花千樹



<下 2>



「・・・・すまなかった」

「え・・・・・」
「「「え!?」」」
 背後からの声に、驚いたのは日吉ばかりでは無かった。
 何しろ、あの、吉法師が謝ったのだから。
 驚きの視線が自分に集まる中、吉法師は照れを隠すように荒々しく歩き出す。
「何をほうけてるっ!さっさと帰るぞっ!」
 日吉は思わず、くすりと笑いを漏らした。
「サルっ!とろとろするなっ!」
「は、はいっ、吉法師様っ!」
 涙を拭って立ち上がった日吉は、先をゆく吉法師がぽーんと何かに跳ね返ってきたのを慌てて受け止めた。
「えっ!?」
 不意をつかれたため、姿勢を崩した日吉は・・そう言えば前にも同じようなことがあったな、と思い出す。
 その時、吉法師がぶつかった相手は父親である信秀であったが・・・・。

「おうっ何だ!?」

 野太い声で叫んだのは、無精髭を生やし、皮を腰に巻いた見るからに柄の悪そうな男だった。
「無礼ものっ!」
「き、吉法師様っ・・!」
 そこへ直れっ!と出だしかねない吉法師の口を手で塞ぎ、暴れる体を抱きしめて一歩下がった。
「何だぁ、このガキぁ・・・」
「おい、どうした?」
 男の後ろから、仲間なのか同じような格好の男たちが次々と姿を見せる。
「人にぶつかっといて、無礼者だぁ?どこの何様だってんだっ。……殺すぞ」
 ひやり、とした感覚に日吉は蒼くなった。
「も、申し訳ありませんっ!そ、そのまさか人が居るとは思わずッ、どうかお許し下さいっ!」
 日吉は、吉法師と小姓たちを背中に庇うと平身低頭で頭を下げた。こういう輩には下手に逆らわないほうがいい。
「へぇ素直じゃねぇか、兄ちゃん。でもなぁ、俺にぶつかったのは、そっちのガキなんだぜ。謝るんならそっちのガキに頭下げてもらおうか」
「だれがお前なぞに頭を下げるかっ!」
「・・・・吉法師様っ!」
 大人しくして下さいっと日吉は懇願する。
「小生意気なガキじゃ、兄者」
「ちーっと痛いめぇにあって貰うかぁ」
 男たちが笑いまじりに、刀を抜く。ぬらりと光った白刃が目を射た。
「っや、やめて下さいっ!確かにぶつかったのは悪かったですけど、そちらだって、いきなり入ってきて……こんなお堂にどんな用事があるって言うんですっ!?」
「「あぁっ?」」
 男たちに目を剥いて睨みつけられ、ひっと日吉は腰を浮かしたものの、その場から動こうとはしなかった。
「俺たちが、ここにどんな用事かってぇ?」
「ひゃっはっは、教えてやってもいいけどなぁ」
「知ったからには、生かしては帰せねぇぜ?」
「ッ!?」
 男たちの顔は笑っていたが目は赤く充血し手には刃。
 じわり、と日吉の背中に汗が流れる。
 出入口は男たちの居る一箇所だけ・・・いや。

「き、吉法師様・・仏様の後ろに確か小さな扉があったはずです・・そ、そこからどうぞ逃げて――」

「天誅――ッ!!」

 日吉が言い終わる前に、いきなり背後から飛び出した吉法師は腰の刀を抜き、男の一人に斬りかかった。
「き、吉法師様っ!?」
 どうしてそう暴れん坊なんですかーっ!と心の中で日吉は泣き叫ぶ。
「うわぁっ!」
 日吉の背後に居た子供が、まさかいきなり攻撃してくるとは思ってもいなかった男は、咄嗟に腕を出して顔を庇ったものの、僅かに遅く、顔に斜めの刀傷が走る。
 男は顔に手を当て・・・ぬるりとした感触と、手を濡らす赤色に・・・唸り声を上げた。
「この・・・ガキがぁぁッ!!」
 怒り狂った男が、吉法師に向かって刀を大上段に振りかざした。
「吉法師様っ!」
「――くっ!!」
 ぎりぎりで吉法師は男の太刀を受けたものの、如何せん子供と大人。力ではどうしても負ける。
 吉法師の刀は弾き飛ばされ、お堂の隅へ転がった。
「・・・覚悟しろよ、ガキ――」


