+++ 欺瞞の影 挿話 +++
■ 初恋 ■
『は、初めまして』 少々気弱な笑みを浮べ、自分と大して身長の変わらないその人から 目を離すことが出来なかった |
その年の冬。毎年のように風邪をこじらせ体調を悪くした勝頼は、病気療養で湯治に来ていた。 亡き母親に似て病弱な己に辟易しつつも、12年来の付き合いともなれば諦観してくる。 一生付き合わなければならない体・・・果たして父と共に戦場に立つことが出来るのか、武田の人間として 恥じない武功を立てることができるのか、不安は山ほどに積もる。 傍付きの侍女たちはそんな勝頼の胸中も知らず、息抜きが出来て楽しそうだった。 更に。 勝頼に遅れること数日、父親である信玄も同じ湯治場に訪れたとあって、この場所は俄かに湯治場にあらざる ざわめきに包まれた。侍女たちはもちろんのこと、湯治場を管理している人間も失礼があってはならぬと あちらこちらに忙しそうに駆け回る。 湯治に来たはずなのに、余計に病状を悪化させそうな様相を呈してきており、信玄に挨拶だけして別の場所へ 移動しようと考えはじめた勝頼に、先に信玄から声がかかった。 しかも顔を見せろという、いつもならば人伝えに挨拶をかわすだけなのに珍しいことだった。 不審に思いつつも、久々に父親と顔を会わせることが出来るとあって喜びを胸に勝頼は奥の部屋へ足を向けた。 「失礼いたします。勝頼です」 「入れ」 静かではあるが響きのある声で入室を許され、勝頼は障子を引いた。 上座に座る父親のほうを見ると、誰かが横に座っている。 初めて見る人間だったが、勝頼は下座に座りとりあえず信玄に頭を下げた。 「父上にはご機嫌うるわしく」 「久方ぶりだな、勝頼。元気そうな姿が見られて嬉しいぞ」 「ありがとうございます」 湯治に来たわりに、元気そうで上機嫌な父親の声に勝頼は視線をあげた。 改めて、父親の隣に座る人物を視界に入れる。 小さな人。 第一印象は、それだった。 大柄な父親の横に居るせいで余計にそう見えたのだろうが。 「そう、今日はお前にこれのことを教えておこうと思ってな」 「・・・その方、ですか?」 「真田昌幸という。我が軍師だ」 軍師、という言葉に勝頼は目を見開いた。 その存在にではない。 確かに父親は人材を大切にする人間であるが、それでも自分と同列に座らせることは無い。 それがなされたことに対して、勝頼は驚いた。 「は、初めまして。勝頼様・・・真田昌幸と申します」 紹介された人物・・・真田昌幸は畳に額がつくほどに勝頼に対して頭を下げた。 「・・・・勝頼、と申します」 主君の息子、勝頼には昌幸に対してこんな丁寧な言葉遣いをする必要は無いのだが、父親の常に無い 態度に自然と、口調が改まっていた。 「しばらくこちらに滞在する。お前もゆっくりしていくが良い」 「はい」 勝頼は滞在を延期することになった。 騒々しかった湯治場は無駄な人員は必要無いと信玄が追い払ったため二日もしないうちに静けさを取り戻した。 勝頼が信玄と顔を会わせたのは、あの一度だけだったが、真田昌幸の姿は幾度か見かけた。 信玄が居る奥の部屋の前に広がる庭に、時々姿を見せて、ぼんやりと池のほとりに何をするでもなく、立ち 尽くしていた。 12の勝頼とあまり変わらない小さな後ろ姿。顔も武田の武将にしては猛々しさがなく、どこか頼りなげで さえある。細身であまり筋肉もついてないようで、とても戦場に立てるとは思えない。 何故、こんなろくに戦えもしない人間を父親は傍に置く気になったのか。 不思議に思って見ていた勝頼に気づいたのか、真田昌幸が不意に顔を向けた。 「・・・勝頼、様?」 「あ・・・・その」 咄嗟に何と言っていいのか、わからず勝頼は腰掛けていた縁から慌てて立ちあがった。 その途端にふっと視界が真っ暗になる。 (・・・・マズイッ) 体中の体温が下がり、ずしりと重みがかかる・・・・・いつもの眩暈。 耐えられず、勝頼はその場にしゃがみこんだ。 ――――冷たい手が、温かさに包まれる。 「・・・大丈夫ですか?」 温かさに包まれた指先から、強張っていた体から徐々に力が抜けていく。 気遣うような優しい声に目を開ければ、心配そうな琥珀色の眼差しが目の前にあった。 「大丈・・・夫・・・です」 不甲斐ないところを、みっともない・・・。 「まだお顔色が悪いです、・・・無理なさらないで下さい」 そっと促されて、縁に腰掛けなおす。 ふぅ、と息を吐いて漸く勝頼は落ち着いた。 「・・・すみません、ご迷惑をおかけしました」 「いいえ。・・・もう大丈夫ですか?」 「はい、落ち着きました」 ありがとうございます、と礼を言った勝頼に昌幸は困惑した表情を浮かべている。 「・・・・・?」 「あ、あの・・・手を・・・」 「手・・・・・・?