そこはものすご〜く風光明媚な場所だった。 山の高台に建てられた館からは太陽の日差しを受けてきらきらと輝く海がのぞめ、すぐ目の下には 総檜造りの露天風呂が置かれている。 そして部屋の中は。 20畳はあろうかという和室に漆塗りの卓袱台が置かれ、その上には極上のお茶と菓子が供されている。 「・・・・・。・・・・・・」 藤吉郎はその卓袱台に備え付けられた椅子に座ってきょろきょろしていた。 「どうされました、藤吉郎様?」 その向かいに座っている半兵衛がお茶をとぽとぽと湯のみに注ぎながら尋ねた。 「・・・何か、すごく・・・落ち着かない・・・」 そう言う藤吉郎の格好は浴衣だ。 「大丈夫です」 何が・・・? 自信一杯に断言してくれた半兵衛に藤吉郎は困ったように笑った。 そう、ここは知る人ぞ知る尾張の高級旅館。 その敷居の高さはかつて、今川のさる殿様がお忍びで逗留に来たのを断ったほど、とか。 藤吉郎も城を持ったとはいえ、ちょっとした瓢箪から駒の下されもの。 まだまだその地位は低い。 そんな藤吉郎がどうしてこの高級旅館の、しかも一番いい部屋に居るのかというと。 「藤吉郎様も露天風呂に行かれてはどうですか?」 藤吉郎の世話は自分の役目とばかりに――それは彼の本来の役目とは大きく逸脱していると思われる のだが、誰も邪魔できないので黙認――傍に居る半兵衛が湯をすすめる。 そう、だいたい藤吉郎がここに居るのはこの半兵衛のせいともいえる。 先日開かれた正月の宴会の席、信長が言い出した野球拳に最後まで勝ち抜きいた半兵衛はあわや 素っ裸という藤吉郎の手を捕まえて『木下組』の休みをもぎ取ったのだ。 確かに。 『木下組』は藤吉郎以下、皆ずっと働きずめで休みという休みなど無いに等しかった。 だが、別に藤吉郎としてはそれに何の疑問も不満もなかったのだ。 藤吉郎にとってこの世で最も意味あることは、信長の傍で命令を聞き使われることなのだから。 というわけでふって沸いた(・・まさにそんな感じだ)この休みに藤吉郎は落ち着かずにいた。 そんな藤吉郎の気は知らず、ほとんどの者は久々の休みに思う存分羽を伸ばしているようだが・・・ 伸ばしすぎて回収できなくならなければいいんだけどなぁと、そんなことまで藤吉郎は心配している。 「・・半兵衛こそ俺のことはいいから、湯につかってきなよ」 「いえ。私は後で・・・」 と、藤吉郎の湯のみに注いだ出がらしを自分の湯のみに注ぎ落ち着いている。 てっきり言い出した半兵衛が休みたかったのかと思っていた藤吉郎には不思議で仕方ない。 「俺のことは別に気にしなくていいから」 「そうではありません。私は・・・っ」 「え・・・??」 言葉なかばにすっと立ちあがった半兵衛は五右衛門もびっくりな素早さで窓に近寄り、視線をめぐらせると 緊張しているのか厳しい表情のまま、『ここを動かれませんように』と藤吉郎に告げ部屋を出て行って しまった。 ・・・いったい何なのか。 「・・・・わけ、わかなんいし・・・・」 途方に暮れた。 そのころの半兵衛といえば。 旅館の入り口にて、走ってきた小六の部下に報告を受けていた。 「どうだ?」 「も、申し訳ありませんっ!第一ポイント突破されましたぁっっ・・・・」 と言ったままがくっと膝を折り、意識を失った。 何だ、ここは。戦場か? 「やはり・・・突破されたか・・・しかし、まだまだ」 半兵衛は不適に笑うとピーッと口笛を吹いた。 途端、館の後ろから狼煙があがる。 「・・・負けませんよ」 秀麗な顔が殺気立つと妙な凄みがあって怖いのだった。 「・・遅いなぁ、半兵衛」 さてそのころの藤吉郎はというと急に出て行った半兵衛を待つこと1時間。 半兵衛にここに居ろと言われたが、部屋に居るのも飽きてきた。 遊びに出て行った秀吉以下皆も誰一人帰ってこない。 何だか城に居るときよりも不自由に感じるなんて・・・・不公平じゃないか? 「・・・お風呂でも入ってこようかなぁ」 呟いた一言はすぐに実行された。 温泉はお湯だ。つまり熱い。当然だ。 で、今は冬でも一番寒い時期。 湯船からあがる白い湯煙がそれは盛大にもくもくと出ているのが、脱衣所からも見てとれた。 さすが高級旅館だけあって隙間風が入ってくるなんてちゃちな作りはしていないが、外はさぞかし 寒いだろうと思わせる。 「・・・早く、入ろ」 腰に手ぬぐいを巻いた藤吉郎はガラガラッと露天風呂に通じる扉を開け、白い煙が視界を妨害する中 湯船へと突き進む。 カコーンッ! 「あ・・・」 下を見ていなかったので、転がっていた桶を蹴ってしまった。 誰だ、こんなところに投げておいたのは・・・と片付けようとした藤吉郎の向こうで・・・・ 「痛ぇ〜〜っ!!!」 悲鳴があがった。 しかもどこか聞き覚えのある・・・こんなところで聞いちゃいけないだろう、声が。 「い、今の声って・・・・・?」 「誰だっ!この俺に桶なんか投げやがったのはぁっ!!殺してやるっっ!!」 「うわぁっ!すみませんっすみませんっ!!わざとじゃないんですぅぅっっ!!!」 怒鳴られ条件反射で一生懸命土下座して謝る藤吉郎の先・・・徐々に湯煙が晴れていくその向こうには 「・・・・の、信長様!?」 驚く藤吉郎に信長はボカッと一殴りすると、はっはっはと上機嫌に笑い、こう言い放った。 「いい湯だな!」 