天を誅す君


坊=ダナ・マクドール
2主=ローラント







 午前中に行われる軍議の前に、ダナはある場所へ向かっていた。
 皇王アガレス・ブライトの居室である。

 王族の部屋…特に皇王の居室に続く道は複雑怪奇で案内なくしてはたどり着くことは不可能となっているが、すでに城の間取りを完璧に頭に収めているダナには全く問題ない。
 迷うことなく回廊を進み、居室の前まで来ると皇王直属の兵が四人で部屋の扉を守護していた。
 軍の全権は息子であるルカに全て委譲しているが、彼らだけは別管轄となる。故にダナの顔を見て戸惑いを浮かべながらではあるが、長槍を持ってその進路を閉ざした。

「ここより先は皇王陛下の許しある者しかお通しできません」

 彼らは総司令が来るという話は伝えられていなかった。当然だ。ダナは約束など取り付けず突然にやって来たのだから。

「任務に忠実なのは良いことだね」
 ダナは特に不快を示すこともなく、穏やかな調子で口を開いた。
 あのルカ皇子でさえ頭が上がらない、という噂が駆け巡っている総司令に戦々恐々としていた兵士たちはほっと力を抜く。
「だけど、僕を通すか通さないかは君たちが決めることでは無く皇王陛下が決めることだ」
 ダナはその底の見えない漆黒にも見える真紅の瞳で兵士たちを見据えた。

「聞いておいで」

 静かではあったが有無を言わせぬ力ある言葉に、一人の兵士が慌てて皇王の下へと走っていった。
 そして去って行ったかと思うと、1分も経たないうちに同じように駆け足…というより全力疾走で戻ってきた。

「へ、陛下がお会いになるそうです!お通り下さい!」

「ご苦労さま」
 ダナはにっこりと労いの言葉を掛けた。







 赤い毛足の長い絨毯の引かれた廊下を真っ直ぐに進み、ダナは扉の前に立った。

「入るが良い」
 内側から聞こえた許しの言葉に、ダナは扉に手をかけた。
 室内は落ち着いた内装で、さすがに歴史のある王家だけに装飾に下品なところが無い。皇王のプライベート空間であることが、奥に座った皇王の装いからもわかる。

「突然にも関わらず、訪問をお許しいただきありがとうございます」

 洗練された動作で皇王に向けて敬意を払ったダナに、厳しかった表情を僅かに緩めて皇王アガレス・ブライトは対面にある椅子へ座るように促した。
「失礼いたします」
 見た目は美しい…けれど、幼い少年だというのに皇王の前でも全く萎縮する様子の無いダナに果たしてどんな思いを抱いているのか…深い皺の刻まれたその風貌から察することは容易ではない。

「私を殺しに来たか?」

 いきなり皇王は物騒な言葉を放った。
 ダナは困ったように笑い、首を傾げる。

「殺すつもりならこんな手間なんてかけず、       護衛ともども皆殺しです

 皇王に負けず劣らず物騒な言葉に、部屋を取り巻く姿の見えない気配がざわりと騒いだ。
 どうやら王家直属の忍たちが警護しているらしい。
 ダナと皇王はしばしの間、互いに見つめあい……先に視線を逸らしたのは皇王だった。
「では、いったいどのような用件があるという?ルカが自ら選んだ者が私を訪ねて来るのは」
「だからこそ、ご挨拶に伺うのは筋かと思いましたが」
「あれは私を恨み憎んでいる」
 皇王は断定する。
 十数年前に由来する出来事ゆえに、この親子の不仲は広く知れ渡っている。
「違いますよ」
 だが、それをダナはあっさりと否定した。
「何」
「ルカは確かに自分でもそう思い込んでますけど、あれははっきり言ってただ単に拗ねているだけです」
「………」
 皇王は未知なる言葉を聞いたように、忙しなく目を瞬かせた。
「ルカは傷ついた子供の心のまま成長していないんです。      どうして貴方はルカと話をしようとしなかったのです?ルカが聞く耳を持たなかった?それとも話しても無駄だと?貴方が忙しさを理由にルカを放置して、ゆえに多くの者が死んだ。ルカの横暴に嘆く暇があったならば、父親として彼の横っ面でも打っ飛ばして行いを止めればいい。殺される覚悟をしているなら、そのくらい容易いことでしょう?」
「………」
 皇王に対して、かつてこれほど言いたい放題に言った人間が居ただろうか。(居るわけない)
 呆気に捕らえた皇王は、呆然としつつ口を開く。
「…私が間違っていたと?」
「何が間違いで何が正しいかなんて僕の知ったことではありません」
 ルカをぶっ飛ばせ、と言った口で無責任限りない言葉だ。
「ただ。するべきことを判っていながら何もしない人間には心底腹が立つのです」
「……あれが、そう私に大人しく殴られはせぬと思うが」
「そうでしょうね。ルカなら、かなりの確立で殴り返してくると思います」
 あっさり肯定してくれる。
「でも賭けてもいい。ルカは本気で貴方を殴ることなんて出来ない」
 沈黙が、落ちた。

「…つまり、何が言いたいのだ」

「貴方はかつて王としての責任を果たしました。だから今度は一人の親としての責任を果たして下さい」
「あれに殺されろと?」
「誰がそんなことを言いました?貴方が死んでどうにかなるものならば、さっさと僕が殺していると言ったでしょう。そうでは無くて、ルカに謝って下さい」




 『ごめんなさい』       と。




「それで何かが変わるというのか?」
「変わらないと思いますか?」
 圧倒的な美を誇る少年は慈しみ深い微笑を浮かべて、年老いた王を見る。

 どちらがこの場で『王』であるのかは明白だった。





















「どこに行っていた?」

 部屋に戻ってきたダナにルカが問う。
 隠すことでも無いのでダナは『王様のところ』とあっさり白状した。
 ルカの顔が瞬時に不機嫌に染まる。
「貴様、いったい何用であの死にぞこないの…っぶ!」
「ルカ〜そういう憎まれ口叩かないの」
 顔面を平手打ちされたルカは、くそっとその手を払う。
「全く、いつまで反抗期の子供なの?」
「何だと!」
「そりゃね、奥さん見捨てて自分だけ逃げるなんて男として最低最悪だと思うよ。僕だったら容赦無くぼこぼこにして一生足蹴にしてやるけど」
 きらり、とダナの目が煌き…ルカは背筋がぞっとした。
「彼は死ぬわけにも囚われるわけにもいかなかったんだ。       王だったから」
「………だから見捨てても仕方無いと?」
「そんなこと言うわけ無い。仕方無いなんて、君のお母さんに対して申し訳ない」
「………」
「だけどルカはわかっているんだろう?どちらか一つしか選べないのならば、少しでも可能性の高いほうに賭けるものだ。………
「そして、今ここに君は生きている」
 ダナは己より一回りは大きいルカの体を精一杯に抱きしめる。

「さぁ、聞いて」

 部屋の扉が開く。
 視線を向けた先には         ・・・








「・・・・・・・・父、上・・・?」









 皇王アガレス・ブライト・・・・否、一人の年老いた父親が深々と頭を下げていた。



「何、を・・・」
「逃げるな、ルカ。ちゃんと受け止めるんだ」
 僕が愛した君なら出来るはずだ。

 もう一度、ぎゅっとルカを抱きしめて・・・ダナは部屋を出て行く。
 皇王の脇を通りすぎ、扉を閉める。
 その扉に背を預け・・・



 天を仰いだ。



















二人を幸せにするにはこの親子関係もどーにかしておかないと
・・・ということで。