花千樹



<下 1>



 ところ変わって、尾張城下の寂れたお堂。
 城内の騒動など知らず、子供たちの賑やかな声が聞こえていた・・・

「よしっ来い!」
 掛け声と共に、幼い手が花札の山を一枚めくった。
「よしっ!五光だ!」
 松・桜・月・小野道風・鳳凰の絵がぽんっと投げ出された。見事に揃っている。
「若、またっすか・・・」
「強すぎですよっ・・」
「む・・・」
 花札に興じていたのは吉法師と幼馴染である犬千代・万千代・勝三郎の三人だった。
 誘拐されたはずの張本人たち。
「でも、いいんっすか?」
「バレたらこっぴどく怒られますよ?」
「ふんっ俺はそんなもの恐くも何ともねーなっ!」
 口を尖らせて顔を背けた吉法師は拗ねた子供そのものだ。
 こうなって何を言っても無駄なことは乳飲み子の頃の付き合いから三人ともよくわかっている。
 顔を見合わせ、心の中で溜息をついた。

 実のところ、吉法師は兵法の授業に出るや小姓三人衆を巻き込んで計画を実行に移した。
 教師を背後から殴って気絶させると見つからないように城から脱走し、前々から目をつけていたお堂に身を潜めた。途中の村であまり物のわからなそうな子供に手紙を言付けることも忘れない。
 吉法師のやりそうな悪戯であったがその目的がわからず、三人は首をかしげていた。
 悪戯好きではあるが、そのへんの子供のようにただ大人を困らせて喜んだりするわけでは無い。
 悪戯には必ずそれなりの結果がある。
 城の中をうろつきまわり、脱走するのも部屋の位置を正確に把握するためであり、城下の様子を見るためでもある。
 手段を選ばないという難はあるものの、やはり納得できるだけの結果がある。
「せめて日吉には言って出たほうが・・・」
「黙れっ」
「・・・・・・」
 世話役である日吉の名を出された吉法師は犬千代を睨みつけた。その思いもよらない激しさに驚いたのは犬千代だけでなく、他の二人も同様だ。
 今度の世話役である日吉は堅苦しいところもなく、こうあるべきという理想を押し付けてくるでも無い。年も三人に近く・・・というかあれで成人しているというのが疑わしいが・・・小姓たちも割と気に入っていた。吉法師自身もまんざら気に入らないわけでも無さそうだったのに。
「あいつは・・・くそっ!」
「「「・・・・・・・・・。・・・・・・・・」」」
 三人はこの瞬間、唐突にひらめいた。
 日吉に対して、常に無い子供らしい我侭で苛めまくっていたのはつまり。
「「「好きな子いじめ・・・」」」
「あぁ?」
 腕を組んで睨んでみても、訳がわかってしまえば何のことは無い。吉法師にも春がやってきたんだなぁとほのぼのした空気が漂いはじめる。
 その時。


 ガタリ。


「吉法師・・・様?」
 物音と共に緊張した堂内の空気が、聞き覚えのある声に弛緩した。
「・・・いらっしゃるんですか・・・?」
 小さく抑えた声が外から掛かる。
「おらんっ!」
「「「・・・・・・・・。・・・・・・・・・」」」
 はっきり言葉を返した吉法師に三人は言葉を無くした。
「おらん、て・・・いらっしゃるじゃありませんかっ!!」
 全くもってその通り。
「吉法師様っ!!」
 ぱーんと古びた扉が開け放たれて、外からの光が暗い堂内に差し込んだ。
「吉法師様?」
 不安そうな声と共に日吉がだらしなく座っている吉法師の下へ駆け寄った。
「お怪我はっ!?」
 上から下まで眺め、そっぽを向いている吉法師に再度問いかける。
「どこも、お怪我はありませんか?」
 吉法師から小さく「無い」と返事が返り、日吉も漸く詰めていた息をほぅっと吐いた。
「良かった・・・ご無事だったんですね」
「・・・・・・」
 気まずげに吉法師が視線を落とした。
「お小姓方も、お怪我は無いですか?」
「あ、はぁ・・まぁ」
「いや、どうも・・・」
「む・・・」
 三人のことも心配してくれる日吉に、ますます心苦しくなってくる。
「日吉。てめぇ何しに来た?」
「何しに、て・・・」
 日吉ははっとしたように周囲を見渡す。
「か、拐した犯人はっ・・・何処ですっ!?今は姿が見当たらないようですが・・・」
「さぁーな」
「さぁ、て・・・」
 吉法師では埒が明かないと小姓たちに顔をむけると皆揃って申し訳なさそうに顔を伏せた。
 日吉は訳がわからず首を傾げたが、すぐにはっとしてそっぽを向いたままの吉法師を見つめた。
「も、もしかして・・・嘘、だったんです・・・か?」
「・・・・・」
「悪戯だったんですか!?」
「っるせーっ!叫ぶなっ!」
「吉法師様っ!」
 日吉が掴んだ袖を乱暴に振り払うと、立ち上がり吐き捨てた。
「うるさいっお前には関係ないっ!!」




 パンっ・・・!!




 お堂に沈黙が落ちる。
 日吉の手が、吉法師の頬をぶったのだ。
 小姓たちが唖然として見守る中、屈辱に顔を忽ち赤くさせた吉法師が殺気まじりに日吉を睨む。
 世話役といえど、農民上がりの日吉と吉法師ではその身分に天地の差がある。即刻手打ちにされても文句は言えない。幼いながらも、吉法師にはそんな冷酷さも持っていた。

「お前・・・この俺に・・っ」
「心配したんですっ!!」
 刀に手をかけた吉法師に日吉は怯むことなく、叫んだ。
「・・・・っ!?」
「吉法師様に何かあったらと・・・心配したんですっ!!」
 日吉の大きな瞳は今にも零れ落ちそうに潤んでいた。
「俺なんてただの世話役で、関係ないと言われればそれまでですけど・・・だけど心配したんですっ!あなたが傷ついていないか、酷い目にあわされていないか・・・吉法師様が拐されたと聞いて居ても立ってもいられなくてどうしたらいいかと・・・走り回るしか無い自分の無力さに・・・っ」
 耐え切れない涙が、日吉の目から一粒落ちた。

「そ・・れは、俺に何あったらお前が咎められるからだろうが、そんなこと・・・」
「俺のことなんてどうでも良いんですっ!」
「・・・っ」
「吉法師様は、この国に必要な方なんです。もしものことがあったら・・・いいえっ!そうじゃない。俺は・・・国とかそんなことじゃなくて」
 日吉は拳を握り、吉法師を真っ直ぐに見て笑った。

「俺は、吉法師様のことが大好きなんです」

「!!」
 吉法師の目が驚きに見開いた。
「信秀様には待機しているように言われました。でもじっとしていることなんて出来なかった。たった一週間の世話役でしかありませんけれど、あなたのことが誰よりも大事で・・・動かずにはいられなかった」
「・・・・・」
 呆然とする吉法師の頬に日吉がそっと手を伸ばす。
 ひやりとした感触と共に、それは驚くほどに優しかった。
「申し訳ありません、叩いてしまって・・・お咎めは如何様にもお受けします。でもその前に城に戻りましょう。信秀様は一益様にも命じられて皆様をお探しです。吉法師様、貴方にならばおわかりでしょう。やって良い悪戯と悪い悪戯があることを。お小姓様方にも」
「・・・・・はい。申し訳ない」
「・・・すみませんでした」
「・・・すまぬ」
 二人を見守っていた小姓たちは、それぞれに頭を下げる。
 日吉の言葉は頭ごなしに言われるより効いた。








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