「な・・・何やってんですかーーっ!!」 藤吉郎は叫んだ。 「まったく!城を抜け出されて何やってんですかっ!?」 「湯治だ」 問い詰める藤吉郎に信長は平然と答える。 「なっ!!!!・・・・・はぁ、もう・・・皆様心配してますよ・・・・」 「心配はいらん、と書置きはしてきた」 「信長さまがっ!?」 藤吉郎は素で驚く。 そうか、書置きできるようになったんだ・・成長したんだなぁ。 「・・・おい、お前さりげにすっげー俺に失礼なこと考えなかったか?」 「い、いいえっ!!」 「まぁ、いい。お前もつかれ。マジにいい湯だぜ?」 「あ・・・はぁ・・じゃ、お邪魔します・・・」 暢気に湯治してる場合じゃないとは思うが、今さら来てしまったものをすぐ帰すことなんて出来るはず が無い。こうなったらとっとと満足してもらって一刻も早く城に戻る気になってもらおう。 そう決心した藤吉郎のやることは徹底していた。 「あの・・・信長様?」 「あぁ?」 「・・背中とかお流ししましょうか?」 「・・・・・・・・・。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おう」 返事がかえるまでの妙な間が妙だったが(笑)湯船からあがった信長は藤吉郎に背中を向けた。 「えーと、では洗わせていただきます」 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・おう」 藤吉郎は手ぬぐいをお湯にひたして信長の背を洗う。 男にしては力が弱いほうの藤吉郎だが、背中を洗うぶんには丁度いい強さで・・・気持ちがいい。 毎晩させるのもいいかもな、と思うが・・・何となく何かヤバイ気がするので却下。 信長がそんなことを考えている間にも藤吉郎の手は動き、洗い終わって背中に湯がかけられた。 「よし、サル!お前も洗ってやるっ!」 「えぇっ!?い、いや、いいですっ!俺は!遠慮しますっ!!」 「あぁ、俺の好意が受けられねぇって言うのかぁっ!?」 「そ、そうじゃないですっ!!」 主君に背中を流させる家来などどこの世界に居るというのか。 「いいから、とっとと背中を向けろっ!!」 だが短気な信長は藤吉郎の腕をつかまえるとくるりっと背中を向けさせようとして・・・檜のすのこに 足を滑らせた。 「っえっ!?」 つるりん、と。 ガタガタガタッ!と盛大な音がして、気づいてみれば。 「・・・・・。・・・・・痛ぃ・・っ」 頭を床にぶつけた藤吉郎が目を開けると、その目の前に・・・・信長の顔があった。 「・・っっ!!!!!」 小柄な藤吉郎は信長に覆い被されるような形で床に転がっていたのだ。 どくんっ。 (な・・・何!?な・・何、今の・・・何か音が・・音がした・・・っ!?) (何だ、今のは・・・あぁ?俺のかぁっ!?) 互いに混乱しながら見つめあう二人。 何だか、妙な雰囲気である。 ピーーーーッ!!! 『標的(ターゲット)発見っ!!』 「な・・な、なになになにっ!?」 「何だっ!?」 突然露店風呂に響いた笛と大音声に何事かと慌てて身を起こす。 『最終ポイントにて捕獲!かかれぇっ!』 そんな声と共に武装した一段が露店風呂になだれこみ、何が何やらわからぬままに信長が「てめーら! 何しやがるっ!殺すぞっ!!」という叫びと共にどこかに運ばれて・・というよりは連行されていく。 「の・・・信長様・・・・??」 その様を呆然と見送る藤吉郎の背中に背後から浴衣が着せられる。 「藤吉郎様、ご無事でしたか?」 「え、半兵衛??いや、別に大丈夫だけど・・・信長様は・・・・」 「城のほうから上様の捕獲命令が出ておりましたので、実行させていただきました」 「ほかく、めいれい・・・?」 「そうです。きっとこちらに現れると思われましたので各主要地点に兵を置き、秀吉様たちにもご協力頂いて ・・・しかし、やはり敵もさるもの。漸く最終ポイントで捕獲できました。ご苦労様でした、藤吉郎様」 「は?・・・・え・・・?・・・・・うん?」 何だかよくわからないが・・・とにかく、どうやら遊びに出ていたと思っていた秀吉たちは仕事をしていた らしい。それなのに自分ひとりが湯につかっていたとは。 「・・・で、仕事は終わったんだよね?」 「はい、完遂しました」 「そっか、じゃ・・秀吉たちが戻ってくるのも待って食事にしよう。ごめん、俺皆が仕事してるなんて知らな かったから一人でお湯使ってて・・」 「いえいえ。藤吉郎様がそうしてくださったおかげで早くけりがつきましたから。では賄のほうに食事の 用意をさせるように言いつけて参ります」 「うん、皆も早く帰ってこないかな〜」 連れて行かれた信長はいいのか。 「もうすぐ戻ってくると報告がありましたから」 和気藹々と主従は部屋へ戻っていく。 先ほどまでの喧騒が嘘のようだ。 そして木下組の一週間の休暇は平穏無事に過ぎ去った。 最大の功労者は、言わずもがな、である。 「ふざけんなーっ!」 ただ一人、不満を持つ者はいたようだが・・・・。 おわりっ! |
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・・・お、終わった、ようやく・・・
何でこんなに長くなったんだか・・・(渇笑)
とりあえず、一番策士半兵衛決定(笑)