花千樹



<中>



 暴れる吉法師を何とか教師に引渡し、日吉は漸くひと段落ついた。
 この城にやってきて一週間。吉法師の世話役という役職をいただいた日吉は朝から晩まで元気の良すぎる吉法師に付き合って、これでもかというほど駆け巡っている。体力がなければ到底出来ない仕事だ。
 小柄な割に体力には自信がある日吉とて、夜に吉法師が眠ったのを確認して寝所に戻るとぐったりして衾褥に入り、朝まで死んだように寝入っている。
 世継ぎの世話役といえば、何と光栄なことだと思うだろうし、給金も十分な金額が貰えるがそれを補って余りあるほどに実際はそんなに甘いものでは無い。
 日吉以外の人間だったのならば、言いつけられたその日に逃げ出していたことは間違いない。
 いや、日吉だって本当は逃げ出したかった・・・ただ、それ以上に自分が逃げ出すことで母や弟たちにかかる迷惑を思うととてもそんなことは出来なかった。
 それに      


「日吉か?」
「え?・・・あ!」
 ぼうっと思考の中に沈んでいた日吉は、声を掛けられたほうを剥き、慌てて膝をついた。
「楽にしろ」
 信秀が片袖を脱ぎ、木刀を持った姿で立っていた。
 剣術の稽古をしていたのだろう・・・いつもの日吉ならば気づいて邪魔をしないようにすぐに立ち去っていただろうが、失敗だった。
「漸く暇が出来たようだな」
 しかし、そんな日吉を咎めることなく信秀は快活に笑う。
 日吉は引きつった笑いを返すしかない。信秀は着物を直しながら、日吉の目の前にあった意思に腰を下ろした。立ち去れ、と言われたわけでは無いので居るべきだろう。
「お前を世話役に任じて、一週間か」
「はい」
「喜べ。最長記録達成だ」
「は?」
 信秀は悪戯っぽい笑みで日吉を覗き込む。そんな時の表情はさすが親子で、吉法師とよく似ている。
「吉法師の世話係をこれまで命じたのはお前を除いて5名。どれも一週間もたなかった」
「は、はぁ・・・」
 それは喜ぶべきなのだろうか、お気の毒というべきなのだろうか。
「吉法師が追い出さなかったのもお前が初めてのことだ」
「そう、なのですか・・・?」
 首を傾げる日吉に、信秀は今までの世話役にやった吉法師の嫌がらせの数々を思い浮かべる。
 子供ながらに気性が激しく手段を選ばない吉法師は、命を奪いかねないような危うい悪戯をよく仕掛けていた。さすがに死んだ者は居なかったが、子供とは思えない残酷さと冷静さに世話役やちは蒼白になり、信秀のもとへお役ご免を願い出てきた。
「吉法師は暴れん坊だろう?」
「え、いえ・・その・・・っ」
 さすがに、『はい、そうですね』とは答えられまい。
「何、本当のところを言え。咎めだてなどせぬ。本当のことだからな」
「・・・ええ、まぁ、少し元気が良すぎるところもおありかと思いますが・・・・でも」
「でも?」
「吉法師様はきちんとご自分の立場をわかってらっしゃると思うんです。あのご年齢で馬を自由に操られることは凄いことだと思いますし、好き放題に城を飛び出しているように見えても領内のことをちゃんと見るところは見てらっしゃる。城の中で学問を詰め込むだけじゃ駄目なんだってわかってらっしゃるのだと思います。・・・自由気侭に過ごしていらっしゃるように見えても全然そんなこと無いんです。ただの暴れん坊じゃありません。俺なんて、本当に何の取りえも無いし、役に立たない人間ですけど、吉法師様が少しでも・・・俺だけにでも我侭を言って下さるのは、嬉しいことです」
「・・・・・・・・」
 信秀はやや伏目がちに小さく語る日吉を穏やかな眼差しで見つめていた。
「もっとも俺がそう感じているってだけで、違うかもしれないですけど・・・」
「ふむ」
 日吉を吉法師の世話役につけて一週間。まだたったの一週間だ。ただの7日。
 それなのに城内の誰も気づこうとしなかった吉法師の考えや寂しさを感じ取ったのだ。
 思わぬ拾い物をしたのかもしれぬ、と信秀は心の中でひとりごちた。
「日吉」
 俯いていた日吉の顎に手を当て、すくいあげる。
「お前ならばと世話役に命じたのは俺だが、早急に過ぎたやもしれぬな」
「は!?」
 何かお咎めを受けるようなことをしただろうかと日吉の顔色が蒼くなる。
 だが、信秀の顔に怒りは無く、穏やかな笑みが広がっていた。
「どうせならば、俺の傍に置けばよかったか・・・いや、今からでも遅くは無いか」
 いったいどういう意味かと日吉が首を傾げる。
「俺の世話役になってみるか?」
「は?」 
 今さら信秀にそんなものは必要ないのに、何故そんなことを問うのだろうか。
 日吉は大きな目を信秀に注ぐ。
 まるで何もわかっていないような日吉の肩を掴み、引き寄せた。
「え・・っ」
 信秀の顔が目前に迫り、口が温かいものに塞がれた。
「・・・・っ!?」
 驚愕に目を見開く日吉の体を逃がさないように信秀は強く拘束して、深く深く口づける。
 漸く信秀に開放してもらえたとき、日吉の腰は抜けていた。力の入らない体を膝の上に抱えられて、顔を覗き込まれる。
「さて、どうしてやろうか?」
「ど、どどどどどうして・・・っ!?てあの・・っそ、そんな・・・お、俺は・・っう・・」
 日吉の頭の中はぐちゃぐちゃで、何が何だかわからない。

