*** 惑い ***





得られぬと思えばこそ、その思いは強くなる。




















「あれ、藤吉郎兄さんは?」
 ひょっこりと顔を出した小一郎が部屋を見渡し探す人物の居ないことに問い掛けた。
「いつものごとく、上様の呼び出しだ」
「また〜・・・まぁ、いいや。それじゃ秀吉兄さん・・・て何もそんな嫌な顔しなくても」
「お前が持ってくる用事はいつもろくなもんじゃねぇ」
「またそんなこと言って、面倒なことをいつも藤吉郎兄さんにまわしてばっかじゃ駄目だよ。はいこれ、目通して
 おいて下さい」
「・・・・・。・・・・・」
 どすっと音がするほどの冊子の束に秀吉は顔を引き攣らせた。












「ただいま〜・・・あれ、秀吉。何してんの?」
 ようやく信長に解放された藤吉郎が戻ってきたのは、真夜中と言ってもいい時刻で、家人はとっくに寝て
 しまっただろうと帰ってきたのだが。
 部屋に入ると、秀吉が起きていた。
「・・・・・仕事」
 ぼそりと呟いた秀吉の顔には隈があり、低い声は彼の機嫌がかなり悪いことを示していた。
「え?・・・・あ、それって」
「小一郎が俺にまわしてきやがった」
 秀吉の手元をのぞきこんだ、藤吉郎が苦笑を浮かべた。
「帰ってからでいいと思ってたんだけど、悪いね、秀吉」
「・・・・後はお前にまかす。疲れた」
 と言うとそのまま後ろにばたりと倒れる。
「あはは、ご苦労様。でもこんなところで寝ちゃ駄目だって。部屋に戻りなよ」
「・・・・・・・」
「秀吉・・・風邪ひくって」
「・・・・そんなヤワな作りじゃねぇ」
「もう・・」
 動く気配の無い秀吉に藤吉郎は小さく溜息をつくと、押し入れから布団を出してきて上から掛けてやった。
 そして藤吉郎は秀吉のやり残しの報告書に目を通しはじめる。
「・・・・何で帰ってきた」
 藤吉郎の冊子をめくる音を聞きながら、秀吉がぽつりと落とした。
「・・・何で帰ってきた、て・・・ここ俺の家だったと思うんだけど」
「・・・・・・・・」
 そんなことはわかっている。
 信長の呼び出しがあった日は、いつも藤吉郎は朝帰りになる。・・・何をしているのか問うほど阿呆ではないが。
 帰ってきた藤吉郎からは、いつも信長の移り香がする。
「・・・・秀吉」
「今日は・・・無い」
「へ?」
 今日はそれがしない。だからこそこんな時間でも藤吉郎が帰ってきたのだ。
「お前は・・・」
「うん?」

―――― ・・・寝る」

「おいっ・・・・もう、寝ぼけてんの」
 本当に秀吉は、とぶつぶつ言いながらも藤吉郎はずれた布団を直してやる。
 と、その腕が強く掴まれ、藤吉郎は秀吉の隣に引きずりこまれた。

「ひ、秀吉・・っ」
――――・・寝ろ・・・お前も」
「ちょっと・・・秀吉・・っ」
 抗議する藤吉郎に構わず、秀吉は腕をつかんだまま放さない。
「・・・本当に・・・服が皺になっちゃうじゃないか・・・」
 どこか諦め混じりに呟いた藤吉郎は、目を閉じた秀吉の顔をじっと見つめて・・・くすりと笑った。










―――― ・・・俺の家は、ここだけだから」










「・・・・・・。・・・・・・当たり前だ」








「あーっ、やっぱり狸寝入りだったな!」
「うるさい、寝ろ」
「むかつくーっ!!こうしてやるっ!」
 藤吉郎は秀吉の髪に手を突っ込み、思いっきりぐちゃぐちゃにしてやった。
「っ!てめぇ・・っ」
「わぁーっ!!」



 ――― パシーンッ!!



 襖が突然開け放たれ、じゃれあっていた二人は同時にそちらへ視線を向けた。



「・・・兄さんたち・・・・今何時だと思ってんの・・・?」
 弟の小一郎が、それはそれは据わりきった眼差しで二人を見下ろしていた。


「「・・・・・。」」

「早く寝てよ。明日も・・たっぷり仕事はあるんだから」

「「・・・・・。・・・・・」」
 それだけ言うと固まっている二人に構うことなく小一郎は去っていった。

「・・・・・。・・・寝るか」
「・・・・・。・・・・うん」

 二人は隠れるように一つの布団を頭から被るのだった。









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