・・・・っ!?」 見れば、自分の手が昌幸の手をしっかりと掴んでいた。 「す、すみませんっ!」 「い、いえ・・・貧血は手足を温めるのがいいと聞いておりましたので、他に思いつくものがなく・・・」 大したことが出来なくて、と昌幸は恐縮している。 なるほど、あの温かさは・・・この人の手だったのか・・・・・ 「あの・・勝頼様?」 じっと手を見つめている勝頼を不思議に思ったのか、昌幸が首を傾げる。 小動物を思わせる動きは、年上の人間とは思えぬほど可愛らしい。 ・・・・と、そこで勝頼は初めてあることに思いついた。 父親には女性の愛人も多数居るが、小姓も幾人か抱えていることに。 もしかすると目の前のこの人は・・・父親の愛人であるのだろうか。それならば、この湯治場までわざわざ 供にして連れてきたのが納得できる。 だが、これまで何人かそういう小姓を勝頼は見たことがあるが、どの人間も己の容貌を鼻にかけ、信玄に 愛されていることを笠に着て尊大に振舞っていた。さすがに勝頼にまでそんな態度を取ることは無かったが 父親に似ず繊弱な体質にどこか見下したような雰囲気は纏っていた。 勝頼は馬鹿では無い。口にされずともそのくらいは察することは出来る。だてに武田の人間として生まれてきた わけでは無いのだ。 「・・・お部屋までお送りします、まだご気分がよろしくないのでしょう」 黙ったままの勝頼を誤解したらしい昌幸は、勝頼の背中にそっと手を添え立ち上がらせると気遣う視線を よこしながら、ゆっくりと歩き始める。 やはり、身長はさほど勝頼と違わない。僅かながら昌幸のほうが高いようだが・・・おそらくすぐに追い越して しまうだろう。腕も細い。 「・・・昌幸、殿?」 「はい。・・・あの、呼び捨てて頂いて構いませんよ。それにそんな丁寧に話していただけるほど、私は身分が 高い者じゃありませんから」 「そのようなわけにはいきません」 そう、他の愛人とは違う。父親は今まで勝頼にわざわざ相手を顔見せさせるようなことはしなかった。 無駄なことはしない父親である。勝頼に『軍師』と言ってわざわざ顔見せさせたのは、それなりの理由がある はず・・・・それが何なのか、勝頼にはすぐに思いつくことは出来なかったが。 ちらり、と視線を向ければ困ったようにその人は眉を寄せていた。 部屋に戻った勝頼を迎えるべきはずの侍女の姿はどこにもなく(おそらくしばらく勝頼は戻らないと思い、息抜き に出かけたのだろう)、昌幸は何を思ったのか、勝頼を部屋に置いて姿を消すと、やがて布団一式を携えて 戻ってきた・・・・そして、唖然とする勝頼の前でてきぱきと敷いていく。止める暇もあらばこそ。 「・・・・・・」 「まだお顔色が悪いですから、横になられたほうがいいです・・・・て、あ。もしかして、これ勝頼様のお布団では ありませんでしたか!?」 おたおたと慌てる。細かい仕草が栗鼠に似ている。 「あ・・・・私の、ですが・・・」 「良かった・・・たぶんこれだけ別に置いてあったのでそうだと思ったんですけど。・・・どうされました?」 どうしたも何も。 今まで勝頼の傍には居たことも無いような規格外な人で・・・どう対応していいかわからない。 「大丈夫、とか仰らないで下さいね?無理をなさっては湯治にいらしている意味が無いですから」 ささ、準備は万端!・・・とそこまで促されると勝頼としてはもう流されるしかない。 着ていた上着を渡すと、布団の上に身を横たえた。 「・・・では、これ以上居てはお邪魔ですから、私は失礼します」 温かさが、離れていく。 「あ・・・・」 勝頼の手は、反射的に昌幸の袴の裾を握り締めていた。 「・・・・・はい?」 「あ、いや・・・・」 (・・・わからない。何で、私は・・・こんなことを・・・・・・) ただ、この温もりが離れていくのが嫌だった。 「・・・・ご病気の時は気弱になるものです、私で良ければお傍におりますから・・・安心してお休み下さい」 「・・・あ・・・・うん」 枕元に腰を下ろした昌幸を見上げると、柔らかな微笑を浮かべていた。 春のように穏やかな。 無意識に伸びた勝頼の手が、温かさに包まれる。 ほっとする。 体の中の冷たい塊が溶け出して、全身に心地よいまどろみが訪れる。 (・・・・・・母上・・・・・・) 勝頼の瞼がゆっくりと閉じていった。 |
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自分でも不思議なほどにお気に入りな勝頼(笑)
本編終わってからUPしようと思っていたんですが
・・・先にUPしてしまいました・・・てへ。
しかし『初恋』というタイトルのわりに、勝頼さん、『マザコン』疑惑浮上(笑)
ひよは母上じゃありませんよ〜(笑)