「覚悟するのは、貴様の方だ」


「「「ッ!?」」」
 静かに、一同を威圧するように割り込んだ声。
 視線が集まった先には、男の首筋に刀を当てた滝川一益が居た。
「一益様っ!」
「どうやら間に合ったようだな……日吉、大丈夫か?」
「はいっ!」
 このお堂に中りをつけた時点で日吉は、城に使いを出していたのだ。
「吉法師様、お小姓様方もお怪我はございませんか?」
「・・・無い」
 まさに危ういところを一益に助けられた吉法師は体勢を建て直して転がった刀を拾う。
「さて、盗賊。このようなことをしてただで済むとは思ってはおるまいな?」
 押し当てられた首筋から血が流れる。
 男は蒼白な顔で震えていた。
「あ・・・」
 日吉は殺気の溢れる一益に、あることを思い出した。
 そう、吉法師が拐されたということで自分たちは必死になって探しまわっていたのである。
 日吉は今となってはそれが吉法師の悪戯であることを知っていたが、一益はいまだにそう思っているはず。
 つまり・・・一益は、目の前の男たちをその犯人だと思い込んでいるに違いない。
「あ・・・え・・・と」
 日吉は困惑していた。
 放っておけば男たちは吉法師を拐した罪により、死罪かそれに順ずる厳罰を下される。
 いくら何でもそれは少しばかり憐れだ。
「一益、そいつらは違う」
「は?」
 躊躇する日吉をよそに、吉法師が一歩前に出た。
「そいつらはただのゴロツキだ」
「は・・・は?」
「勝三郎、犬千代、万千代。行くぞ」
「は、はいっ」
 何が違うのかと首を傾げる一益に再度答えることは無く、吉法師は小姓たちを連れてお堂を出て行く。入り口に居た男の仲間が妙な顔をして吉法師を避けた。
「吉法師様っ・・・日吉、これはいったい・・・?」
「あ、はぁ・・・あの」
 吉法師様の悪戯だったのだと告げるのは簡単だ。しかし男たちが吉法師に危害を加えたのは事実。
 どうするべきかと、吉法師の背中を見ながら考える日吉と事情が全く呑み込めない一益――そこにわずかな隙が出来た。
「こぉの・・・」
 一益の前に蹲っていた男が刀を持ってゆらりと立ち上がる。

 その視線の先に居たのは――。
「・・・ッ!?き・・・吉法師様っッ!!」

 白刃の閃き。
(――っ間に合わない・・・っ!)
 そう思った瞬間、日吉の体は動いていた。



「日吉――っ!!」
 


 一益の叫び声。金属の打ち合う音。
 そして。
 日吉の腕の中には、目を見開いた吉法師の小さな体がしっかりと抱かれていた。

(吉法師様・・・ああ、背中が・・・熱い・・・)

 
「・・・吉法師、さま・・・お、怪我は・・・?」
 普通に話しているつもりなのに、日吉の口からは、たどたどしい掠れ声しか出ない。
「ば・・・」
 馬鹿がっ・・と続くはずの吉法師の言葉は音にならず、信じられないとばかりに日吉を凝視する。
「お、怪我は・・・?」
「・・・無い」
 その言葉を聞くと、日吉はにっこりと微笑み、そのまま目を閉じて力無く、冷たい床に倒れ伏した。
 そして、ぴくりとも動かない。
 背中にはじわりと、朱が広がっていく・・・。
「・・・・・。・・・・・・・」
 お堂の中を、沈黙が支配する。
 誰もその場から動けない。
 最初に我にかえったのは、男を咄嗟に切り捨てた一益で、倒れた日吉へと駆け寄る。
「ひよ・・・」

「触るな」

 低く冷たい声に、一益は吉法師を振り返った。
「吉法師様・・・」
「・・・・・・。」
 表情を無くした吉法師が、日吉の口に手を当て呼吸を確認すると、着物に手をかけ、切り裂いた。
「・・・一益」
「はっ!」
「籠を呼べ。お前は一足先に城へ戻り、医者を待機させておけ」
「し、しかし・・・この賊は・・・」
「捨て置け。・・・貴様ら、その男の仇を打つか?」
 子供とは思えない冷え冷えとした突き刺さる視線に盗賊は慌てて首を振ると、身を翻して逃げていった。
「行け」
「・・・はっ!」
 一益は膝をついて頭を下げると、素早くお堂を後にした。小姓たちも、応急処置に使えるものを捜しに村へと走る。
 お堂には、傷ついた日吉と吉法師だけが残された。


「・・・・サル」
 
 呟いた吉法師の手は、強く握り締められていた。