらを振り向いた。

「何やってんだよ、秀吉!お前も光秀様にご挨拶しろよ」
 先ほどまでの殺気は消えうせ、不承不承と言った顔でぺこり、と頭を下げる。
「すみません、光秀様・・・あいつちょっと気難しいところがあって・・・でも本当は俺より
 有能ですから」
 この戦国の世に、自分よりあいつのほうが使えるぞ、と進言する人間も珍しい。
 ふと、おかしくなった。
「・・・光秀様?」
 藤吉郎が不思議そうな顔で首を傾げている。
「本当になつかしい・・・・今夜は空いて無いか?」
「えーと・・。はい、空いてます」
「では、再会を祝って杯をかわそう」
「はい!」
 至極嬉しそうに頷いた藤吉郎に、己も嬉しくなった。



















 夜半。
 月を肴に二人だけの宴がはじまった。

「光秀様、まずは一献どうぞ」
「ああ、すまぬ」
 猪口で受けた酒は無色透明の極上のもので、実は光秀秘蔵のものだ。
「木下殿も」
「はい、いただきます」
 小さな手で抱え持った猪口は光秀と同じはずなのに恐ろしいほどに大きく見える。
 その猪口を傾け、口に含んだ途端に藤吉郎の顔は見事に真っ赤に変わった。
「・・・もしかして、弱いのか?」
「いえ!・・その・・・・はい」
 何やら呂律も怪しい。
「・・・すまない、知らなかったのだ」
 飲めない酒を無理強いするほど自分も酒が好きなわけではない。
「あ、いえ・・・気になさらないで下さい!俺・・いえ、私も光秀様がせっかくお誘い
 下さったのですから・・・飲みたかったんです。・・・・道三様が亡くなって・・・ずっと
 偲ぶことも出来ないでおりましたから・・・」
「・・・・ああ・・・俺もだな」
 
 あの・・・道三様が・・・お館様が義龍の手にかかった時、己も共に逝こうと思ったのだ。
 けれど・・・それを許してくれる人ではなかった。


 『馬鹿者が!お前みたいなぺーぺーがワシの後を追うなど百年早いわ!
  出直してこいっ!!』



「・・・信長様も表には出されませんでしたが・・あのとき、かなり気落ちしてたんです。
 だから・・・俺も何だか触れられなくて・・・」
「その信長公も今は押しも押されぬ戦国大名だ。籐吉朗・・いや、木下殿は信長公の
 真髄を早くからわかっていたのだな」
「籐吉朗、で結構ですよ。光秀様。その・・・自分でもあまり呼ばれ慣れてないんで。
 信長様が非凡の人だというのは・・・お傍近くに控えることを許されているからわかった
 までで・・本当に信長様は突拍子も無いことをたくさんされましたけど・・そのどれもが
 先のことを見通した準備、みたいなものなんです。だけど凡人にはそんなことわからない。
 あたふたして、ああ、どうしよう・・・て思ってはっと気がつくんです。ああ、あれはこの時の
 ためのものだったんだ、て」
「なるほど・・・・。信長公は良い家臣が居て幸せだ」
「・・・・は?」
「これほどに家臣に信じてもらえる主君というのもそうはおるまい」
「・・・・・・・」
 籐吉朗の顔が酒のせいだけではなく朱に染まった。
「幸せ者だ」

 ひたすら前へ向かって進む信長。
 それは決して安易な道では無い、不安になることも多かったはず。
 それでも後ろを振り向けば、『信じています』と無償の信頼を映じた籐吉朗の
 眼差しが在り、その不安を消し去ってくれたに違いない。


「なぁ、籐吉・・・・・・!?」
 くてり、と籐吉朗の体が前のめりに倒れる。
 それを慌てて支えると、真っ赤に染まった頬をぺしぺしと叩いてみるが意識が
 戻る様子はない。
 おそらく・・今ので一気に酔いがまわったのだ。

「・・・・参ったな」
 武将たる者がこれほど無防備でいいものかと悩むところだが・・・そんなところが
 信長の寵を得ているのだろう。
 光秀とて、これほどに全てを預けられては・・・何もすることは出来ない。
 ・・・・・もとよりするつもりなど無いが。


 
 苦笑した光秀は、籐吉朗の体を抱き上げると・・・小者に命じて用意させた寝所まで
 運んでやった。
 

「ゆっくり休め。明日からはまた忙しい日々がはじまる」
 自分もまた。
 あの・・・信長にこき使われることだろう。

 ただ、今だけは。


 この静けさの中に佇んでいよう・・・・、彼と共に。



















 翌朝、目覚めた籐吉朗は二日酔いで真っ青になり(それだけも無かろうが)光秀に
 平謝りした結果、再び気分が悪くなってしまい、帰って来ない籐吉朗を、不機嫌な表情
 の秀吉が迎えに来るまで寝込むことになった。
 









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籐吉朗・・・朝帰りなんかしたら
殿に殺されます(笑)
よく考えてみると短編でミツヒヨて無いなぁということで
徒然なるままに書いてみました(笑)


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