(俺は吉法師様の世話役で、でで、でも・・・信秀様が・・え!?・・・でも、あれ???)

「・・・くっ・・・くくく」
「!?の、信秀様・・っ??」
「可愛いな、お前は。答えは急がずとも良い。時は十分にあるからな」
「あ・・俺・・・・」
 日吉が信秀に向かって口を開きかけた瞬間。
 大変ですっ!と慌てた様子で日吉の数少ない城内の顔見知りである一益が駆けてきた。
 彼は日吉のように世話役ではなかったが、護衛役として吉法師の傍についている。
 未だ、信秀の膝の上に居た日吉は慌てて立ち上がり、一益は信秀の足元に膝をついた。
「失礼致します!ただ今、このような文が投げいれられてございますっ!」
「何だ?」
 結び文のような小さい白い紙を一益は信秀に差し出した。
 その紙にさっと信秀は視線を走らせる。
「・・・ほぅ」
 にやりと口をゆがめた信秀の目には物騒な光が宿っている。
「吉法師を拐したと?」
 え、と日吉の目が見開かれる。
「面白いことを言う。吉法師は今城内に居るはずでは無いのか?・・・のう、日吉」
「は、はい。先ほど、兵法の先生のところへ・・・」
 預けたはずだ。吉法師もしぶしぶながら、小姓兼幼馴染である3人と共に書に向かっていた。
「それが・・・申し訳ございません。私の至らなさゆえ、どうやら城内に手引きをした者が居たらしく、気づいた時には吉法師様、並びにお小姓方も一緒に姿を消していらっしゃいました。急いで部下に城下を探すように命じたのですがそれより早く、これが先ほど届きました次第にございます。全ては私の責任、お咎めはいかようにも」
 一益は言うと、深く頭を下げ信秀の沙汰を待った。
「馬鹿者!責任を問うている場合では無かろう!騒ぎはまだ公になってはおらんな?」
 一喝した信秀は冷静に一益に問いかけた。
「は。この手紙を受け取ったものにも口止めしております」
「この手紙を持ってきた者は?」
「それが村の幼い子供でして、誰に頼まれたものかもよくわかりませぬ」
「用意周到な。良いか、騒ぎは大きくせず最小限の人数で事に当たれ。少しでも怪しい者はひっ捕らえて尋問しろ」
「はっ!」
 一益はすぐさま身を翻した。
「日吉」
「はいっ」
「お前はここで待機していろ」
「!?いえっ!俺もお捜しに行かせて下さいっお願いしますっ!じっと城で待っているなど出来ません!」
 必死に言い募る日吉は信秀はじっと見つめる。
「・・・良かろう。だが、単独行動になるぞ。大事になるかはわからぬ今、兵を動かすことは出来ぬ。お前ならば怪しまれぬように民に混じれるだろう」
「は、はいっ!ありがとうございますっ!」
「相手が何者かもわからぬ。命の保障は出来ぬぞ」
「構いませんっ!俺は・・・」
 日吉は言葉を切り、真摯な眼差しで信秀を見上げた。
「俺は、吉法師様の世話役ですから!」
「そうか。わかった。・・・気をつけて行け」
「はいっ」
 顔をほころばせた信秀に笑顔を一瞬浮かべた日吉は、すぐさま真顔になり力強く頷いた。










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